ステイマンの賞味期限(子育ての話)
夜な夜な現れては、家に散らかるオモチャを捨てる”清潔の怪人ステイマン”。
「オモチャ片付けんと正義のヒーロー ステイマンが来るよ」と言うと、子供たちは「ヒーローじゃないし」とか「どうせ おとうじゃろ」とかくちごたえしながらも、玩具をちゃんと片付けていた。
なんといいアイデアを思いついたものだと自画自賛していた……が、時が経つにつれ、ステイマンの存在意義は怪しくなった。
彼らが片付けていなくても、先週の誕生日に買ったロボットをゴミ箱に捨てることなんてステイマンには出来ない。義理の父母兄弟から頂いた物を捨てようものならステイマン自体が窮地へ追い込まれる場合だってある。
結局、ステイマンが片付ける。
すると、彼らは気づいてくる。”ステイマンは……捨てない”と。幼児は馬鹿ではない。ただ知らないことが多いだけで大人と変わらないくらい賢い。
仮病だってお手のものだし、泣き真似も上手だ。泣き声をあげてるのに涙は出ていなかったりする。なんなら必死に出そうとしているようにも見える。それに気づいてつっこむと、はにかんだ笑顔を見せながら小さな手で叩いてきたこともある。
だいぶ前のことだが、寝静まった後でベッドへ行くと、子どもの下腹部あたりから大きな丸い染みがシーツに広がっていた。
ありゃ。これは、久しぶりにやっちまったな。
とりあえず「どうしたの? これ」と声をかけると、子どもは、はっと顔を起こして瞬時に状況を把握し、「うわー。めっちゃ汗かいた」と大嘘をついた。
「いや、秋だし」と思わず口に出し、こみあげる笑いを必死に堪えた夜。
話が大きく逸れたので、元に戻すと、ステイマンは己の存在意義を取り戻すべく、その名の通り、散らかったままの玩具を捨て始めた。
もちろん、捨てる物は選ぶ。ガチャの玩具、お菓子のおまけ。ハッピーセットの玩具は少し迷うが、捨てる時もある。多少の本気は見せないといけない。
それが功を奏したようで、ステイマンがその名のとおりに散らかしたままのオモチャを捨てたという事実に彼らは驚き、「ステイマンが来るよ」の効果は回復の兆しを見せはじめた。
だが、いつの間にか、だけど確実に時は経って。彼らはすくすくと成長する。悪知恵も身につく。彼らはあろうことか”清潔の怪人ステイマン”を”ゴミ捨て代行便利怪人ステイマン”に変えてしまったのだ。
「これ、片付けて」というと、「もう要らないし、捨てていいよ。そのままにしてたらステイマンが夜、捨ててくれるから」と。
アンビリーバボー。なかなかやるじゃないか。
結局、我が家からステイマンはいなくなった。寝ている間にプレゼントを置いてくれるサンタクロースがいつかいなくなるように。
また話は逸れるがサンタクロースが僕ら父母であることにうっすらと気づいた姉は、その真偽を確かめたいという一心で、ある時期しつこく聞いてきた。
教えてあげてもいいけど、まだ早いかなと思って、受け流していたのだが、いつの間にか、彼女がそれを口にすることをやめ、弟と一緒にサンタクロースへの手紙(欲しいものリスト)をせっせと書き始めたのだ。
彼女はきっと気づいた。サンタクロースは僕らだが、それに気づいてしまうとサンタクロースはいなくなり、プレゼントもなくなることに。
いなくなったステイマンにせよ、居続けることになったサンタクロースにせよ、彼らの成長をありがたく思う。
毎日、一緒にいるとわかりにくいけど、着実に僕らは老いていき、彼らは成長する。弟の舌足らずで言いまつがいばかりの今が、姉を抱きかかえられる今が、いつか無くなる大切な時間だと心から思う。
結局、ステイマンのなき今、僕は、部屋が綺麗であることがいかに心地よいことかについて真正面から洗脳?教育?を始めている。
さらばステイマン。次は孫の時に会えたら会おう!
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