【短編小説】 領収書
ここは僕が出すから、と渋谷がスウェットパンツからカネを取り出した。
カネは束になって銀色のクリップで挟まっている。真鍮のクリップ。それは上品に控えめに輝いてみせていた。
いやいや、それは悪いよ、わたしたちも払うよ、とかつてのクラスメイトが一斉に声をあげる。麻倉は立ちあがって、財布から出した1万円札を渋谷に渡そうとする。渋谷は、落ち着いて、と手で制する。まるで暴れ馬をしつけるみたいに。渋谷の顔には優しそうな笑みが浮かんでいる。
「そうしたら今度は麻倉にご馳走になろうかな。今日はぼくに払わせてよ。なんてったってぼくの個展にわざわざ来てもらったんだ。ほんの少しだけどそのお礼をさせてよ」
渋谷はひとりで会計を済ませに行った。その間、渋谷のかつてのクラスメイトたちはなにも喋らなかった。みんな、この結末をおおよそ期待していた。おれは、財布を両手で握ったまま静止していた。まだポケットにそれをしまうには早い。渋谷が帰ってきて、
「本当にありがとう」
と礼を述べてから、それじゃ、と財布をしまうのがスジだ。
おれにはカネを払う気なんてさらさらなかった。というか、払うカネを持っていなかった。渋谷の個展に顔を出す前に買わされた花束のせいで、おれの有りガネは尽きてしまった。財布の中には1枚のクレジットカード。それから大量の領収書。
領収書を持っていれば持っているほど金持ちになった気がして嬉しい。だから、おれは買い物をするたびにかならず領収書をもらうことにしている。
「レシートじゃなくて、領収書をください」
このセリフを言うたびに自分が一端の人間になった気がする。
おれは事業主ではない。おれは労働者だから、領収書を持っていたってなんの役にも立たない。けど、カネがなくてもカネがある振りをするべきだ。貧乏人が貧乏人らしく振る舞えば、貧乏人はいつまでも貧乏から抜け出せない。だからカネがなくてもカネがある振りをする。おれの財布はすっからかんだ。けれどもおれはそれを取り出して払う素振りを見せた。おれにはカネがあるんだぞ、と虚勢を張ったわけだ。
だが、おれにはわかる。ここにいる全員が端から払うつもりなんてなかったんだと。
おれたちは予感していた。六本木で開かれていた渋谷の個展を観終わったあと、渋谷が予約してくれていた麻布のレストランへ移動した。しかもタクシーで。
信じられない!
とおれは思った。かぼちゃの馬車が目の前に現れたときのシンデレラの高揚はきっとこんな感じだっただろう。
渋谷が配車した2台のタクシー。降りるときにおれたちはメーターを気にした。お代は配車アプリ経由で支払われることになっています。と運転手が言った。
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