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シスターフッドとして観る『新感染半島 ファイナル・ステージ』

今年の映画はじめはこれと決めていた。

ここのところ、僕の中でも韓国映画ブームが到来している。去年も沢山の韓国映画を観た。まあ、ほぼ全てがホラーかバイオレンス映画だけど。いや、むしろそのジャンルにおいて、今や日本よりも韓国映画の方がお金も規模もマインドも含めて多様なエンタメを創造している。

休刊していた別冊映画秘宝の復活第一弾も『【決定版】韓国映画究極ガイド』と銘打って発売された。表紙のマ・ドンソク兄貴がイカしているが、中身も最高だ。これ1冊で近代韓国映画史がザックリ読める。

そしてマ・ドンソクといえば『新感染 ファイナル・エクスプレス』で恋に落ちた同志も多いと思う。あのマ・ドンソク兄貴のカッコよさ、最初に登場した時はただのガサツなマッチョ思想全開野郎だと思ったのに、いざ危機が訪れた瞬間から白馬の王子様に早変わり。

嫌な男(主人公)の娘を守り、身重のパートナーを守り、ステゴロひとつでゾンビに向かい自己犠牲も厭わず戦う姿に誰もが心を奪われた。

そんなマ・ドンソクの代表作『新感染 ファイナル・エクスプレス』の4年後を描いた続編が『新感染半島 ファイナル・ステージ』だ。

今回の主人公は特殊部隊に所属する軍人ハン・ジョンソク。演じるはイケメン(ちょっとアンジャッシュ渡部にも似てる)カン・ドンウォンさん。

なんだけど、僕はこの映画の真の主人公は半島に取り残されながらも健気に生きてきた母親(ミンジョン)と二人の娘(ジュニとユジン)の生きざまこそがメインテーマだった気がする。

たしかに本編はずっと「助けたかった命を見捨ててしまった後悔」に縛られたカン・ドンウォンが苦悩する姿を描いているのだが、なんか感情移入できない。過去に縛られすぎなんだよな。それよりも、あの地獄に取り残されても前を向いて生き抜いている母娘の方が応援したくなるのだ。

そしてそれは、まるで『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』のフュリオサ大隊長(シャーリーズ・セロン)の生きざまを観ているのに似たカタルシスがあった。

というか『新感染半島』自体が『マッド・マックス』の世界そのもの。後半のカーチェイスなんて、完全に「ヒャッハーーー!!!」状態で『北斗の拳』でもあり、そのドリフトテクの攻防は『ワイルド・スピード』か『イニシャルD』のようでもある。

あの若さで超絶ドラテクを披露するイ・レは峠を攻めまくる藤原拓海の化身みたいだった。「なんでそんなドライブテク身につけてんだよ」とか細かいことは言いっこなしだ。

考えたら、あの封鎖された半島に生き残った人々は男ばかりだった。女性の姿が全く消されていた。一番の権力者であるソ大尉の部屋には水着のグラビアとかが所狭しと貼られていた。

もしかしたら女性は生き残れない過酷さ、苛烈さだったのかもしれない。そんな状況で生き残っていたミンジョン母娘がどれだけ逞しいか。そしてどれだけの苦労をしてきたのか、計り知れないものがある。

『シスターフッド』とは女性同士の連携の意味で使われるものだが、この映画の母娘の絆も『シスターフッド』の観点から見ると面白い。また姉妹の関係性も、とても魅力的に生き生きと描かれているのだ。

あの地獄のような半島で、どうしたら彼女たち姉妹のような生きた目をした子供たちが育ってこれたのか。その辺をスピンオフ的に描いて欲しいとさえ思ってしまう。えげつない修羅場を潜り抜けてこないと、あそこまでの度胸は身につかないだろう。

ラストシーンで、母ミンジョンが朝焼けと共にシルエットとなるシーン。そこからの姉妹の咆哮。そこには安っぽい自己犠牲なんかじゃ終わらない強い気持ちと未来への希望があった。

『マッド・マックス』のような展開を無邪気に笑って楽しんでいた僕は、まんまと泣いてしまった。『新感染半島 ファイナル・ステージ』は、2021年の開幕に相応しい「希望」を感じさせてくれる映画だった。暗い世の中は続く。だけど前を向いて生きていれば、いつかは「希望」が見えてくる。

バカバカしい法螺話だと思わずに、信じて進んでいけば待ち人はやってくる。愚直に生き抜くことの大切さを教えてくれる素敵な映画だった。韓国映画、強いなぁ。


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