起立性調節障害のための進路選択マニュアル
まえがき
久々のnote執筆となりました。記事を開いてくださって、ありがとうございます。
今回の記事では、
「闘病中の進路選択における重要点は?」
という問いを設け、解説していきます。
起立性調節障害と闘いながら進路について考える上で、重要なことは2点あります。それは、
「心身の限界点」を把握する
理想と限界を踏まえて、進路に反映する
です。紙とペンか、スマホのメモアプリを使って実践できるワークも記載しているので、今進路を考えている人は、ぜひ記事を読みながら取り組んでみてくださいね。
「心身の限界点」を把握する
病と闘いながら新たな環境で勉学に励むのは素晴らしいことですが、無理のし過ぎは比喩でなく命にかかわります。これを防ぐためには無理をしないのが必須ですが、そこで重要になるのが自分の限界点を把握することです。
「心身の限界点」の基準
まず、心身の限界点の基準としてほしいのは以下のようなサインです。
ゲームや読書など、今まで楽しかったことに取り組まなくなった
勉強が頭に入らない、やる気になれない
なんでもないことでイライラしてしまう
上手く話せない、言葉が出ない
特に、現在起立性調節障害でしんどい方は、上記に心当たりがあると思います。他にも「以前とは違う原因不明の不調」は基本的にすべて限界サインとみなしてください。そして、これらのサインが表出した頃には既に長期の加療を要する事態になっている可能性が高いことを覚えておいてください。
余談ですが、(これはあくまで私の個人的な感覚です)起立性調節障害でしんどい思いをしている子たちの多くは以下のような傾向があり、一般的な同世代の子たちよりも心身の限界点に達しやすいです。
誰が見ても「真面目」と言えるほどの頑張り屋さん
良くも悪くも完璧主義で、できない自分を責めがち
環境や他人の感情の変化に敏感
自分の限界サインを把握出来たら、次のステップに移りましょう。
自分の期待や理想は何か?
限界点を把握出来たら、次は自分の理想や期待と不安を可視化していきます。
まずは、あなたの志望校や、いいなーと思っている進学先を思い浮かべてみてください。思い浮かんだら、その進学先で過ごしている自分の生活を具体的に想像してみてください。友達と楽しい学生生活、文化祭に体育祭、気になる人ができたり…!?ワクワクしますね。
でも一方で、しんどいこともあるかもしれません。気の合わない友達や先生、たくさんの課題、難しいテスト…。
そんな期待と不安を、書き出して可視化していきましょう。1枚の紙かスマホのメモアプリを用意して、箇条書きで以下のように書いていきます。
毎日6時に起きなければならない
勉強についていけないかも
○日休むと留年してしまう
駅からたくさん歩くので、夏の通学がしんどいかも
いじめ、嫌がらせをうけたらどうしよう
文化祭が楽しみ
なんか青春したい!
普通の学校に通いたい
丁寧な言葉でなくても構わないので、できるだけ多く書き出してみてください。このとき「期待」と「不安」がすぐに見分けられるように、印をつけたり文字の色を変えたりするのがポイントです。
書き終わったら、次のステップへ移りましょう。
最悪のシナリオを想定する
次のステップでは、少ししんどい気分になるかもしれませんが最悪のシナリオ、つまり「理想の進学先で体調が悪化してしまったとき」を想像してみましょう。具体的には、先ほど箇条書きにした「不安」が的中したときのことを考えます。様々な可能性を考慮することは、最悪の事態を防ぐためにも重要なことなので、気を落とさず取り組んでくださいね。例えば
留年や転校をしなければならなくなる
闘病が長引く
などが挙げられますね。2つほどで構わないので、書けたら次のステップです。
回避策を検討する
次は、先ほど書いた「最悪のシナリオ」を回避するために、どのような進路選択があるか考えてみましょう。例えば、
志望校のランクをあえて下げることで、勉強の負担を減らす
通学時間の短い学校を選ぶ
通信制や単位制、定時制などを選び、闘病に集中する
などが挙げられますね。一旦今の志望校のことは置いておいて、数ある選択肢をできるだけ多く把握するのがポイントです。もちろん、具体的な学校名を書いても構いませんので、できるだけ多く書いてください。選択肢は多ければ多いほど良いのです。書き終わったら、次のステップです。
「理想」の正体を暴く
起立性調節障害の治療のためには、できるだけ心身に負担の少ない進路を選択することが大切です。実は、先ほど書いてもらった「回避策」が負担の少ない選択にあたります。では、それを志望校にして終了…ではありません。
みなさんは、先ほどの「回避策」を眺めてみてどう思いますか?
「できれば行きたくないなあ」
と思いませんか?その理由は、最初に書いてもらった「期待」と「不安」に答えがあります。「期待」の項目をよく見てください。それらは「回避策を実行すると、実現できなくなること」ではありませんか?
「自分の理想の志望校に行きたい」一方で「志望校には体調を崩すリスクがあり、回避することが望まれる」、このような状態を「ジレンマ」といいます。
この状況で、みなさんには大きく分けて2つの選択肢があります。1つは、体調を崩すリスクを負ってでも理想を叶えに行く道です。攻めの姿勢と言えるでしょう。もう1つは、リスクを考慮して自分なりの理想を諦める道です。こちらは守りの姿勢と言えるでしょう。
どちらを取るかは、完全にみなさんに委ねられています。自分の気持ちに正直になって、どちらの「姿勢」を取るか決めてほしいです。私は、みなさんがどんな選択をしても心から応援します。(ちなみに私自身は「攻めの姿勢」で受験に臨んだものの叶わず、急遽「守りの姿勢」に進路変更し、現在通信大学生をやっています。)
しかし、「みんなと同じように」「普通になりたい」と思って理想を追いかけようとしている人がいたら、少し考えてほしいことがあります。それは、「普通とは何か」ということです。
「普通」って何?
みなさんの思う「普通」とか「みんな」はどんな人でしょうか?楽しそうで、元気で、キラキラしていて…。そんな人になれたら、楽しくて幸せかもしれませんね。でも、その幸せって、本当にあなた自身のものでしょうか?
ここで私が伝えたいことは「幸せの基準は自分で決めよう」ということです。
少し私の話をします。いつだったか、あるタレントさんがテレビに出ているのをぼーっと眺めていました。彼女は、酸素マスクをつけて、手元のスティックを操作して動かす車いすに乗って、自信の病気のことを話していました。私はそれをみてなんとなく「あー、大変そうだな。苦労しているんだろうな。」と思ったんです。しかし、彼女は明るい口調で、たしかこんなことを話し始めました。
「すごく大変そうとか、かわいそうとか思われるけど、すごく幸せ。この前も病状が悪化して入院していたんだけど、担当医がすごくイケメンで、退院するのが嫌だったくらい幸せだった!」
私はハッとしました。私は、私の基準で勝手に、そのタレントさんのことを「病気で大変だから幸せではないだろう」と決めつけていたんです。一方で、彼女は彼女自身の幸せのものさしをもっていることにも気がつきました。
確かに、一般的な人と比べて彼女が困難や苦労を抱えているのは事実です。でも、それを不幸か幸せか、決めていいのは本人だけ。私はなんて愚かだったのだろう。そして、今まで周りと比べてうらやましがったり落ち込んだりしていたのを辞めて「これからの私の幸せは私だけが決めよう」、そう思いました。
みなさんも、自分の幸せが他人基準になっていませんか?
話を戻します。確かに、みんな(多数派)と同じような進路選択をすることは簡単で、安心できます。でも、それが幸せかどうかはひとそれぞれです。起立性調節障害という特別な事情があれば、なおさらです。自分なりの幸せに向かって、時には勇気を出して少数派となることも必要です。どうかこのことを頭の片隅において、自分の進路と向き合ってみてください。
さいごに
長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。
みんなの未来は明るいです、大丈夫、うまくいくよ。起立性調節障害との闘いにも必ず終わりが来るよ。
卑怯だとか、甘えだとかなにを言われても、どうか生きてください。生きてさえいれば、なんとかなりますから。
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