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ゴールデンウィークの予定

ゴールデンウィークに決まりかけていた大きな予定がひとつなくなった。そのことで、僕はいくらか落ちこんでいた。自信があったのだ。僕がつくった文章は完璧だった。そのような自信がどこから湧いて出てくるのか、とてもふしぎだけれど、やはり何度見返してみても完璧だった。相手が事前に提示してきた文章にいくらかの共感を示し、そこに自分の意見を肉づけした。いかにも頭の良さそうな文章。そういう文章はたぶん白い色をしている。だから、僕は、そういう文章のことをごく個人的に、ホワイト文書、と呼んでみることにした。返事を保留させてもらっていた、友人の結婚式に出席できることになった。

ホワイト文書

いかにもホワイトカラーの人間がつくりそうな文書。圧倒的に明快。比喩などの文学的表現は往々にして、文書の内容を曖昧にするので不適切と判断される。つまり、この手の文書では読者の想像力を掻き立てることよりも、読者に情報を正確に伝えることに重きが置かれている。そのため(それに関連して)ホワイト文書は句読点が少ない。文と文のあいだに、句読点がはさまると、解釈の余地が生まれてしまう。このことから、句読点を読みやすさのためだけではなく、文学的表現の一種としてもちいることが可能であることがわかる。


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