見出し画像

執筆のうまくいかなさから逃げるように,映画『鳩の撃退法』と藤原竜也の演技の大きさについて

これはどうもうまくいかない。今日は調子が悪い日だ。調子が悪くてもデスクに向かって文章を書く、と村上春樹は言っていた。もちろん、僕もその通りにした。こういう日ほどつらい日はない。

予定を変更して早めの昼食。映画『鳩の撃退法』の続きを観る。残すところあと1時間のところで僕はiMacをスリープ状態にした。歯みがきしながら日経新聞を読む。

もしかすると、僕は、藤原竜也のことをきちんと観るのはこれが初めてなんじゃないか。前にもなにかを観たような気もしなくはないが、記憶に残っていないので、まぁこれが初めてだということにしておこう(念のため、自分の日記で「藤原竜也」を検索しておいたが、ヒットしなかった。日記は僕の大切なデータベース)。

藤原竜也の演技はどうしても大きい。舞台用の演技を映像でもしてしまう。ただ、つねに大きいわけではない。だいたいが大きいけれど、ふつうくらいのサイズのところもある。

演技が小さいところはない。存在しているだけで、大きい。でもそれってすごいことだ。藤原竜也という存在が唯一無二であることを証明している。藤原竜也には主役しか務まらない。


関連記事

❶ #日記 4月23日〜4月26日

❷ 書きたいものを書きたいように書きながらも,この数年間で,書いている最中に演劇になっていく様子をたまに思い浮かべるようになったし,頭のなかに浮かんでいる演劇的イメージをもとにして台本を書くようにもなった.

❸ 重たい鉄塊を持ち上げたときに感じる筋肉の負荷の心地良さについて


この記事が参加している募集

映画感想文

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。