理想的終止符

 私はBAD ENDと言うやつをどうも好むらしい。逆にHappy Endと言われる部類の作品を観ると、何か腑に落ちないというか、満足感が足り無いというか、どうも味気なく感じてしまう癖があるようだ。

 その裏付けに私が小説であったり、映画であったり、音楽であったり、それらで心動かされ、時には涙まで零してしまうような作品たちは決まって救いようのない憂鬱感であったり、無常観があるのだ。


 BAD ENDはコメディーなところがある。狂気じみていて、常識を逸脱しているほどその作品には面白さが増すだろう。そこで一つ私の人生にも喜劇を描こうと思う。

 私の人生はこの前、大きな一つの章節が幕を閉じた。私は精神病棟で知り合ったある一人の哀しい少女との心中を図ったのだ。━━それは失敗に終わったが━━この出来事を私は空想の中で一つの映画にしたい。面白みのあるピリオドを打ちたいのだ。私達はある約束をした。「もし、私達の間に第三者が介入し、関係を途絶えさせた時にはあの海岸で再会しよう。」そこで私は最も絶望的で虚しい結末を考えついた。それをここに記しておきたい。

 彼女はその約束の場所に来ていて、私が来るのをずっと待っている。私が入院していることも知らずに何週間もただそこに座って待ち続けている。
  やがて彼女は冬の海風に凍え、コンクリート塀に背を掛けたまま腐敗していくだろう。そしてその凍死体を海岸に棲み着いている捨て猫たちが貪り食うのだ。遺骨だけになったその子は潮の満干きに依って、その場所に居た気配すら亡くしてしまう。
 そんな事件があったことなど知らず、私は度々その海岸へ散歩し、彼女の腐敗臭の混じっている潮の香りに深呼吸をするのだ。
 どうだ、卑猥に歪んだ空想ではないか。その情景を思い浮かべるだけで、私はその艶めかしさに興奮を抑えきれずにいるのだ。

 『人は死ぬときに最も輝いて見える。』

 青猫が処女作で提唱したこの仮説はあながち間違いでは無いのかも知れない。

 それとも、これではどうだ。
 同じく彼女は私を待って、あの海岸に居る。しかしあの周辺には変質者が多くあると聞く。そうして彼女はその変質者の一人に強姦されるのだ。

 嗚呼なんと虚しく、乙な話だろう。来ることのない想い人をただ待ち続け、挙げ句見知らぬ男にハメられる。
 とんだ喜劇だ。そして彼女は子を授かり、独り、その子を育てて生きていく。

 そんな恍惚で小説的な事が起きるのなら、私があの子と関わり合った事にも少しは意味があると言えるかも知れない。

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