未来へ行こうぜ A BEAUTIFUL STAR
過去にすがることは、未来を放棄することだ。
きっとそうだ。そうだ We’re ALIVE。
ちょっとこんなテンションも挟みたくなるんだ。出来るだけずっしりとした質感になり過ぎないように書きたくて。だって、次のステップへと向かえるような記事にしたい。
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「私たちは未来に向かってるねん!」
金曜日の夜。
街中のとある中華料理店で、割と大きめなボリュームで、エセ関西弁を放ってしまった。関西生まれ関西育ちの人と一緒にいると、イントネーションや語尾が変わることはこんなにも容易い。
食事もひと段落する頃、先日の同性婚に対する首相の発言について同僚と話していると、口を衝いて出たことばがそれだった。それが私の内側にあった思いなのだろう。
社会が変わってしまうから同性婚を認めない、と
。私はこの報道に触れてから、ひとりで考えるだけでは苛立ちも悔しさも悲しさもモヤモヤも、何も払拭出来なかった。
変わってしまう…?いやいやいや、いい加減変えようよ。変わろうよ。何十年立ち止まっているの。家族のかたちも変わるよ、変わってるよ既に。
私たちは過去を生きることは出来ないし、今は未来へと続いているのに。私たちは未来へ向かって進んでいるのに。
その反面、あなたたちは一体どこへ向かおうとしているのか。自分たちの今さえ良ければ他の人の未来はどうでもいい人たちの集まりにしか見えないな。
元秘書官の発言にしても、ああいったことが報道される度、私はこの国が心底嫌になり、この国の未来に絶望してしまう。
「日本の未来は世界が羨む」って、モーニング娘。が歌っていたのは1999年、24年も前のこと。世界が羨むどころか、国民の多くが疲弊して絶望している。ただ拒否をして検討という名の見て見ぬふりを続けるだけの政治に、誰が希望を持てるのだろう。
そもそも。変わるのが嫌だとか受け入れられないとか、そんなレベルの話ではなくて。時代の流れに沿って国のシステムを変えることこそが仕事なのではないだろうか?と思ったりするのだけれど。政治家の人と話したことはないから分からないけどさ。
時代は進む、
水は流れる、
草木は伸びる、
風は吹く、
生きることは変わることなんだと、自然が教えてくれている。私たちは、自然の中で生きている。つまり流れゆく自然の中で留まることは、取り残されるということではないのか。そう思わずにいられなくて、日本の未来への不安は膨れあがる。
「同性婚を認めると社会が変わってしまう」
やはり何度見ても聞いても消化できないな。
変わらないことを選ぶことによって変わってしまうことがある、という考えはないの?という疑問が尽きなくて。
ニュージーランドのモーリス・ウィリアムソン議員のあの素敵な演説にもあったように、法案を認めることは、当事者にとっては素晴らしいことで、当事者でない人にとっては昨日までと同じ生活が続くこと。
それならば、国としては変わることを選んで欲しいなと思う。愛し合う人同士が、結婚という選択を出来るように。ただ、それだけ。
何を信じればいいのか分からない世の中で、せめて愛くらい信じさせてよ。愛だけは、認めてよ。あなたたちが認めないと跳ね返した愛たちは、きっと今日も育ち続けている。
変わらないまま、どこに向かおうとしてるねん。
私たちは未来に向かってるねん。いい加減、進みたいんじゃ!
関西弁と岡山弁が飛び交う脳内でそんなことをひとり喋っていると、またまたモーニング娘。の歌詞が頭に浮かんだ。
数ヶ月前、同僚がチェンソーマンというアニメの曲をエンドレスで聴いていると言って聴かせてくれたそれは、「KICK BACK/米津玄師」という歌だった。
その歌詞の一文に聴き覚えがあり過ぎてまさかと思って調べたら、世間ではすっかり話題になっていた。あのモーニング娘。の歌詞が使われているとは。粋なことをしますね〜、とその時はただわくわくした。
今回のことでまたこの一文が頭に浮かんだからどんな歌詞だったか気になって、「そうだ!We're ALIVE」の歌詞を調べてみた。するとそこには、いま必要としているキーワードが並べられていた。つんくさん、ありがとう。
過去に戻りたくもないし、戻りたくても戻れないんだから。このまま留まることも、いつまでも出来ないんだから。
未来のための努力を、
未来に向かって前進を、
未来よずっと平和に、
そんな素直な叫びが、願いが、潰されてしまう現在。
容赦なく心をへし折ってくるような社会、きっぱり諦めたくなるような世の中。
平和は危うくなっていく一方。
見たくないもの、聞きたくないことで溢れ返る。
悲しくて、悔しくて。
でも、それでも、腐らずに。
顔を上げて、声を上げて。
未来に向かって、進むから。
そうだ、負けてたまるもんか。
じっくり読んでいただけて、何か感じるものがあったのなら嬉しいです^^