盆梅の梅が咲く
「喜美子、僕、信楽に帰ってこようと思う」
八郎がそう突然言い出したのは、武志の20回目の命日に合わせて信楽に来て、喜美子と夕飯を食べていた時の事だった。
「この信楽の土で、またやってみようと思てる」
八郎は決心をした顔で喜美子に宣言した。
「なんで?長崎やないの?」
八郎は卵殻手と言う手法を学びたくて、新天地を求めて長崎に行ったのではないか?それがなぜ今更信楽?
喜美子は八郎に素直に尋ねた。
「あんな喜美子。僕は、元々この信楽の鉄分を多く含んで指がざらっとする独特の感触が好きで、信楽に来たんやで?
一度は手放した陶芸やからわかる。壊して前に進んだから、わかるんや。
僕はやっぱり信楽の土で作品を作り続けたいんや」
八郎が信楽を去る前、色んな人が八郎に色々な材料を使っての作品作りをアドバイスした。でも、八郎はそれを絶対に受け入れなかった。それだけはしたくなかった。
それほどまでに、この信楽の土が好きだったのだ。
「だからな、信楽の土でやる為に、そのためにずっと、ずっと長崎で研究してきたんや。
僕もじき75や。土をいじるのも難儀になってきてる。けどな、だからこそ、やれる先が見えてるからこそ、やりたい事が明確になってん」
喜美子は、自分の体力を顧みた。昔のように徹夜をしたりすることはもうできなくなっているし、作品を作るスピードも前よりは遅い。
でも『作りたい』という気持ちの衰えはない。
だから、八郎の気持ちはよくわかった。
「名古屋に行った頃に、やっぱり僕の目指すべき作品は、日常の中に根ざすものなんやって事が、やっとストンと僕の中に落ちてな。
信楽焼って元々日常で使われる物が主流やろ?
だから、若い僕は、ここに惹かれたんやと思う。
ただ当時は、賞を取ることでしか陶芸家で成功する道がないと思い込んでたから、無理をしてた。
でも僕は、本当は賞を取るようなお皿を作りたい訳や無かったんや。
使てくれる人が年月をかけて完成させてくれるような、その人がお皿を見た瞬間に、どんな料理載せたろう!そういう想像力を掻き立たせてくれるお皿を作りたい。
その中でも、僕にしか出せない形、色、匂いがあるはずやねん。
遠回りしたけどな。ほんま、遠回りしたけど、これが僕の道や。
だから、信楽で、ここで作るで喜美子。」
八郎は、持っていたグラスをグイッと空けた。
「でな、僕の夢、その5ってのがずっとあってな」
「その5?その3までは知ってたわ。4は?」
「4か?4は、好きな人と子供を育てること」
「よう、そういことしれっと言えるな」
「言え言うたの誰や」
「はいはいはいはい。その5は?」
「本当は、その10まであるんやで?」
「良いから、その5は?」
八郎は、笑いながら喜美子の正面に向き直し、目を合わせる。
「喜美子と2人で共同展すること」
「僕、個展もやったことあるし、喜美子ももちろんあるやろ?今もやってるし。
でも、2人でってのは、出来てないんや。
僕は知り合うた時から、ずっと喜美子の才能を信じてきた。
でも、それは僕が陶芸家としてしっかり地に足をつけている前提で、僕が喜美子より前に行ってないとあかん。
くだらんプライドや。
でも、喜美子はあっさりと僕を越えていった。
それを認めてるのに、認められなくて僕は信楽を去って、陶芸も手放した。その間、苦しい思いもしたけど、僕の中に残ったのは、陶芸が好きって言うシンプルな気持ちやった。
その気持ちだけ大切に抱きしめて、釉薬の研究に没頭したんや。
でな、あれや、新人賞のお皿持って武志に会いに来た時や、信楽の駅についたら、いつも通り、あのたぬき達が出迎えてくれてな」
信楽の駅のホームには大小様々信楽焼きのたぬきが沢山鎮座している。
八郎はその事を言っているのだろう。喜美子はすぐに分かった。
「おかえり はちさん。
そう言ってもろてる、そんな気持ちになってな。
それからも、ずっとあのたぬきに『おかえり』って言ってもろてるような気がしてん」
喜美子は思わず笑い出す。
「はちさん、時々急にメルヘンなこと言うからおかしいわ。いつかも、粘土の人形作った時、あの時も妖精言うたもんな」
「そうや。僕はロマンチストや。知っとるやろ」
穏やかながら、真剣な眼差しの八郎を見て、
茶化すなや。そう言われているような感じがしたので、喜美子はそれ以上言わなかった。
八郎は言葉を続ける。
「でな、そのたぬきがこの間
『ええよお』
って言ってくれてん。
その時、僕がなに考えてたかわかるか?
信楽の土で、卵殻手のような器ができる。そう言う配合を思いついてたんや。そしたら、たぬきがええよお言うてくれてな」
「フカ先生みたいに?」
懐かしい師匠の登場に、喜美子は思わず笑ってしまった。
「そう、深野先生みたいに。
だからな、僕、さっきも言うたけど、信楽に戻ってこようと思う。
で、ここでしっかり作品作って、ずっとやりたかった喜美子と共同展やりたいんや。それが、僕の夢その5や」
長く喋りすぎて八郎は喉がカラカラになっていることに気づいたが、持っているグラスには何も入っていなかった。何か飲み物を入れようと台所の方に立つ。
「そんなん意味ある?」
後ろから喜美子の言葉が飛び込んできた。
「え?」
思わぬ喜美子の言葉に、八郎は振り向く。
「だって、私もハチさんも別の人間や。今は別の人生歩んでる。それなのに、2人で個展やるなんて、何の意味があるん?」
八郎は、飲み物もそこそこに喜美子の前に再び座った。
「どう言う事?」
「あんな、そんなのにしがみつかんでも、私ははちさんの事、分かってるし、今の関係が変わることもないことも自信があるよ?
一度手を離したからわかる。
昔な、空襲で直子の手を離してしもたことを、私はずっと心の奥底に縛り付けてて。
だから、家族は大切にせなあかん。手を離してなならんって必死やった。
穴窯の頃も必死やった。
どうすればはちさんに認めてもらえるんやろう、そればっかり考えてた。
私の陶芸の始まりははちさんに褒められたかったからやからな。
『すごいな喜美子』そう言ってもらいたかった」
「え?そうなん?」
初めて聞く話に、八郎は驚いた。
「そうやで。ウチ、ずっとハチさんに褒めてもらいたくて陶芸やってきたんや」
珍しく喜美子の素直な言葉に八郎はただ嬉しかった。
「でもな、はちさんが信楽を去って、お母ちゃんがのうなって、武志が大学行って、1人になった時に考えたんや。
手を離すまいと必死になっても、必死すぎて、汗がベタベタになって手が離れてしまうこともある。あ、これは直子の受け売りやけどな。
だから、一度手を離して自分を見つめ直したら、心の奥底にちゃんとはちさんが、武志が、お父ちゃん、お母ちゃんがいてる。
それがわかって。
それでええやん。
そう思えるようになってん」
喜美子は立ち上がり、台所からビールを持ってきて、笑顔で八郎のグラスに注いだ。
「だから、ウチはいまハチさんと心の中でしっかり手を繋いでるんよ。
言うたやん?新しい関係築こうなって。
だから、新しい関係を築けてるウチらは、2人で個展する意味はないと、ウチは思うで」
輝くような笑顔だった。
八郎は眩しくて目を細めた。
「やっぱりすごいな、喜美子は。んで、気い強いな」
八郎はくくく、と小さく笑う。
だが、すぐに真剣な顔になって喜美子に向かい合い、喜美子のグラスにもビールを注いだ。
「でも、僕もそこは譲れんで。夢、その5やからな」
凛とした笑顔で、そう喜美子に言葉を返した。
喜美子は思わず笑う。
「頑固やなあ」
「頑固やで?知っとるやろ?」
2人で笑い合ってビールを飲む。
「あ、じゃあこれはどうや?」
喜美子が思いついて声をあげる。
「みんなの陶芸展!あれをまたやろう。
それで、ウチの作品とハチさんの作品、並べたらええやん」
八郎はしばらく考え込んで、顔をあげる。
「それ、ええなあ。いろんな人の中に僕たちの作品もあるんやな。そこに、有名、無名は関係ない。
なんなら陶芸じゃなくてもええんや。みんなに見てもらいたい物ならなんでもええ。歌でもええな」
「すごいなハチさん。えらいアイデアマンになったなあ」
「そやで?僕は喜美子と別れて、信楽を離れたから、自由になったんや。その自由はとっても苦かったし、不自由やったけど、今はまた自由や。また不自由になるかも知れへんけど、大丈夫や。僕はもう1人で乗り越えられる。
隣に喜美子がおってくれるからな」
またそう言うことをしれっと言うんやな。喜美子は照れ臭くなったが、あえて突っ込まなかった。
自分も同じだったから。
喜美子の作品の根底には必ず八郎が、武志がいる。
2人の存在があるから、喜美子は作品を作り続ける事ができるのだ。
「そっか、2人で乗り越えよな」
「うん。乗り越えよな」
「でも、作品展やるんなら、まずはハチさんなりの卵殻手、成功させなあかんよ?まだこれからなんやろ?」
「それは任せとけ。誰や思てる?」
1年後、みんなの作品展が開催された。
作品展とは言いつつも、陶芸だけではなくて、色んな作品が飾られた。お祭りのように屋台が出たり、歌のステージがあったり、誰が来ても楽しめるものにした。
その中に、
十代田八郎
川原喜美子
2人の作品が並べられた。
その間には、幼い武志と買った、盆梅が飾られた。
盆梅は今年も見事に咲き誇り、2人の作品を際立ててくれた。
「おはようさん」
「さて」
「今日も一日よろしくお願いします!」
2人で元気に体操をして土を練る。
「なあ」
喜美子が八郎に声をかける。
「なんや?」
「前にな、夢その10まである言うてたやん。それ何?」
八郎はフフフと笑って俯く。
「言わん」
「なんでや」
「言わん、言わん。よう言わん」
「なんでやー。死んでまうで?うちらもう老い先短いんやから」
「だからや。何でもかんでも知ってしもたら、死んでしまうで?」
「そう言うものなん?」
「そう言うもんや」
「ふーーーん」
「嘘や」
「どないな嘘やねん!」
かわはら工房にろくろを回す音が賑やかに響いていた。
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