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" 伝えたい " と思う気持ちと " 受け取ろう " と思う気持ち。それが・・・「魔法のコトバ」を紡ぎ出していく。

[○プロローグ]

『青羽紬 : 好きな声だった。好きな声で、好きな言葉を紡ぐ人だった。』

『silent』・第1話「本気で愛した彼は音のない世界で生きていた」より


実は先週末、録り貯めてあった『silent(CX系・2022年)』を一気に観た。


*『silent』・ポスタービジュアル


この作品が巷で旋風を巻き起こしていたことは、当然、知ってはいた。しかし、そのような状況下の真っ只中で観てしまうと・・・ 先入観とバイアスなどによって、作品の鑑賞自体を楽しめず、また筆者らしい考察や解釈が出来ない可能性もあると考え、全ての放送が終了してから鑑賞しようと考えていたわけだ。

そして満を持して観てみると、一見、単純な恋愛ドラマと思いきや・・・ 実は恋愛以外のテーマをより深く、丹念に描いていることに驚く。特に " 聴覚障害を持つ方々の葛藤と苦しみ " と " 聴者が知らず知らずの間に抱いている傲慢 " というものを、視聴者に鋭く突き付けてくる。不覚にも、こんなにも感動するとは・・・ 思ってもみなかった(笑顔)。

正に素晴らしい作品だったという一言に尽きる。巷で旋風を巻き起こしていたことも当然なわけだ。今後、『silent』の分析・考察記事も書きたいと思うほど、強く心を惹かれた作品だった。


それで、『silent』を観れば観るほどに脳裏をよぎるのは、この作品と同様に聴覚障害を取り上げた『ファイトソング (RX系・2022年) 』の・・・ 特にドラマの中では取り上げられなかった、主人公の木皿花枝(演・清原果耶氏)の " 空白の2年間の苦悩と葛藤 " を、『silent』によって追体験しているような感覚だったのだ。


*『ファイトソング (RX系・2022年) 』


そして『silent』を観た後に、『ファイトソング』を観ると・・・ また新たな感慨と一味違った圧倒的な感動に襲われる。また、同じく清原氏が主演した、連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』とも共通する、" 優しくて切ない " という世界観も、丁寧に描かれていた。今回の記事は " そのような視点 " を踏まえながら、ロジックを展開していきたいと考えている


○彼は・・・ " 音のない世界 " で生きていた。


まず、『silent』をまだご覧になっていない方々もいらっしゃると思うので、第1話のストーリーを簡単に説明したいと思う。ドラマをご覧になった方は、この章は読み飛ばして頂きたい。

高校時代の主人公・青羽紬(演・川口春奈氏)は、クラスメイトの佐倉想(演・目黒蓮氏)の " 紡ぐ言葉とその声 " に惹かれて興味を持ち始める。


*佐倉想(演・目黒蓮氏)と青羽紬(演・川口春奈氏) [『silent』・第1話「本気で愛した彼は音のない世界で生きていた」より ]


佐倉は音楽と文学を愛する青年だった。青羽は音楽を通して佐倉との距離を縮め、交際に発展する。そして二人でよく聴いた楽曲は、スピッツの『魔法のコトバ(2006年)』だった。



高校卒業後は青羽は地元の短大に進学し、 佐倉は東京の大学へと進学する。青羽は遠距離恋愛にはなるものの、お互いの関係性は決して壊れないと考えていたが・・・ 進学直後に佐倉から、一方的に『好きな人がいる。別れたい』とのメールが、彼女の元へと届く。それ以降、全く連絡が取れなくなってしまう。さらに、佐倉は高校の仲間たちとも連絡を絶ち、音信不通になってしまっていた。

それから時は経って、就職を機に上京した青羽。高校を卒業して8年後、青羽は同じ高校の同級生で、佐倉とも親友であった戸川湊斗(演・鈴鹿央士氏)と交際していた。


*青羽と交際する戸川湊斗(演・鈴鹿央士氏 [左側] )


そんな、そこはかとない幸せな日々が続いたある日、青羽は音信不通だった佐倉と、偶然にもバッタリと再会してしまう。

8年ぶりの青羽の姿に気づいた佐倉は、彼女から逃げるように走り去ろうとする。どうしても佐倉と話をしたかった青羽は、必死で追いかけて、ようやく彼を引き留める。そして青羽が必死に話しかけるも、何も語らない佐倉。


『青羽紬 : そんなに私と話したくない? 』

『silent』・第1話「本気で愛した彼は音のない世界で生きていた」より


すると佐倉は、突然 " 手話 " で話し出す・・・ そう、彼は完全に聴力を失って、中途失聴者となっていた。佐倉が " 聴力を失っている " という事実に、混乱する青羽。その彼女を目にしつつ、佐倉は泣きながら、矢継ぎ早に手話で語り続ける。


『佐倉想(手話) : なんで電話に出なかったのか。別れたのか。これで分っただろ? もう青羽と話したくなかったんだよ。いつか電話も出来なくなる。一緒に音楽も聴けない。声も聞けない。そう分ってて一緒にいるなんて・・・ 辛かったから。好きだったから・・・ だから、会いたくなかった。嫌われたかった。忘れてほしかった。』

『silent』・第1話「本気で愛した彼は音のない世界で生きていた」より


この佐倉の " 言葉 " が理解できない青羽。そして彼は、このような捨てゼリフを手話で残して・・・ 去って行った。


『佐倉想(手話) : 何言ってるか、分んないだろう? 俺たち、もう・・・ 話せないんだよ。

『silent』・第1話「本気で愛した彼は音のない世界で生きていた」より


*佐倉は泣きながら、手話で青羽に語りかける。佐倉が " 完全に聴力を失っている " という事実に、混乱する青羽 [『silent』・第1話「本気で愛した彼は音のない世界で生きていた」より ]


青羽は・・・ 泣きながら呆然と立ち尽くし、立ち去る佐倉の後ろ姿を見つめる他になかった。このような展開で、このドラマは始まっていく。



○そこには・・・ " 花枝の混乱と苦しみ、そして恐怖 " も再現されていた


佐倉は、高校卒業直後に「若年発症型両側性感音難聴」であることが発覚し、症状が進行するにつれて、徐々に聴力を失っていく。そして、青羽と再会する3年前には、完全に聴力が失われていた。

『silent』・第9話「誰がどうやって力になってくれるの?」では、佐倉が徐々に聴力を失っていく " その混乱と苦しみ、そして恐怖 " を丹念に描いていた。こういったドラマは、たとえフィクションであっても徹底的に取材し、それを元に世界観を描く。この作品も、聴覚障害の方々の実情を徹底的に取材していることに間違いなかろう。だからこそ、この作品の世界観に " 圧倒的な説得力 " が感じられるのだ。

そして、『silent』・第9話を観れば、『ファイトソング』の主人公・木皿花枝の " 空白の2年間の混乱と苦しみ、そして恐怖 " も追体験できるようにも感じられたわけだ。


『木皿花枝 : 耳が聞こえなくなって、あの・・・やっぱり大変で。自分が「バラバラになっちゃうんじゃないか」とか思うくらい、きつくて。でも弱気になったら戦えないから・・・ 私にできるかな。自信ないんだ。』

『ファイトソング』・最終話「不器用な恋に起きた奇跡・これが私達のスタートライン!」より


花枝が、元恋人の芦田春樹(演・ 間宮祥太朗氏)に語った、『自分が「バラバラになっちゃうんじゃないか」とか思うくらい、きつくて』という思いは、『silent』・第9話で十二分に再現されていた。

花枝は「聴神経腫瘍」という疾病であり、左右の耳で、開頭手術を2回に分けて受けたことが考えられる。もちろん、聴力が残る可能性も残ってはいたものの・・・。彼女は右側の手術を受けて、右耳の聴力を失ったことに落胆し、左側の手術を受けて、左耳の聴力を失ったことに絶望したことだろう。結局のところ花枝は、両耳の聴力を完全に失い、中途失聴者となってしまった。

ということは、『silent』の佐倉と同様に、花枝も着実に聴力が失われていく " 混乱と苦しみ、そして恐怖 " を味わった。だからこそ・・・『silent』を観た後で、『ファイトソング』を観ると、花枝の苦しみと葛藤が、より一層、筆者の心に染み入ってくる。


聴力を完全に失ってから2年後に、花枝は元恋人の春樹と、偶然にもバッタリと再会してしまう。その際に・・・ 花枝は、春樹から走って逃げてしまう。


*主人公・花枝は、聴力を完全に失ってしまった2年後に、元恋人の春樹と、偶然にもバッタリと再会してしまう。その混乱からか、花枝は走って逃げようとする [『ファイトソング』・第9話「舞台新たに恋も新展開!? 変わらぬ心と変わってしまった関係」より ]


『silent』でも、青羽と偶然にもバッタリと再会してしまった佐倉は、走って逃げようとする。この二人の行動は、特に中途失聴者に共通するメンタリティーによるものかもしれない。


[ 聴力があった頃の知り合いには・・・ 特に " 好きだった人 " には、" 聴力を失った事実 " を知られたくない。会いたくない ]

[ 聴力があった頃の " 好きだった人 " に会ってしまうと・・・ " 聴力を失った事実 " を突き付けられたような感覚に陥る ]

[ " 聴力を失ったという事実 " を受け入れたくない ]


『silent』でも『ファイトソング』でも、「お互いに好き同士なんだから、相手に事情を説明して、交際を続ければいいのに」という意見も多かったことだろうと思う。しかし、" その思考パターン " こそが、実は " 聴者のロジック " の典型例ではないかと、筆者は考えている。


さて『silent』では、主人公・青羽が通うことになる、手話教室の聴者講師・春尾正輝(演・風間俊介氏)が、このようなことを語っていることが印象的だ。


『春尾正輝 : 初めから無いのと、有ったものが無くなるのは " 違う感覚 " だと思うので。

『silent』・第2話「好きになれてよかった・・・そう思いたい」より


『silent』の中では、先天的に聴力が無い " 聾者 " と、後天的に聴力を失った " 中途失聴者 " との " その思いのズレ " のようなものを丹念に描いている。要は、


[ 元々、有ったものを " 失った " ということの心理的ダメージが、どれほど重くて深いのか ]


といったようなことを、我々のような " 聴者 " に突き付ける。そうなのだ。同じ聴覚障害を持った方でも、" その思い " にはズレがある。そして中途失聴者の方が、その喪失感は重く、深いのだろう。

そのように考えると、佐倉も花枝も " 聴力があった、あの頃の好きだった人 " には・・・ 絶対に知られたくない、会いたくないという思考に陥ってしまうことは、仕方がないように感じられるのだ。



○同じ聴覚障害を持つ者同士でも " 聾者 " と " 中途失聴者 " では・・・ " その思い " にズレがある


『silent』の佐倉は、徐々に聴力を失っていく中で、恋人は当然ながら、高校の仲間たちとも連絡を絶っていく。そのような中で、高校卒業後に唯一出来た友人が、聾者の桃野奈々(演・夏帆氏)だった。

佐倉は桃野に、徐々に聴力を失っていく " 混乱と苦しみ、そして恐怖 " を語り、彼女は優しく受け止める。そしてこのように語りかける。


『桃野奈々(筆談) : 音が無くなることは、悲しいことかもしれないけど、音の無い世界は、" 悲しい世界 " じゃない。

『桃野奈々(筆談) : 私は生まれてから、ずっと悲しいわけじゃない。悲しいこともあったけど、嬉しいこともいっぱいある。それは、聴者も聾者も同じ。あなたも同じ。

『silent』・第6話「音のない世界は悲しい世界じゃない。」より


そして佐倉は、僅かな聴力が残っている中で、桃野に手話を教わることにする。

高校時代の仲間たちとの交流も、一切失ってしまっていた佐倉を心配した桃野は、ある日、聾者の友人を紹介しようとする。しかし、佐倉はその場をすぐに立ち去り、桃野のこのように言い放つ。


『桃野奈々(手話) : 友達つくったほうがいいと思ったから。』

『佐倉想(手話) : 聾者の友達? 』

『桃野奈々(手話) : 嫌なの? なんで? 』

『佐倉想(手話) : 俺、まだ聞こえるし。

『桃野奈々(手話) : 一緒にするなってこと? そうだよね。勝手にごめんね。』


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『佐倉想(音声) : " 同じ " だと言ってくれて、あんなに安心したのに・・・ 都合良く、「自分は違う」と線を引いた。" 聞こえる自分 " が忘れられなかった。聞こえる人とも聞こえない人とも、距離を取った。近づくのが・・・ 怖かった。

『silent』・第6話「音のない世界は悲しい世界じゃない。」より


実はこのように、同じ聴覚障害を持った方でも、" その思い " にはズレがある。そして、得てして " 中途失聴者の哲学 " が、聾者を傷つけることも少なくはないのかもしれない。

もっと言えば、我々のような " 聴者の哲学 " が、知らず知らずの間に、聴覚障害を持った人々の心を傷つけているのかもしれないのだ。


さて、とある映画関係者のYouTubeチャンネルで、『silent』・第1話の佐倉が手話で、主人公・青羽に罵声を浴びせるシーンを、一刀両断に酷評していた。その方のロジックはこうだった。


[ 聴力を失ってから混乱しているのは分る。でも・・・ そこから2年が経過してるんでしょう? (正確には聴力を完全に失ってから3年が経過) それぐらい経てば、気持ちも落ち着いて、元恋人を振ったことに対する罪悪感を感じていなければおかしい。それなのに・・・ 事情を知らない元恋人に、たとえ手話であっても、罵声を浴びせるなんて人としてありえない ]


要約すると、このような感じだ。しかし・・・ このような感覚こそ " 聴者の傲慢 " ではないのか? 時間が立てば、聴覚障害を持った方の " その悲しみ " は、着実に静まっていくのか?

この時に筆者の脳裏には、『おかえりモネ』の及川新次(演・浅野忠信氏)の、このセリフが蘇ってきた。


『及川新次 : 5年て・・・ 長いですか。

『永浦龍己 : え ? 』

『及川新次 : お前、まだそんな状態かよって、あっちこっちで言われるんですよ。でもね・・・ なんでか、もう、ずっーとどん底で・・・ 俺は何にも変わらねえ。

第8週・39話「それでも海は」より


*新次は龍己に『5年て・・・ 長いですか。』と問いかける。龍己は新次に " 驚きの表情 " しか返せない [第8週・39話「それでも海は」より ]


東日本大震災によって自宅も新しい船も、そして愛妻・美波も失ってしまった新次。5年が経過しても・・・ 彼は立ち直れずにいた。それに対して、周辺の人々は、「5年が経っても、まだ立ち直れないのか? 情けない」と声をかけてくる。しかし・・・ " 人間の心の傷 " は、5年が経てば十分に癒えると言えるのか? " 人間の心の傷 " は、時間経過によって、着実に解決できるものなのか?

これこそが・・・ " 心の痛みを共有しない人々の傲慢 " が顕著に表れている事柄なのではなかろうか?


さて『silent』の第3話では、主人公・青羽が手話教室の講義終了後に、聴者講師の春尾に、このようなことを語りかけられる。


『春尾正輝 : 知ってます? 聾者の8割くらいが、聾者同士と結婚するんです。』

『青羽紬 : へえ・・・そんなに。』

『春尾正輝 : 聾者同士の方が、幸せっていうことですかね。

『silent』・第3話「今はもう、好きじゃない・・・今好きなのは・・・」より


要するに、聴者と聴覚障害を持った方では " 共有できない哲学や世界観がある " ということを語っているのだろう。そして、それは前述の通り、中途失聴者と聾者の間にも存在する。佐倉に寄り添う青羽に対して、聾者の桃野はこのように評した。


『桃野奈々(手話) : あの子(青羽)には、聞こえない想くんの気持ちはわかんないよ。』

『佐倉想(手話) : 奈々、よくそういうこと言うよね。「自分は聾者だから、聴者とは分かり合えない」って。「恋愛も上手くいかなかった」って。』

『桃野奈々(手話) : だからなに?』

『佐倉想(手話) : だったら・・・ 俺とだって分かり合えないよ。聴者でも、聾者でもない。

『桃野奈々(手話) : そうだね。私も想くんも、あの子も・・・ 誰も分り合えないね。

『silent』・第6話「音のない世界は悲しい世界じゃない。」より


*聾者の桃野は、手話で佐倉に『あの子(青羽)には、聞こえない想くんの気持ちはわかんないよ』と語りかける [『silent』・第6話「音のない世界は悲しい世界じゃない。」より]


そして佐倉は青羽に、桃野が語ったことを率直に話す。


『佐倉想(手話) : (桃野と)昨日、ちょっと喧嘩になって。聴者と聾者と中途失聴者、みんな違うから分かり合えないって言われた。

『silent』・第7話「自分にだけ飛んでくるまっすぐな言葉」より


*佐倉は、桃野から言われた『聴者と聾者と中途失聴者、みんな違うから分かり合えない』ということを、青羽に手話で率直に語る [『silent』・第7話「自分にだけ飛んでくるまっすぐな言葉」より]


本当に聴者と聾者、中途失聴者は・・・ お互いを分かり合えないのだろうか?



○『あなたの苦しみは、私には分りません。でも " 分りたい "と思っています』という気持ちが・・・ お互いを受け止めるための " 唯一の架け橋 "


さて、東日本大震災による津波で被災した一人の男性を追う、ドキュメンタリー映画・『息の跡(2017)』。主人公の佐藤貞一氏は、岩手県の陸前高田で種苗店を営んでいたが、自宅兼店舗を津波で流されてしまう。しかし全てを流されてしまった土地に、彼は自力でプレハブ小屋を建て、再び店をオープンさせる。さらに種苗店の経営と並行して、自身の被災体験を独学の英語で書き記した、『The Seed of Hope in the Heart』を自費出版する。


*陸前高田で種苗店を営み、東日本大震災による津波で被災した佐藤貞一氏。彼は店を再建しつつ、被災体験を独学の英語で書き記した、『The Seed of Hope in the Heart』を自費出版する [ドキュメンタリー映画・『息の跡(2017)』より ]


このドキュメンタリー映画の中で佐藤氏は、小森はるか監督に自宅兼店舗の被災直後の写真を見せながら、このように語りかける。


『佐藤貞一 : 俺の店はこうなっちゃったからね。何にも無いだろう? これ擁壁だけは残ってるけど、俺のモノは何一つ無いんだ。俺、ここに行って、びっくりして・・・ しょうがないと思って、泣き腫らして。何一つ無いんだもん。』

『佐藤貞一 : で、少し行ったところに " 柱が残っている家 " があったのよ。それ見て、どう思ったと思う? 「ああ・・・ あの家は柱があって良かったな・・・」って羨ましいって思うのよ。でも、羨ましいと思っても、その家にとっては " 柱しか " 残ってないわけだからさ、" 同じ " なんだよ。そうでしょう? まるっきり同じく、悲しくて辛いんだ。でも、「柱が立って残ってるわ。羨ましいわ。」って、そう思うわけよ。 " その気持ち " っていうのは・・・ 実際、被災した人でないと分んないだろう?

ドキュメンタリー映画・『息の跡』より


この佐藤氏の話は象徴的だろう。被災して津波でほとんど失っていても・・・ 「柱が残っている家のことを羨ましい」と思う。「隣の芝生は青く見える」というメンタリティーをどうしても抱いてしまうのが、 " 人間の性分 " というものなのだろう。こういったことが被災者同士の中でも、 " その思い " にズレを生じさせる、一つの要因になるのではなかろうか。

そしてそのことは、実は聾者と中途失聴者の " その思い " にズレが生じる要因と、同じ構造を持っていると考えられるのだ。しかし、佐藤氏はこのようにも語っている。


『佐藤貞一 : 「家族を失ってなくて、自分の家とかを全て流された人には・・・ (家族が) 生き残ってるから良いじゃないか。うちは家族がいないんだよ」って羨ましいと思うんだ。だけども・・・ 「私たち被災者は、人と比べ合ったって、満足するもんじゃないのさ」って (書籍に英語で) 書いた。』

『佐藤貞一 : 「決して、単純に比較しても満足するようなものではない。私たちは全て、同じように悲しいんだ。遺体安置所で全て同じように泣いてるんだ。けれども、それぞれの人々の苦しみは違っていて、それぞれ深くて異なるものだ。」とそう書いてあるの。これをどうまとめて、英語で書こうかと一生懸命考えて。』

ドキュメンタリー映画・『息の跡』より


被災の状況の差異を比べて、それを羨ましがっても・・・ 決して、" その心の傷 " が癒えることは無いのだ。


では、置かれた状況が違う者同士、あるいは聴者と聾者、中途失聴者が、お互いを分り合うためには " 何が必要 " なのか? ここで『おかえりモネ』の青年医師・菅波光太朗(演・坂口健太郎氏)のセリフが、鮮明に脳裏に蘇ってくる。


『菅波光太朗 : あなたの痛みは・・・ 僕には分りません。でも・・・ " 分りたい " と思っています。

第16週・80話「若き者たち」より


*菅波は、主人公・百音の心の傷を受け止め、『あなたの痛みは・・・ 僕には分りません。でも・・・ " 分りたい " と思っています』と語りかける [第16週・80話「若き者たち」より]


我々 "聴者 " は、聴覚障害を持った方の " 苦しみの本質 " に触れることはできない。それと同様に、聾者は中途失聴者の、中途失聴者は聾者の " 苦しみの本質 " に触れることはできないのだ。それでも・・・


[ あなたの苦しみは、私には分りません。でも " 分りたい " と思っています ]


という思いが、その状況をたとえ " 近似値 " であったとしても理解し、共有していく " 唯一の架け橋 " となるのではなかろうか。


『silent』では、主人公・青羽が手話で、佐倉に対して『大丈夫』、『頑張る』としきりに話しかけるシーンが印象的だった。この青羽の " 言葉の裏側 " には、


[ あなたの苦しみは、私には分りません。でも " 分りたい " と思っています ]


という " 彼女の思い " が手話に込められているように感じられて、筆者はしょうがなかった。



○" 自分には聞こえない " からこそ・・・ " 誰にも届かない " という感じがする


『ファイトソング』の主人公・花枝は、中途失聴者でも手話は使わず、聞くシーンではスマートフォンのアプリケーションか相手の唇を読む、そして話すシーンでは自身の声で発語していた。

一方、『silent』の佐倉も、同じく中途失聴者なのだが、基本的には会話は手話で行い、自身の声での発語はほとんどしなかった。おそらく放送の初期段階では、" 本当に佐倉は、自分の声では全く話せないの? " と疑問に感じた視聴者も多かったことだろう。実は主人公・青羽も、手話講師の春尾に、その辺の質問している。その質問に対して、春尾はこのように答えている。


『春尾正輝 : 失聴だけが理由で、発声できないことは無いと思います。でも・・・ 聞こえなくなって「話したくない」って、思う人はいるかもしれません。

『青羽紬 : 話したくない・・・。』

『春尾正輝 : 初めから無いのと、有ったものが無くなるのは " 違う感覚 " だと思うので。』

『silent』・第2話「好きになれてよかった・・・そう思いたい」より


そして青羽は、聴覚障害というものと向き合っていく中で、その実情を知り、佐倉に " なぜ自分の声で話さないのか " といった素朴な疑問を投げかけるが・・・ そのことで彼を困惑させてしまう。そのエピソードを親友の横井真子(演・藤間爽子氏)に打ち明ける。


『青羽紬 : もともと聞こえてた人だと、声で話すことが多いらしくて。" 普通 " は、声で話すって。手話使わない人多いって。

『横井真子 : " 普通 " ね・・・ 』

『青羽紬 : 多いってだけで、「それが普通なんだ」って思いこんじゃって。それで・・・「佐倉くん、何でなんだろう?」って気になって、聞いちゃって。少ないって " いる " ってことだもんね。いるよね。いるのに。やっと、目の前にいてくれるようになってくれたのに。』

『silent』・第7話「自分にだけ飛んでくるまっすぐな言葉」より


*青羽は、佐倉に " なぜ自分の声で話さないのか " と質問を投げかけることで、困惑させてしまった。そのことを親友の横井真子(演・藤間爽子氏)に打ち明ける [『silent』・第7話「自分にだけ飛んでくるまっすぐな言葉」より ]


実は、この " 普通 " という価値基準も・・・ 聴覚障害の有無を問わず、より多くの人々の心を、知らず知らずのうちに少しずつ傷つけているということを、表現しているのだろう。

そして後日に、佐倉が青羽に " なぜ自分の声で話さないのか " という理由を、このように語る。


『佐倉想(手話) : 声が出せないわけじゃない。自分に聞こえないから、" 誰にも届かない " 感じがする。自分で感じ取れないことが・・・ すごく怖い。一度、声で話すと、その先ずっと声で話さないと・・・ 悪い気がする。聞こえる人は声で聞くほうが、楽だってわかるから。それが辛いから・・・ 今まで家族の前でしか、声を出さなかった。湊斗は、分ってくれると思ったから。青羽が分ってくれないってことじゃなくて。』

『青羽紬(手話) : うん。大丈夫。全然・・・ いいよ。』

『silent』・第8話「一緒にいたくているだけなのに」より


『自分に聞こえないから、" 誰にも届かない " 感じがする。自分で感じ取れないことが・・・ すごく怖い』


実はこういった感覚を・・・ 我々 "聴者 " が『分かりたい』と思い続けていかなければならない事柄なのだろう。そして、「声で話せるなら、話せよ」といった、" 聴者の声なき声 " が、中途失聴者を追い込んでいることを知るべきだ。


ちなみに『ファイトソング』の主人公・花枝は、なぜ手話を使わず、積極的に自分の声で発語しているのかというと、完全に聴力を失う前に、中途失聴者である杉野葉子(演・石田ひかり)と出会っていたことが大きいと考えられる。


*完全に聴力を失う前の花枝と、中途失聴者である杉野葉子(演・石田ひかり)とのやり取り [『ファイトソング』・第8話「恋の完結編! 好きだから別れる男VS好きだから離さない男」より ]


この杉野は全く手話を使わず、花枝はその生活を目の当たりにすることで、" 聴力を失っても自分の声でコミュニケーションができる " ということを、事前に知っていたということが、大きな要因ではなかろうか。



○ " 伝えたい " と思う気持ちと " 受け取ろう " と思う気持ち。それが・・・「魔法のコトバ」を紡ぎ出していく。


『silent』の聾者の桃野と聴者の春尾は同じ大学で知り合った。春尾に手話を教えたのは、桃野だった。


*聾者の桃野と聴者の春尾は同じ大学で知り合った。春尾に手話を教えたのは、桃野だった
[『silent』・第8話「一緒にいたくているだけなのに」より]


しかし、あることがキッカケで仲違いをしてしまう。それから二人は、疎遠になってしまった。

桃野が春尾と再会したのは8年後で、彼は手話講師となっていた。再会時に、桃野が春尾にこのように問いかけた。


『桃野奈々(手話) : なんで手話を仕事にしたの? 』

『春尾正輝(手話) : 聾者ともっとコミュニケーションをとって、理解しようと頑張れば、自分 (聴者) でも分り合えるかもしれないって思ったから。』

『桃野奈々(手話) : どうだった? 』

『春尾正輝(手話) : 手話はコミュニケーションの手段でしかなかった。言葉の意味を理解することと、" 相手の想いが分る " ってことは違った。

『桃野奈々(手話) : そうだね。 』

『春尾正輝(手話) : 聴者にいろんな人がいるように、聾者にだっていろんな人がいたし、いろんな聾者と知り合ったけど、桃野さんみたいな人は、桃野さんしかいなかった。』

『春尾正輝(手話) : 結局は " 伝えたい " とか、" 受け取ろう " とか、そういう気持ちがあるかどうかなんだと思う。

『桃野奈々(手話) : 大人になったね。』

『春尾正輝(手話) : 自分でもそう思うよ。』

『silent』・第10話「また何も伝えずにいなくなるのは許さない」より


発声や手話は、あくまでも " コミュニケーションの手段 " でしかない・・・ 当たり前のことなのだが、このように語られるとハッとさせられる。大切なことは " 手段 " ではないのだ。


[ 大切なことは " 伝えたい " と思う気持ちと " 受け取ろう " と思う気持ち ]


送り手側と受け手側の、それぞれの気持ちが成立していなければ、いくら " コミュニケーションの手段 " を持っていたとしても、" その思い " は届かない。


そういった意味で捉えると、『ファイトソング』・最終話の " 最終シーン " の主人公・花枝と恋人・春樹のやり取りが非常に興味深い。


『木皿花枝 : あっ。今、私たち・・・ 何のツールも使ってないね。

『芦田春樹 : ああ・・・ だね。』

『木皿花枝 : こういう時も、芦田さんの言葉、一言とか二言だから耳に優しい。

『芦田春樹 : へえ・・・ 』

『木皿花枝 : 聞こえなくても、分る。

『芦田春樹 : そう? 』

『木皿花枝 : うん。』


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『木皿花枝 : でも、すごい分る。話。』

『芦田春樹 : 素晴らしい。』

『木皿花枝 : 素晴らしい。』

『木皿花枝 : ずっと、喋ってられるね。二人だと。

『芦田春樹 : うん。 』

『ファイトソング』・最終話「不器用な恋に起きた奇跡・これが私達のスタートライン!」より


*最終シーンでは、花枝と春樹がコミュニケーションツールを全く使わずに "お互いの声だけ " で、会話を成立させていた [『ファイトソング』・最終話「不器用な恋に起きた奇跡・これが私達のスタートライン!」より]


" 伝えたい " という気持ちと " 受け取ろう " という気持ちが成立しさえすれば、コミュニケーションの手段を越えて・・・ " 届くもの " が確実にある。


『聞こえなくても、分る。』


この花枝のセリフは、" コミュニケーションの理想形 " を我々に提示し、また、この最終シーンでは、そのことを映像として具現化しているわけだ。

そして『ファイトソング』を最終シーンを観た後では・・・ 『silent』の青羽と佐倉が高校時代に、二人でよく聴いた楽曲・『魔法のコトバ』の歌詞が、より感動的に胸に伝わってくる。


魔法のコトバ 二人だけにはわかる
夢見るとか そんな暇もないこの頃
思い出して おかしくてうれしくて
また会えるよ 約束しなくても

スピッツ・『魔法のコトバ(2006年)』
作詞:草野正宗
作曲:草野正宗


[ あなたの苦しみは、私には分りません。でも " 分りたい " と思っています ]

[ " 伝えたい " と思う気持ちと " 受け取ろう " と思う気持ち ]


この二つの気持ちが、「魔法のコトバ」を紡ぎ出し、確実に人々の心に届く " その源泉の本質 " というものになるのだろう。筆者はこのことを、今、自信を持って言い切れる。



さて、『silent』という作品に、ここまで感動させられるとは思ってもみなかった。放送終了した作品ということもあり、既に多くの分析・考察も出回っていると思う。したがって、筆者のような稚拙な分析・考察は必要とされていないのかもしれない。しかし・・・

もし、この記事で反響があれば、この作品を『映像力学』などの手法を用いて、1話ごとの詳細な分析・考察を書きたいと思う。ぜひとも、この記事のコメント欄やTwitterなどに、ご意見・ご感想を頂ければと思う。


また、『ファイトソング』ファンや『おかえりモネ』ファンに、ぜひとも『silent』を観て頂きたいと心の底から思った。おそらく、それぞれの作品に対する視点が変化し、一段と深い感動に襲われると思う。お薦めですよ!!!!(笑顔)

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