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ボーネルンドが、コロナ禍の臨時休校中でも子どもたちに「あそびを届けること」を止めなかった理由。

今回は、ボーネルンドの村上裕子さんとの対話をお届けします。
世界の教育玩具の輸入・販売や、親子の屋内あそび場施設の開発・運営だけでなく、全国各地の行政や企業と協働した屋内外のあそび環境づくりまで“あそび”を一貫して提供しているボーネルンド。プラップジャパンが長年お付き合いをさせていただいているクライアントです。

いまを生きる子どもたちの周りには、どんな困りごとがあるのか。ボーネルンドはその困りごとにどう向き合い、行動してきたのか。あそびを通して子どもの健やかな成長に寄与するために考え、実行してきたことと、その背景にある想いをお聞きします。

 ■村上裕子さん
音楽関連企業勤務を経て、2001年に株式会社ボーネルンド入社。企業ブランディングや販売促進、広報に携わる。2007年に広報室新設を提案、広報室長に就任。2011年、執行役員兼広報室長として東日本大震災の被災エリア支援活動として室内あそび場を提供する活動を行う。2012年より取締役兼広報・広告宣伝部長として、ブランディング・広報・広告宣伝などコミュニケーション活動全般、社長秘書業務を担当する。

——本日はお時間いただき、ありがとうございます。
“いま世の中で起きている課題を発見する。その課題と向き合い、対話する”というコンセプトで私たちは「PRAP OPEN NOTE」を立ち上げたのですが、企業さんとお話するのはボーネルンドさんがはじめてなんです。
私たちのクライアントの中でも、特に幅広いステークホルダーと一緒に課題解決に取り組むボーネルンドさんからぜひお話を伺いたい、と思っていたので、今回対話の機会をいただけてとても嬉しいです。
 

村上:記念すべき初回にお声がけいただき、どうもありがとうございます。課題、というと、ちょうど今朝のニュースで、コロナウイルスの影響が長期化する中で、「学校に行きたくない」と回答した子どもが4割いるという調査がありましたよね。私たちがなにか力になれることはないかしらと考えていたところでした。

——コロナによる子どものストレスは、大人の私たちには計り知れないですが、一人でも多くの子どもたちが健やかに暮らせるように、今日はボーネルンドさんのお取り組みをお聞きしながら、お困りごと解決のヒントを考えていきたいです。
まずは、コロナになってからのことをお伺いさせてください。この2年はボーネルンドさんにとってどんな年だったのでしょうか?

村上:さかのぼると、2020年の3月の臨時休校要請によってすべての学校が休校になりましたよね。さらに4月には初めての緊急事態宣言が発令されました。そんな中で、これまで同様に「子どもの健やかな成長にあそびは必須なので、あそびをする機会を保障してあげましょう」と、当社の考えをそのまま発信してよいのだろうかと葛藤がありました。
子どもをもっと自由にのびのびと遊ばせてあげましょうと言い続けたかったのですけれど、命を守るより大事なことはありません。悩んだ結果、ボーネルンドが手掛ける室内のあそび場を一時クローズするという判断をしたんです。

 ——まだ世の中がコロナウイルスの性質を正しく理解していない状況でしたよね。対策は万全にしていても、屋内施設が「3密」になりやすいという意識は持たれてしまう時期でした。

村上:でも、そうしながらも「おうちでたくさん遊べるように」という想いから、「あそびのヒント」という動画の配信をYouTubeで始めました。

Youtubeで公開している「プレイリーダーがお届け!あそびのヒント」

これは、数年前のクリスマスにプラップジャパンさんの提案で実現した「あそべんとカレンダー」の発展版とも言えます。当時はアドベントカレンダー形式で「特別なあそび道具がなくても、おうちの中で遊べるヒント」を紹介したコンテンツでしたが、今回は当社のあそび場で活躍するプレイリーダーがガイドをつとめる形で、短尺の動画を制作しました。
あそび場はしばらくの間、営業できなくなるし、常駐するプレイリーダーの活躍の場は限られてしまうけれど、私たちのノウハウを生かすことはできる。子どもたちにあそびを届けることをやめてはいけない。
経営層と現場最前線の想いが一致して、幼稚園や小学校の休校が決定した翌日から準備をスタートしたんです。

プラップジャパンと共同でオリジナル開発した「あそびのヒント」
クリスマスのシーズナルアイテム「アドベントカレンダー」をボーネルンド流にアレンジ

——いま振り返ると、一斉休校が決まったとき、「学びが止まる」ことに対する課題意識は社会全体で共有されていた一方で、「あそびが止まる」ことに対する課題意識は希薄だった。そうしたなかでのボーネルンドさんの行動は、ある意味そこに警鐘を鳴らすというか、世の中がその問題に気づくきっかけとしての役割も果たしていたように感じます。
そして「あそべんとカレンダー」についてもご紹介いただきありがとうございます。企画当時は「毎日忙しくて子どもと過ごせる時間は限られてしまうけど、一緒にいられる時間は思いっきり遊んであげたい」というパパやママに、“たった3分でできるあそびのヒント”をお届けするというアイデアでした。
そのアイデアが、今回の臨時休校という状況下で「おうちの中でも楽しく過ごせるヒント」に生まれ変わった。当時のコンテンツをまた違った形で子どもたちのもとにお届けできていることがとても嬉しいです。
それにしても「あそびを届けることをやめちゃいけない」という社内の意思決定と、その翌日から準備がなされたという合意形成のスピードの速さに驚きます。どうしてこんなに早く決断ができたんでしょうか?

村上:きれいごとを言うわけではないのですが、私たちボーネルンドの社員は、「あそびを通して、子どもの健やかな成長に貢献する」という根っこの部分で強く結びついているからなんだと思っています。
たとえば私が今朝、コロナの影響で不登校の子どもが増えているというニュースを見て「子どもたちが希望をもって、思いきり遊んで、思いきり生きていけるようになるために、できることはないだろうか」と考えたのと同じように、社員一人ひとりがいつも子どもたちの生活とあそぶ環境のことを想像しているんです。
たとえ有事が起きてしまったときも同じです。「その環境下にいる子どもの毎日ってどうなっているんだろう」って社内の誰かが声をあげて、問いかけ合ったり、実際に行動する空気が自然と定着しているからこそ、決断のスピードも速かったと振り返っています。

——社員の皆さんが同じ方向を向いているからこそ、コロナでも子どもの健やかな成長のためにあそびの提供を止めない、という決断にすぐたどりついたということですね。
これまでボーネルンドさんが「子どものあそびを止めない」ように働きかけてこられた中で、印象に残っているお取り組みを教えてください。
 

村上:ひとつあげるとすれば、2011年の東日本大震災でしょうか。当時は「被災地域の子どもたちへの支援を行う会」を震災後すぐに社長が社内で立ち上げて、取引先の海外メーカーに支援を呼びかけたり、避難所や幼稚園・保育園へあそび道具を寄付したりと、すぐにできることからまずは始めたんです。
並行して、可能性を探り続けたのが「あそび場づくり」。
郡山市の小児科「菊池医院」の菊池信太郎先生や、被災地で子育てをするパパやママからの「外遊びが制限されている子どもたちのために、屋内で遊べる施設をつくってほしい」という声をきっかけに、菊池先生や郡山市、東北・北関東でスーパーマーケットを展開するヨークベニマル社のご協力で、「ペップキッズこおりやま」という屋内型の大きなあそび場の実現に携わりました。
「子どもたちにクリスマスプレゼントを!」を合言葉に、わずか3ヵ月の準備期間で始動したプロジェクトでしたが、室内に居ながらにして外遊びの要素を盛り込んだあそび場で、外でのびのびと遊べない当時の被災地の課題を克服する環境を実現できました。
「ペップキッズこおりやま」オープンを皮切りに、以降では保育園や市民会館、空港など福島を中心とした東北エリア11ヵ所にあそび場をつくりました。
3.11を経て、「子どもたちの成長には、どんな時にもあそびが必要である」ということを、子どもたち自身が教えてくれましたし、子どもの平和を願って、私たちができることは何だろう?と原点を見つめ直し、行動に移すきっかけがたくさん生まれました。 

「ペップキッズこおりやま」のオープン当時の様子
思いきり体を動かせるあそびに時間を忘れて楽しむ子どもたち

——ボーネルンドさんの信条をまさに体現された取り組みですね。3.11以降の子どもとあそびの記録『遊ぶことは生きること』を読むと、「有事のときも、あそびを止めてはいけない」という言葉に行動が伴う重みを感じます。
村上さんご自身が積み重ねてこられたキャリアの中で印象に残っていることもお聞きしたいです。
 

村上:2001年の入社直後に、アメリカの同時多発テロがありました。そのときちょうどワシントンに出張していた創業者が、帰国後に、「事件を起こした人たちの子ども時代が、もし平和であそびに満ちた毎日だったら、こんなことはやらなかっただろう」「玩具じゃなくて銃を手にするような毎日だったのかもしれない」と言ったんです。当時、私は入社したばかりで右も左もわからなかったけれど、この言葉が強烈に残って。担当していた販促物を一から考え直して、その年のクリスマスを迎えました。 

——子ども時代の豊かなあそび体験が平和につながる。こう感じた実体験をお聞きすると、どんなときにもあそびを止めてはいけない、となおいっそう強く思います。

村上:9.11を通じて、会社の考え方をすりこまれましたし、このときの記憶が東日本大震災のときに、「被災地の子どもたちにあそびを届けに行かなきゃ」って私に思わせてくれました。
どの社員にも共通してこのような経験があります。だからこそ、東日本大震災に限らず、阪神淡路大震災や新潟県中越沖地震など、また違った有事が起きた際にも、社内ですぐに行動に移すことができているんです。
コロナ禍で「あそびのヒント」の動画を公開したのも根本の考え方は同じで、社員の誰かが仕組みを立ち上げる文化が根付いているんだと思います。

——緊急事態宣言下でも、「あそびのヒントを届けよう」と判断できたのは過去の有事の経験があったからこそだったんですね。
とは言え「子どもの健やかな成長のためあそびが大事」と声を発するだけではなく、「子どもの健やかな成長のためにあそびを止めない」ための行動をし続けることってなかなか実現できることではなくて、ボーネルンドさんの社内には、きっと“パーパス”という言葉が注目されるずっと前からパーパスが浸透しているんだなと感じています。
社員の皆さんはパーパスのことをどう捉えているのでしょうか?

村上:たとえば、ボーネルンドショップのインストラクターに「なんのために仕事しているの?」って聞いていただいたら、その者は「あそびを通して子どもの健やかな成長の役に立つために私はあそび道具を売っています」ってきっと言うはずです。これはあそび環境をつくっているメンバーも、プレイリーダーも、ボーネルンドのすべての社員に共通します。
あそび道具の販売やあそび場の提供は、「あそびを通して子どもの健やかな成長に貢献する」私たちの目的を達成するための手段。このことを社員みんなが理解していると思いますし、浸透させるための社内コミュニケーションは徹底しています。

——なるほど。パーパスが社員一人ひとりにとって自分ゴト化していることがよくわかります。
さて、冒頭にお話を戻すと、コロナが少し落ち着いてきた近頃は、子どもにとってまた違ったお悩みが生まれていることに気づかされました。リモートワークが増えて、お子さんと親御さんの関係が変わっているご家庭もあると聞きます。コロナを経て、いまボーネルンドさんが向き合っている課題を教えてください。

村上:「遊び方がわからない」という親御さんや幼稚園や保育園の先生方のお悩みを聞き、ボーネルンドのプレイリーダーがお客様のいる場所に積極的に赴くことをはじめました。
ボーネルンドが運営する室内あそび場「キドキド」でお客様をお迎えするだけではなく、たとえば、公園や幼稚園、保育園に出かけて、子どもたちの好奇心を喚起する働きかけをする形です。子どもたちとの遊び方をまだたくさん知らない先生に、ヒントをレクチャーすることもあります。あそび場という枠を超えたプレイリーディングの提供や新たな仕組みづくりに挑戦しているところです。

——プレイリーダーが出向き、あそびをする機会やあそびをする場所を広げることで、街の活性化が進むといいですね。

村上:私たちは、あそび場のことを橋や道路のように、生活基盤としてなくてはならない“社会のインフラ”にしていきたいと思っているんです。
本来は公園のような場が日本のすべての人がアクセスできるような場所にあるべきですが、今の日本にはあそび場がまだまだ足りません。
それなら自分たちでつくっていこう。こう考えて、行政や企業の方々をパートナーに、あそび場を増やす活動を積極的に進めています。

まだまだお聞きしたいお話が続きますが、前編はここまで。

あそぶことは生きること。子どもにとって遊ぶことは、食べることや眠ること、学ぶことと同じように大切だと考えているボーネルンドだからこそ、世の中の子どもに遊ぶ機会が減ってしまうことがあれば、あそびの機会を保障する。この確固たるパーパスが、臨時休校要請が出された直後でもボーネルンドの意思を揺るがすことなく、「子どもたちにあそびを届ける」という行動につながっていたことを知りました。

あそびの大切さを世の中に広げてきたボーネルンドのはたらきは、会社の枠を超え、全国のパートナーと一緒に日本各地であそび場をつくる動きに発展しています。
後編では、たくさんのパートナーとどうやって関係をつくってきたのか、どんな未来を思い描いているのか、今後の展望をお聞きします。


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