ましん・あったかもしれない人生

のら学徒。興味は旅行、美術館巡り、野遊び、読書。 やりなおし人生。そこから盛り返した…

ましん・あったかもしれない人生

のら学徒。興味は旅行、美術館巡り、野遊び、読書。 やりなおし人生。そこから盛り返した経験は、誰かの役に立つかもしれない。

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現在の生き方について

はじめに周囲の人や世間の様子が気になる。自分の核、自分の情熱とかがわからないのだという。僕もその気持ちはわかる。そこを壊して自分を変えてきた。 そういう問題は、幼少期の環境の影響があるという話に納得している。具体的に書ける量じゃないので省くけど。世代世代で具体的なものは違うはずだし、個人個人でも違う。 そこで最近は精神療法系の話に興味が出てきた。以前にも興味はあったのだが、自分が立ち直るためだった。今回の興味は、これから書くような現実と人生と広がりの時空間がマッピングでき

    • パソコン上のメモが大量になっている。どうするんだ?と。取捨をして整えだした。それをどうするんだと。投稿してしまえばいいかなと。読まれることを考えていないのだけれど。考えてもできなかったしな。

      • 「共感の正体」 読んで思ったこと

        まず現在では基本的に、 ・認知的共感 ・情動的共感 この二つがあると考えられているようだ。 また、苦しんでいる相手と同じ感情に襲われるため、共感的苦しみに押し潰されたり誤った判断に導かれたりするという理由の反共感論もある。災害や戦争のニュースで、苦しくなってしまう人もいるだろう。 相手の言っていることがわかるというだけで共感していることになっている現在。共感について何も考えていない共感論がふるわれている。いじめも、仲間内と外とで敵友の線を引くのも、状況が見えていないと思う

        • 贅沢に金かけても 自分に返ってくる事があるけど 楽するために金かけて 消える事が多い気がする まとめたら ケチとめんどくさいが 将来を開かないように思える

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          「自助社会を終わらせる」 読んで思ったこと

          自助社会の問題を考えるとき、金銭的なものと関係性的なもの(心理的なもの)とがあると思う。 1自助社会は、結果的に人々を、自業自得だと切り捨ててしまうようになってしまった。必要以上に切り捨てられてしまう。自助できたらあなたは合格。その上下を作ってしまう。浮上しやすい人と沈殿しやすい人を生んでいると思う。 そこではケアの気持ちがなくなってしまう。なくても社会的に問題がないように見えてしまう。結果的にビジネスでケアがなされているし、自分の役割ではないことだし、となってしまう。ケ

          「自助社会を終わらせる」 読んで思ったこと

          「陰謀論はなぜ生まれるのか」 読んで思ったこと

          大衆が脅威になってきている、その一部が見えてくる。 1Qアノンとコミュニティブームが重なってみえた。目的を共有する友人ができるということが心的に大事だという部分だ。情報のシェアという時代がQアノンを産んだのではないだろうかと問いが浮かんだ。 10年代にスモールワールドネットワークだとかの感覚で、世界はつながり人々に知が行きわたり、人類は理性的になって飢餓や戦争がなくなっていくくらいに理想が示されたものだけど、全然中身はそうじゃなかった。よく考えれば当然、よいものだけが伝播

          「陰謀論はなぜ生まれるのか」 読んで思ったこと

          透明人間_不透明人間

          透明人間は見えない。不透明人間も見えない。 また不可視な存在といえば、姿はありきたりで気に留めることがない場合もあるかもしれない。逆に、魅力という点で何もなく「アンテナ」が動かないとか、場合によっては意識することが面倒に巻き込まれるようでファスト回路上受け付けようとしないとかだろうか。 どちらにしても人間はあまり見えない。要は、他人から私などは見えとらん。第一印象に、世界がものがたりされている。現実が見えなくて幻影が見えている。 「自分」と「私」は違うもの。「自分」は身

          しゃべれる限度があるはずなんだ

          小言になってしまうのだけど。ふと思ったことを挙げて、そこから勝手に広がっていく話が書けたらなと思って。 以前の社会では、他人の話に聞き耳立てるのは行儀の悪いことだった。同時に他人に話の内容がわかってしまうように喋るのも行儀の悪いことだった。今はそうではなくなった。 要は、気にすんな&うるせえなぁと感じるようになった。建物の音の反射が大きくなったり、ネットスマホ時代になって情報の外に出られなくなってしまったのは外部要因だと思う。それだけでなく、喋ることの行儀が悪くなっている

          しゃべれる限度があるはずなんだ

          この冬に買ってよかったものは馬油です。手の荒れが「治った」し、むしろ冬に肌がよくなった。

          この冬に買ってよかったものは馬油です。手の荒れが「治った」し、むしろ冬に肌がよくなった。

          書いたけど酷くて消した。 それと、つぶやきってどう使ったらよいのか。というかまさにつぶやいているのだけど、つぶやきだからこれでいいのか?

          書いたけど酷くて消した。 それと、つぶやきってどう使ったらよいのか。というかまさにつぶやいているのだけど、つぶやきだからこれでいいのか?

          小説は時をまとう

          小説は時代を表すことがある。最近の作では「成瀬は天下をとりにいく」や「東京都同情塔」がそんな出会いだった。それで「成瀬」のメモが出てきたので、投稿に使おうと。 はじまり ネットでつながり、島や村が強制的に開かれた。国民のほぼ全員で漱石と同じ悩みを持つ時代になった。 単独で、(浅い)社交をしなければならなくなった。協調性から社交性に切り替えなければ、心地よくいられなくなった。ただ単に挨拶の練習が重要になった。既存路線上ではこうなってしまう。 人間関係=情、で考えなければ

          自己の回復

          ビジネスは万能ではない。人々の燃え尽きはビジネスのないところで解決される。 なぜ自己実現してしまうのか?自己実現前の自分は、まだ自分ではないのだろうか? 本体:ボディを持つものは「時」をまとう。ボディのない情報状のものは「時流」はあるが「時」はまとわない。 終戦直後の本は、紙の質が違ったりするらしい。数年で紙質が回復してきても、書き残さなければならない優先順位の高いものからになっただろう。ボディがすでに何かを言っている。「時」をまとっている。 デジタル化されたものは、

          ネタが溜まりすぎていると書けなくなるな。ありすぎてまとめることが難しくなる。ごめんだけど前段階で出してしまわないと、ブログはできないなぁ。

          ネタが溜まりすぎていると書けなくなるな。ありすぎてまとめることが難しくなる。ごめんだけど前段階で出してしまわないと、ブログはできないなぁ。

          追いつかない。ってだけなのだけどな。力を出せることをしているのならというところだけど、まだまだ成っていない。いったいいつ成るんだ、早く成らないとどうにもならんぞというのはわかるしそこなのだけども。

          追いつかない。ってだけなのだけどな。力を出せることをしているのならというところだけど、まだまだ成っていない。いったいいつ成るんだ、早く成らないとどうにもならんぞというのはわかるしそこなのだけども。

          成体と聖人

          たいへんおしゃれなカフェで、ただの暇つぶしにしか見えない人がいました。実際には僕も含めてまず全員暇つぶしなのですが。 僕などは近くに来たからといっても、カフェ読書をしにきているわけです。周りではオシャレ気分を求めるなどの目的を持って、少なくともそれを兼ねて、そうしているように感じました。 「なぜカフェで過ごすか?」「どのような私でいたいのか?」 ただの暇つぶしに(過度に、人造的な、現代性の、)理由をつけなければ居れないという僕たちに気がつきました。そんなことを考えていたら

          森の生き物

          政治への興味が薄れているといいます。そもそもの政治とはどういう働きなのか? 政治が操作するのは、理想とか未来ではなくてすでにあるもののようです。すでにある、ハンドルやペダルやキーボードみたいなものを操作して、バランスや流れを変えていくこと。 例えば自動車を運転することであって、UFOを運転することではない。持っていないものを運転できません。政治は非常に「勘定」的なものでした。その上で、A派意見やB派意見に投票される。 夢の社会や新しいビジョンなどは一義的には政治ではなく