エッセイ 社会問題ってなんですか?

僕にとって社会問題は「人々の機嫌の悪さ」なのよね。機嫌悪いんでアホな喧嘩するし、旧社会的な縛りもえらそぶる口実に生かされていくし。なので正直にいうと世間にある問題意識もだいたい違うな、と思ってしまう。いや論としては賛成でも、どこまで共感できているかというと、、、と。

そうだけどじゃぁ環境問題はどうなんだと言われそうだが。まず自然さんに問題はないんで環境問題というよりか環境破壊問題とか世界経済問題とか、人間さんのはなしだし。

あのね、自然を考えるとさ、仮の答えは出せる。出せるけど、後から答えがわかるの。これが自然をわかっていることかもしれないよね。逆に、先に答えがわかっているものもある。現代人、少なくとも近代人にとっては、巨人の肩といわれるやつがそうで、概ねそれだ。だから、基礎学問を勉強をしておけば先に答えがわかるものを知っておけるんでその点では楽になるんだよな。

基礎
 勉   や
  強   る
   を   理由。


つまり社会の中にはいくらか答えが先にある。もちろん社会を観察して後から分かったこともあるし、まだわからないこともある。近代・現代社会の中は先答なのよ。自然は後答なの。社会の中に自然観が薄れちゃってるのね。

それで自然が大事だから社会このやろーってなるわけじゃない?それもまた先答なのよ。だからどうするのかって、社会の中に、自然から感性で捉えてきた物事、表現物というかを取り込んで増やして、その影響を受けてもらえるようにしたいのよ。

文化・メインカルチャーが、文明経済・サブカルチャー(ごめんね)に押されちゃっている。両方ないとだめだよ。メインカルチャーは年月が経っても生き残っている変化の少ないものだけど、それじゃ刺激が感じられないのは知の探究心の問題だよ。

自分のやりたいことがわからないと悩むそうだが、現実の中で一人で遊べないのに「自分」の興味はなかなかわからないよ。遠い。間ができてる。そういう子供時代を設けていないと思うよ。それと同じで、自然だけでなく多くの現実には後答だらけだったと、そこの勘違いが薄れて現在の空気から抜けると、知の探求心は勝手に動くでしょ。現実の中を独学しないで自分の特異がわからないと思うよ。なかなか遠いでしょ。勘になっちゃう。「自分」「私」っていうのならね。

まとめ

社会問題は「人々の機嫌の悪さ」
その原因は「先答と後答の区別がぐちゃぐちゃ」「先に答えを求める」(あまり求めないのがリテラシー)

イリイチの、「例の道具」の話も多分、感性の自然を社会にという僕の感覚と重なる気がするし、知の探究心・独学というのも「脱学校」なのかもなと。ちゃんと読んでいないけど。←ちゃんとやると、やったあとに知れる。

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