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人生を変えたとある劇団 〜芸術で魅せる1%の人間達〜

自分の人生について悩み、将来のことで漠然とどうしたらよいか悩んだことはないだろうか

かつての僕も悩んでいた
良い大学へ、良い企業へ、安定して堅実な生活を築く
そういう教育を受けそうすべきと刷り込まれていた
今では考えられないそんな価値観を変えてくれた劇団がいた
今日はそれについて話したい

まだ青かった頃の僕

劇団に魅せられて何がどう変わったかお伝えする為にかつての自分について話したい
僕はよくいる一般的な家庭に育ち、中学生まではずば抜けて頭がよかったが大学受験で挫折を味わったいわゆる学歴コンプ勢だった
そんな尖っている頃の僕は、大学生になって
「この学校の人間はクズだ」と罵倒し見下していた

ただ父からありがたい説教を受け心を入れ替え
大学で出来ること全てやり尽くすと決心し、
舞台音響・照明専門の部活に入った
この部活での経験が僕の人生を大きく変える
今回の記事はその一つの例だ
数ある事案の中の一つに過ぎず青春の思い出と共に多量の経験が詰まった話だがそれはまた別の記事で書いていく

誰も知らない小さな劇団

舞台音響照明専門の部活に入ったため劇団の講演のサポート依頼などが来るわけだが、20歳の僕は名も知れぬ劇団の公演アシスタントについた

新宿の外れにある小さな小屋
お世辞にも綺麗とは言えない、小さなボロい家の一階がステージ兼稽古場だった
そこに機材を運び込み2週間ほど練習期間と本公演期間サポートすることになっていた

30〜50代のメンバーが、くたびれた格好をして稽古場にやってくる
平日のこんな時間からやっているわけだが、彼らは普段何をしているのだろうか
たかが知れている
いい歳してフリーターや実家暮らし
定職につかずふらふらしてる輩
そんな奴らをちっとも尊敬できない
むしろ軽蔑した
こんな大人になりたくないと冷めた目で見ていた

演者たちとの交流

2週間という期間、ずっと劇団の稽古場に張り付いていた
学生なので授業もあるがシフト制で上手く回し毎日誰かしらがサポートしていた
僕は大学終わりに電車に乗り、総武線で大久保駅に降りた
駅で演者の人と会い声をかけてもらった  
そのまま一緒に稽古場にむかった
演者の人たちは人当たりはとてもよく、優しい人たちばかりだった
まだ20歳の若い学生たちに対して優しく、どこか可愛がっている様子だった

2週間という期間、時には晩御飯を作ってくれて、部員と演者の皆さんと共に食卓を囲むこともあったが依然として冷めた目で見つつ一定の距離感を保つようにしていた

迫る本番

いよいよ明日から本番が始まるといった頃
稽古場の空気が張り詰めていくのがわかった
演者の顔はどんどんは険しくなり、リハーサルで熱を帯びていくのを感じた

僕は、そんな中でも斜に構えていた
「集客も大してせず、自己満じゃないか」
常にそう思っていた
当日部員がサクラとして参加する予定だった
誰も来ないのではないか?と僕は考えていた
2週間延々とリハーサルを見せられた内容をまたサクラとしてみるのかと思うと気が重くて仕方がなかった

始まった舞台と強烈なショック

そして迎えた当日

前日までの僕の予想をはるかに超えるほど人が劇団に訪れた
人が押し寄せ箱詰め状態
午前・午後共に満員だった
中には、なぜこの人がいるのかわからないぐらい某大手芸能事務所の社長も来ていた

その時点で僕はこのボロい舞台小屋の異様な空気に飲み込まれていた

座長の挨拶が始まり開演のブザーが鳴った
全ての照明が落ち観客たちの張り詰めた息をこらえる音だけが、暗闇の中で静かに響いていた

ライトが煌々と灯され舞台が始まった

そこからの記憶は鮮明に覚えている
ひとりひとりの表情、芝居の演出やストーリー、メッセージ性すべて覚えている

普段はくたびれた、覇気のない大人たちが舞台の上で輝いていた
この2週間一緒に過ごした人達とは思えないぐらい輝き、まさに舞台の上で「生きていた」

彼らを見て僕の人生観は大きく変わった
舞台で輝く演者たちに心底憧れた
自分のやりたいこと、自分のなりたい姿を実現している彼らは誰よりも生きていた
自分たちの人生を謳歌していた

昨日まで馬鹿にしていた大人たちに、人生のすばらしさを魅せられたのだ
その時、自分の知見の狭さと感性の乏しさ、偏った人生観を恥じた

静かにエンディングを迎え、ライトが消えまた暗闇が劇場を包んだ
他の観客と同様心からの拍手を送った
何度も見たはずの演劇が、まったく別の物に感じた
この数時間で僕は人生が大きく変わった
芸術に魅せられたのだった

新たに得た価値観〜自由とは何か〜

より自由に、より自分らしく生きていく
それが現代社会において何よりも難しいかもしれないと今でも改めて思う

彼らの舞台を見てから僕は、自由への強烈な憧れを抱くようになった

自由とは何か、時折考える
自分が思った事を思うようにできるのも一種自由だ

だが僕が求めるのは、役割や制約のある中での自由だ

演劇における役割とストーリーのように、自分には社会的なロールが課せられている

その中で自由に生きていきたいのだ

ボーダーレスの自由、いわゆるfreedom的自由ではなく制約下にある自由、Liberty的自由を切望しているのだ

僕は死ぬまでに自分の役割を全うし自由に生きたい

1%の人間と99%の人間

そんな話を友人に話したところ、友人から印象深い意見が来た

「お前は1%の人間を見て1%に憧れたんだ。
俺は99%の人間を見て1%に憧れた。
何か暗黙の了解で決められた、いわゆる常識化された人生を歩むより、自分が自分らしく生きていける人生の方が価値がある。
だから俺らは自由に生きよう、自由になれるぐらいの大人になろう。」と

友人はすこぶる優秀なやつだ
某名門私立大学院卒、文武両道、才色兼備、非の打ち所がない友人の周りには当然優秀な人が多かった

だが社会一般の優秀な人であって、皆が一様に新卒で大手企業に吸い込まれミイラの如く働く姿に嫌悪感を感じたらしい

なぜそこまで優秀な人が、尊敬していた先輩が、当たり前のように引かれたレールを何の疑問も持たずに乗れるのか、さっぱりわからなかったらしい

彼の言う99%の人間はそういう人らのことらしい
そういう意味では僕が憧れた劇団員は1%の人間だろう

人生の価値は?

最後に人生の価値について読者に問いたい

人生に価値はあるのか?
僕は、結論価値はないと思う
どこまで行っても自己満足だろうと考えている

ただそんな価値のない人生でも、ちっぽけな人間でも1人でも多くの人に感動や喜びを与えられたらそれは本望ではないだろうか

そういう小さな自己満足を積み重ねて、
今際の際に、僕は自分を愛せるようになりたい

そのためにはきっと自分が納得する自由な生き方が性に合っているのだろうと思う

やはり劇団には感謝しなければ、と心から思う

あなたも自分の人生を見つめてみてはいかがでしょう?

自分の価値や人生の意味に悩んでいたら
ふらりと立ち寄った店や何かに誘われたその裏路地に、誘われるのも良いかもしれない

そこに人生を変える出会いがあるかもしれないのだから

そう考えると、人生捨てたもんじゃないでしょ?
悩める現代人に贈る、1%の人間達の話でした


Written by ポロポロ

ポロポロ

名前:ポロポロ
東京でなんとか生きてる26歳。
酒と映画が好き。
カメラマンとかサークル運営とか色々してた。
仕事はコンサル系
セミナーを開きたいと今日この頃思う。
noteは不安な夜に自分の気持ちを書き始めたのが
きっかけ。
モチベーション理論系の記事と独り言とたまーに
人付き合いについて書いている。

Twitter @ryunenkowakatta
Instagram  @chanry1152

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