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死の恐怖を乗り越えた小学三年生~その1~

小学二年生で「死の恐怖」を知ってしまって、
憂鬱な日々を過ごした小学二年生だったが、
小学三年生になって乗り越えられた。

その方法は心理学を知らずに行っていたのだが、理に適っていた。

その方法のその1は、「非日常の充実」

ぼくは自他ともに認める、おばあちゃん子だった。

覚えているのが小学三年生からだが、
小学校の夏休みと冬休みは終業式直後から次の始業式直前まで、
母方のおばあちゃんの所で弟と二人で寝泊まりをしていた。

おばあちゃんは耳が遠くて、会話には困難を期たしていたが、
小学三年生のぼくには、そんな事は気にならないくらい、
笑顔を始めとした非言語会話で充実した日々を送っていた。

おばあちゃんは淡路島に住んでいて、
毎日のように、新鮮な海の幸、おにぎり、玉子焼き、すいか等の
ごちそうをふるまってくれた。
これらは生涯の大好物となった。

普段の日常や両親と離れて大好きな、おばあちゃんとの夢のような毎日。
朝はテレビを見たり、宿題をしたり、近所の山の散策をした。
昼からは、おばあちゃんの家から水着で歩いて海水浴場に通った。
おかげで二学期には誰よりも陽に焼けていた。

この夢のような生活は、高校三年生まで続いた。

ぼくが曲がりなりにもダメにならなかったのは、
おばあちゃんから無償の愛情をたっぷりと非日常で浴びてきたからだと言える。

メンタルが不調な時は、日常から切り離された非日常で、
大好きな人から無償の愛情をたっぷりと浴びることが、
ひとつの対処法だと言える。

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