モンスターになれない子供たち

今日は、映画「スウィート17モンスター」(英題「The Edge of seventeen」)を観て思ったことを書く。

私は自分に反抗期が無かったことについて、大人になってから度々考えることがある。
この映画を観ているときも自然と自分の10代の頃のことを考えていた。

この映画のあらすじは下記の通り。

キスさえ未経験というイケてない毎日を送る17歳の高校生ネイディーンは、妄想だけが空まわりし、教師のブルーナーや情緒不安定な母親を困らせてばかりいた。唯一の親友であるクリスタが、人気者の兄ダリアンと恋に落ち、世界にたった1人だけ取り残されたような疎外感を感じたネイディーンは、とんでもない行動に出てしまう。


私もどちらかというと、この主人公のように自信家の人たちを羨み、時には疎ましく思うようなタイプの少女だったので彼女の辛さに共感する部分もあった。

しかし、映画の終盤私の共感度が自信家の兄の方へ少し傾くことになる。

ここからネタバレを含むので気になる方は、ここから先を読むのはご遠慮ください。

主人公が嫌いな兄は学校の人気者で、母親からも頼られる存在。
それでも彼なりの苦労があり、我慢をしてきた人生だったことを妹に吐露するシーンがある。
それを知った妹である主人公は徐々に心変わりをするのだが、私もまんまとこの前後のシーンで完全に兄への同情へと心が持っていかれてそれが主人公への共感にも繋がって、だから良い映画だったのか…と今振り返りながら思っている。
(20代後半で観ても面白くないかもとあまり期待せず観たら、泣くほど良かった)

そろそろ私の話に戻ります。
そもそもこの兄が苦労を吐露するシーンは、主人公の妹が荒れ狂って母親のもとから逃げ出し、母親は娘に手を負えなくなりおかしくなって兄に助けを求めた結果起こる。

この母親がおかしくなった辺りで私は気づく、「ああ、だから私には反抗期がなかったんだ」
おそらく私が主人公のように荒れ狂っていたら、母親もおかしくなっていたかもしれない。
私の前で泣きわめく母親の姿が容易に想像できてしまう。
私の弟と父親はそんな母親を受け止められるようなタイプの人間ではない。
余計に母を追い詰めてしまうかもしれない。
その結果、この映画の兄のように私がその役目を負うことになったのだ。
ここまで書いて、「私しかいない」というような自己陶酔かよと恥ずかしくなってきたが、きっとそんな勘違いが変な責任を生むのかもしれない。

今までもいろんな理由を考えてきた。
私の大人しい性格や、母親の異常なまでの「周りを気にする」教育、私が幼少期に見た母の涙など。
今回の映画で気づいたことは、最も納得がいくというか、今まで考えていたことを上手くまとめてくれたような気がしてすっきりした。
子供は親をよく見ている。
私はいつか自分の子供を育てたいと思っていたが、年を重ねるにつれて子育てへの自信はなくなってきている。

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