『五円玉物語』
財布の中に紛れていて、いつも見なれている五円玉。この五円玉が実はどんなメッセージを終戦直後から70年以上も発してきたのかについて、お話ししようと思います。
さて、私のゼミを卒業して企業就職し、働きながら社会人大学院でMBAを取得して、企業に戻り海外とのビジネスをおもに手がけているSという人物がいます。その彼がこんな投稿をSNS上にしていたのです。
こないだ初来日のお客さんに五円玉を指して「これいくら?」って数回聞かれてなんでかなと思って見てみると、「五円」と漢数字でしか記載がないことに気付く。これは設計ミスでは。。小さいことだけど、訪日観光客増やしたり日本でオリンピックやろうとするなら基本的なことで気遣いが足りないと思うなあ。
彼はよく私の琴線に触れるいい投稿をしてくれるので、五円玉について、彼が気づいていないことを指摘したことがありました。それはこんな内容でした。
なぜ5円玉ではなく五円玉?
確かに五円玉は「五円」と漢数字で刻んでありますから、初来日した外国の人びとを戸惑わせます。私にもそうした機会に出くわした経験があります。
確かに、Sの指摘のとおり、アラビア数字を入れたデザインに変更すべきかも知れませんね。でもちょっと待って下さい。その判断は、五円玉に関しての私のご説明を聴いてからでも遅くはないのではと思いますので、今しばしおつきあいください。
五円玉は「経済復興への決意」の象徴
さて、「五円玉は日本の戦後復興の象徴なのです」と書くと、ちょっと驚かれる方も多いのではないでしょうか?
まず、五円玉の発行開始は1948(昭和23)年なのです。だから日本はまだ占領下にあった時期に発行され始めたのです。面盤の表記の「日本国」が「日本國」と旧字表記になっているのは、現行硬貨の中で最も発行が古いためです。
そして、五円玉の色が金色に近いのは、鋳造開始時点では終戦で不要となった銃の薬莢を原材料としていたためです。穴が空いているのは、そうすることで少しでも材料を節約するためでした(実際、初期ロットの五円玉には穴がありません)。
要するに、まだ日本がひどく貧しく物不足だった時代の名残を今に伝えているのですね。
ただ、そこに「悲愴」だけを読み取ってはいけないでしょう。なぜなら、五円玉には、そのときの日本の「経済復興への決意」が刻まれているためです。
稲・歯車・海
面盤をよくご覧下さい。
まず稲が刻まれているのがお分かりでしょう。次に穴を利用して歯車が意匠されています。上手く考えたものですね。そして「五円」という表記はたくさんの線の上に、まるで浮かぶように刻まれています。
これらは順に、農業、工業、水産業を象徴しているのです。「打ちのめされたけれど、また日本を復興していくぞ」と、五円玉は語っているのですね。
五円玉が今に伝えるもの
こうした事実を知っていると、五円玉は今のままにしておいてほしいと私は思います。
五円玉は「日本はかつては大打撃から立ち直ろうとする強い決意があった」ことを今に伝えているだけでなく、「実際その決意を成し遂げた」ことを日本人に思い起こさせ、さらに「現在の日本は豊かになった」という事実も、逆照射してくっきりと浮かび上がらせてくれていると思うからです。
私は財布の中であまり使われることのない五円玉を発見するたびに、このことを思います。日本人の強い意志と決意と実行力を。今の日本経済は調子がもう一つだけれど、五円玉を見ていると「そんなの全然大丈夫だ」と思えてきます。
長文におつきあいくださいまして、ありがとうございました。
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