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「自分放牧実践家」のこと



私が「自分放牧実践家」になるまで

「私、いま自分放牧中なんです・・・」

新緑の美しい季節、とある素敵な場所で、初対面の10人を前に自己紹介をするというシーンにて。順繰りに私の番がやってきて、誰かに喋らされているかの如く、開口一番に口からこぼれ出てきた、なんというかパワーワード。

もちろん、その後は、初対面の方用に設えた自己紹介を迷いなく話すその間も、頭を駆け巡るのは、

「あ、私、いま、放牧中だったんだ・・・w」

「自分放牧実践家」という肩書きは、このように、あまりにも自然に、突如として爆誕したのです。

少し背景をお話すると、小さな頃から動物が好きで、動物系の大学に進学したけれど、卒業後は外資系製薬会社に就職して10年働き、その後食農に関わる仕事を4年間した後、次の進路を決めずに退職しました。 ”放牧中の自己紹介” をした日は、最終出社日の翌々日のこと。

世間では、私のように次を決めずに離職をすることをキャリアブレイクと言ったりするそうで、そちらの方が定義も響きもカッコイイのですが、なんとなく今の私の状況は「放牧」と呼ぶ方が合っているような気がして、自分放牧を実践する人と名乗っています。


プロに教わる放牧の極意

「プロ」と言っても、放牧される方のプロなのですが🐎

放牧中のプロ

自分放牧と名乗る以上、放牧とはなんぞやということを体感すべく、馬たちが放牧をされている高原に行って馬と、馬のような人たちから放牧の極意を学んできました。
ちなみにこの高原では、近所で飼育されている馬が初夏から秋まで放牧されていて、多い時には100頭ほどの馬たちが群れをなして生活しています。

馬から教わった上手な放牧の四箇条

番号は優先順位順となっています。1が満たされたら2をする、次に3を・・という具合だそうです。

  1. 逃げる|馬は被捕食動物なので、何よりもまず危険を察知して逃げることが最優先です。噛んだり、キックしたり、体当たりをして敵と戦うこともできますが、武器となる牙や角は持ち合わせていません。その代わり、馬の視野は350° もあり、自分の尻尾が生えている位置以外は視野に入っていますし、約4km先の音まで聞き取れる聴覚を持つ耳を常に前へ後ろへ動かし、鼻だけでなく舌でも感じることができる臭覚は人間の1000倍と言われています。さらに皮膚感覚にも優れ、触れるか触れないかのフェザータッチでも触覚を感じることができます。それから、足の速さは言わずもがなですね。

  2. 仲間といる|馬は群れを形成する動物です。相性などもあるようですが、誰かと一緒にいるというのが基本スタイル。群れをなしていることで、効率的に外敵や危険を察知することができます。なので、群れの仲間の姿が見えなくなると、鳴いて仲間を呼ぶという行為が起こります。ちなみに馬のような家畜や被捕食動物が形成する群れを英語でHerdといいます。犬や狼などの捕食動物の群れはPack、鳥の群れはFlock、魚の群れはSchoolです。群れについては、別記事に書いてみたいと思っています。

  3. 草を喰む|危険がなくて、仲間がそばにいることを確認できたら、今度は食事をします。野生の馬は、16時間から20時間を食べることに費やすと言われています。確かに草だけであの大きな体を維持するのは、大変なことですね。それから馬は、あのぷよぷよの口で好みの草を選り分けて食べているってご存知でしたか。特に好きなのはイネ科の草で、前歯で引きちぎって、ボリ、ボリ、ボリ、と、リズミカルに食べます。馬が食事をしている辺りでは、新鮮な草のいい香りが広がっています。

  4. 休憩する・微睡む・寝る|馬は立ったまま寝れます。目も開いたまま意識は常に危険がないかを察知している状態。比較的安全な環境では、1本の脚の力を抜いて、3本脚で立って微睡んだりする様子をみることができます。とってもリラックスすると、体を横たえて(時にはいびきをかきながら)完全に寝てしまうこともあるみたいです。そんなリラックスしている馬たちの姿を見ていると、こちらまで脱力してしまいます。

プロ集団

力でコントロールすることを手放す

そもそも、「放牧」という言葉は家畜に使われる言葉ですね。馬の家畜としての歴史は約5000年と言われています。最初は狩猟の対象でしたが、足の速さと持久力に目をつけた人間は、移動や輸送、農耕や軍事のために使役をしてきました。大きな馬になれば体重1tを超えてきますから、踏まれたり体当たりされればひとたまりもありません。でも、馬はもともと、温厚で臆病な性質があります。それを利用して、人間は馬具を使い、鞭で叩いて、馬たちを力でコントロールしてきたし、今もなお、主流はそのようなのかもしれません。
しかし、私が出会った、馬のような人たちは、馬に痛みを与えることはもちろん、ロープの1本も使わずに、道具と力をもってするそれと、同じことをすることができることを実証していました。そこにいた馬と馬のような人たちの間にあったのは、道具ではなく信頼関係でした。

自分を放牧するということ

「自分放牧」という言葉が誕生したのは、馬と馬のような人たちから放牧について教わる前です。なぜそんなことを口走ってしまったのか。おそらくAだからBというような単純な因果はないと思っているんですけれど、実践をしながら帰納的に思考したり実験したりしているという、この頃になります。

まずは、プロたちに教わった、放牧の極意四箇条になぞらえて私にとっての「自分放牧」を考えてみます。

  1. 逃げる|馬は自分を捕食する相手から逃げているわけなのですが、私に置き換えると、苦手な存在から逃げる(ギャン泣きしている子どもの人、話し声が大きい外国の人、他責の人、声を張らないと隣の人とも会話できないほどうるさい居酒屋、夏の人混み、夜なのに眩しくらい明るい場所、、、キリがないのでやめましょう)ということになるでしょうか。

  2. 仲間といる|間違っても仮初の関係ではなくて、「今日も共に居ることができてよかった」と心から思える人たちと共に居るということになるでしょうか。でも、互いに依存や干渉はしないで尊重し合える関係。少なくとも、力でねじ伏せる/られる関係や、どちらか一方が我慢をしたり嫌な気持ちになる関係ではないということかもしれません。

  3. 草を喰む|信頼できる仲間と共に食卓を囲みたいということでしょうか。好きなものを好きな人たちと好きなだけ食べる。そして、食べるを一生懸命にするということ。見た目・味・香り・食感・咀嚼音、まさに五感フル活用で、「食べる」を味わう。そういうことなのかもしれません。

  4. 休憩する・微睡む・寝る|人間は起きている時より、寝ている時の方がデフォルトであると聞いたことがあります。確かに起きている時は、思考があっちへこっちへと忙しく動き回り、休まる時がなくて疲れます。次に何をするか考えない時間、何にも悩まない時間をとっていくということなのかもしれません。

また、馬のような人たちが、道具ではなく信頼関係で馬たちとの関係性を紡いでいる様子になぞらえれば、自分との信頼関係を構築し直すことでしょうか。つまりは自分との約束を守ったり、自分に優しく接したり、自分を尊重したりといったこと。ちょうど今までの人生を振り返っている今思うことは、ずっと自分を蔑ろにしてきたなぁということですね。好きなことすらわからなかったり、明らかなハラスメントもハラスメントされてしまう私が悪いと思ってみたり、、、。自分の身体・感覚・思考とも真摯に向き合い、自分に対して健全な自信を持てるようになると、今よりも自分放牧人生を謳歌できるのかもしれません。

この章の全ての文章を断定的に表現していないのは、私が「実践家」だからです。「自分放牧」に対して、断定的に定義できる言語的な説明を、今のところ持ち合わせていないということでもあります。
自分放牧が何なのかということや、自分放牧をした結果どうなるのかということ、自分放牧の条件などに加えて、自分放牧に関することだけではなくて、馬や自然から学ぶこと、日記のようなことも含めて、実践を通して見えてきたことを少しずつnoteに残していきたいと思っています。

満月の夜に

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