見出し画像

「空脳」を思い出して写真館

散歩の日々である。今日も散歩をした。

そして今日からJリーグが再開された。まずは開幕すら出来ていなかったJ3から始まり、夕方からはJ2が再開。来週からはとうとうJ1も再開される。

DAZNで何試合かザッピングして観ていた。サッカーのある日常、当たり前が当り前じゃなくなってしまった世の中で、少しでもそれぞれの日常が戻ることは素敵なことだと思う。

そう、素敵なことだ。なのに何故か突然、言いようのない焦燥感に駆られてしまい慌てて散歩に出た。

あまり商店街とか人混みの出来そうな場所は避けての散歩なので、自ずと住宅街の路地を気ままに右へ左へ歩いている。あいかわらず歩きながらradikoやYouTube、Spotifyがおともだ。伊集院光の深夜の馬鹿力は、もう何年聴き続けているだろう。

昔からの人気コーナーで『空脳』というのがある。ここ数年、音沙汰ないが時たま気まぐれにやったりするので、その日を楽しみに待っていたりする。

散歩しながら思いだした投稿内容がある。

「街角の写真館に飾ってある家族写真が怖いです。マネキンのようで現実感がなくて、この人たちはずっと同じ笑顔でいる存在なんじゃないかと思うんです」

そんな投稿だった。自分の中で、現実なのか記憶の行き違いなのか、はたまた夢か妄想か分からない出来事を投稿するコーナーの一通だった。

僕も同じように写真館に飾られる家族写真が苦手だった。投稿者はマネキンみたいな非現実感を恐れていたが、僕はなんだか「この家族は既にこの世に存在していないんじゃないか。この瞬間には消えてしまった虚構の存在なんじゃないか」そんな気がして、ゾッとしてしまいマジマジと見れないことがある。

そして今日、目の前に写真館が現れた。昔からある写真館らしい写真館で、当然ながら家族写真が飾られていた。日焼けして薄くなった写真を眺めていると、やはり言いようのない不安が押し寄せる。こわい。

そそくさと逃げるように立ち去る途中で、とある住宅の表札を見ると僕と同じ苗字だった。僕はそこまで珍しくもないが、意外と同姓の人とは出会わないくらいの苗字である。そのせいか昔から同じ苗字の表札を見かけると、何故かそこが自分の家のように思って吸い寄せられそうになる。

そんな『空脳』もついでに思い出した今日の散歩だった。

散歩の途中でソーシャルディスタンスをしっかりと心がけている野良猫たちを見かけた。人間より猫のほうが社会性ある生き物だ。


この記事が参加している募集

自由律俳句

全て無料で読めますが、「面白かった!」「すき!」なんて思ってくれたら気持ちだけでもサポート貰えると喜びます。