ぼくはこんな風に生きてきた@ぽよ official

はじめまして!終活の一環として自叙伝風の随筆を書いていきます。ぼくって、どんな人だった…

ぼくはこんな風に生きてきた@ぽよ official

はじめまして!終活の一環として自叙伝風の随筆を書いていきます。ぼくって、どんな人だったのかを 書き進めながら見つめていきたい。同じような心境の人と交流していきたい。そんな想いです。 よろしくお願いいたします。 noteは超初心者🔰なのですが、 noteの世界観は好きです😊

最近の記事

小学生の時に、ぼくは一生分泣いた

ぼくの人生を語るときに、欠かすことが出来ないテーマがある。 それは、今風に言うと、毒親との関係。 ぼくの家族は配送業の父親と近所でのパート勤めの母親と 二学年下の弟との四人家族。 父親は当時の普通を地でいってた人で、特にギャンブルで 家計を脅かしていた。 母は気丈で勝ち気でお姫様気質で自分中心主義の人。 弟は寡黙でマイペース。 ぼくと母とは特に家庭の経済事情について、 毎日のように激論を交わしていた。 一回始まると数時間はうるさく激論。 日常茶飯事なので、父も弟

    • 勉強は通信教育で

      小学校での習い事は、ことごとく、同じクラスメートが居ない所だった。 そのため、同じクラスメートとの遊びを優先して、 習い事をサボりがちになったり、 クラスメート同士が共通の塾の話をしているのが羨ましく思った。 ぼくの場合は、通信教育の販売をしている人から、母がお付き合いで 契約したもので勉強をしていた。 最初は自分で選べなかったこともあり、 教材はどんどん溜まっていったが、根っからの貧乏性のぼくは、 卒業まで残り少なくなってきてから、猛スピードで着手して、 何度も数回分

      • 修学旅行は伊勢志摩

        小学六年生の一大イベントは、やはり、修学旅行。 家族が居ない旅行は初めてで、それも、宿泊付き。 少しづつ行動範囲を拡げて生きてきたぼくにとっては、 数段飛ばしの大冒険。 電車もバスも船も乗るという、、、。 当時は乗り物酔いをする方だったので、酔い止めをいっぱい飲んだ。 行ってみた感想は、とても良かった。 幸い乗り物酔いは軽かった。 あの時の伊勢志摩の景色は今でも覚えているほど。 みんなで入る温泉も、 みんなで買いに行ったおみやげも、 みんなで食べた旅館の料理も、

        • 文明開化のようだった小学四年生

          ぼくの小学四年生は一気に遊びや関心が花開いた時だった。 それまでの超貧乏なアパート暮らしから、少し小綺麗なマンションへ引っ越して、文化度も上がったのかもしれない。 近所の公園では毎日のように、野球に興じて、漫画のドカベンに憧れて、 キャッチャーミットとキャッチャーマスクを買ってもらった。 夏休みには淡路島で出来た友達とリモコンプラモデルの戦車を買って、 よく対戦していた。 とにかく漫画はいっぱい読んだ。 覚えているのは、藤子不二雄と石ノ森正太郎だっけ。 仮面ライダー

          銭湯巡りに目覚めた小学四年生

          内風呂がない家が珍しくなかった時代。 近所の同年代の子供たちだけで自転車で近所の銭湯巡りをするのが 数か月、流行った。 家の目の前が銭湯だったので、小学四年生たちだけでも 親は安心して、銭湯通いをさせていた。 銭湯が休日の時には、近所の銭湯に自転車で出かけるのが、 ものすごい冒険をしているみたいで、とても楽しかった。 もちろん、 銭湯ごとに特色があり、中でもサウナ&水風呂に夢中になっていた。 夕方のまだ、混んでいない、何なら一番風呂の時間帯に 子供たちの歓声がこだまし

          死の恐怖を乗り越えた小学三年生~その2~

          小学二年生で「死の恐怖」を知ってしまって、 憂鬱な日々を過ごした小学二年生だったが、 小学三年生になって乗り越えられた。 その方法は心理学を知らずに行っていたのだが、理に適っていた。 その方法のその2は、「没頭する時間」 ぼくの最初の習い事は「そろばん」だった。 覚えているのが小学三年生からだが、 当時の自宅が小学校区の境界付近だったので、 歩いて通える「そろばん塾」は通っていない小学校区にあった。 そのため、塾生のほとんどは知らない子。 だけど、塾生も多く、指導

          死の恐怖を乗り越えた小学三年生~その2~

          死の恐怖を乗り越えた小学三年生~その1~

          小学二年生で「死の恐怖」を知ってしまって、 憂鬱な日々を過ごした小学二年生だったが、 小学三年生になって乗り越えられた。 その方法は心理学を知らずに行っていたのだが、理に適っていた。 その方法のその1は、「非日常の充実」 ぼくは自他ともに認める、おばあちゃん子だった。 覚えているのが小学三年生からだが、 小学校の夏休みと冬休みは終業式直後から次の始業式直前まで、 母方のおばあちゃんの所で弟と二人で寝泊まりをしていた。 おばあちゃんは耳が遠くて、会話には困難を期たして

          死の恐怖を乗り越えた小学三年生~その1~

          死の恐怖を知ってしまった小学二年生

          小学一年生までは恐怖を何も知らず、貧乏ながら天真爛漫に生きていた。 それが死の恐怖を知ってしまった衝撃から、人生は急降下していった。 ことの発端は、ぼくの読書好きから始まった。 両親共働きでカギっ子だったので、 小学生帰りは近所の児童館にある図書館で過ごすことが多かった。 いろんなジャンルを読み漁っているうちに、 日本昔話だったと思うが、「耳なし芳一」を読んでしまったのである。 ほぼ同時期に、アニメなどで音声付きで見てしまった。 その臨場感に、ほんとうに恐怖した覚えが

          死の恐怖を知ってしまった小学二年生

          人生のピークが小学一年生だと気づいた

          終活の一環として、こうしてnoteを書きながら、人生を振り返っている。 出来るだけ赤裸々に向き合いながら、書こうとしている。 そうしていると、ふと、 人生のピークが小学一年生だったと気づいた。 それは、貧乏ながらも家族みんなが健康だったのは、もちろん。 担任の女性教師に対する初恋の情があったのも、もちろん。 ぼくは今も生きているのに、この先も少しは未来はあるのに、 人生のピークだと断言できる理由は、 怖さを知らなかったから! 天真爛漫とは、この時のことだったと、今で

          人生のピークが小学一年生だと気づいた

          プロフィールアイコンがひまわりの意味

          超初心者なので、プロフィールアイコンはどうしようかとても迷った。 迷った末に、生きていく信条みたいなものを表現しようと考えた。 今年の夏に実物を見て、その太陽に向かって、おおらかで、のびやかな様が とても印象的だったので、これだと思った。 ぼくの生きていく信条は、ひまわりのように、 太陽に向かって顔向けが出来る。 そうでなければならない。 そうであって欲しい。 そういう想いです。

          プロフィールアイコンがひまわりの意味

          ぼくの初恋は小学一年の担任の先生

          人生を振り返った時、初恋の人は誰だろうと思った。 同学年や近所の女の子は、みんな同じに見えていたように思う。 そんな状況で小学一年の担任の先生は、 先生自身の初々しさと ほかとは違う確立した女性であり、 毎日、顔を合わせるということもあって、必然的だと振り返ってる。 毎日が充実していて、 目立ちたがり屋全開で過ごしていたようだ。 黒のランドセルがピカピカで、意気揚々としていて、 先生に名前を呼ばれるために、頑張っていたようだ。 恋の成就の仕方もわからないまま、 担任の

          ぼくの初恋は小学一年の担任の先生

          保育園を脱走して帰宅する

          保育園での思い出は良かったことが多かった印象。 だけど何があったかわからないが、 一度だけ、 保育園を脱走して、自力で歩いて帰宅した事があった。 その時の母の慌てぶり、とまどい、怒りが 忘れられなかったのだと思う。 脱走はそれ以来、していなくて、無事に卒園できました。

          覚えている人生最初の記憶

          ぼくが覚えている人生最初の記憶は保育園の時。 これが遅いのか早いのかわからないが、 比較的楽しい思い出で良かったと思っている。 その記憶は保育園のフェンスをよじ登って、 ブロック塀の上を楽しそうに歩いているシーン。 ひとりきりでしたが寂しそうな印象はない。 この頃のぼくは枠にとらわれずに遊んでいた。 自由を満喫していた。

          一人称としての、ぼく

          父親のことを父と書いてみたが、 実際には呼んだことがない。 母はパパ、ママと呼ばせたかったようだが、 何も知らない小学生でそれは止まった。 そこからほかの人は父さん、オヤジなどと 変遷していくようだが、言いそびれた。 同じように、 ぼくはオレとか自分は、とか変遷しそうだけど、 これも言いそびれた。 おかげでビジネスの場でも何でも ぼくは、しか言えなくなってた。

          産まれてきてしまった

          どんなつもりなのかわからないけれど、 ぼくは産まれてきてしまった。 わかろうとしなかっただけなのかも知れない。 だからぼくは赤裸々に自分の人生を振り返る。 産まれは、大阪市。 運転手の父とパート勤めの母との長男。 貧乏だったと思う。

          はじめまして!自己紹介です

          終活の一環として、自叙伝風に書き留めよう。 ぼくって、どんな人だったんだろう? 自分のことは自分が一番知っているなんて勘違いで、 ほかの人が指摘する、ぼくの事がしっくりくることもあるけれど、 人生の背景を知った上で受け止めて自分なりの振り返りをしてみたい。 自分への探求の随筆です。 これから書き進めていく記事が自己紹介の連続です。 なるべく赤裸々に書いていくことを自らに課そうとしています。 同じような心境の人と交流していけたら嬉しいです。 よろしくお願いいたしま