私の芸術の原点
1874年4月15日〜5月15日、カピュシーヌ大通り35番地のアトリエで第1回印象派展が開催された。30人のメンバーが165点の作品を持ち寄った。
ジャーナリストのルイ・ルロワは、展覧会に足を運び、以下のような記述を発表した。
このように半ばからかいのニュアンスが込められながら、「印象派」という呼称が誕生したと通説されている。
ちなみに、ルイ・ルロワの文章には、話者が2人登場しているが、ひとりはルロワ自身、もうひとりは“新古典主義の画家”ということだがこの人物は実在しない。ルロワがつくりだした「架空の老画家」である。
ジャーナリストのルロワは小説のような形式で展覧会を批評した。
自身が言いづらいことや嘲笑、ぶべつの類を「架空の老画家」というパペットに押し込めた。文章中の自分はそれを宥め、案内するだけといった役まわり……なんとこそくなやり口だろう。
しかし、まあ、ジャーナリストにこのような書きかたをさせてしまうほど、第1回印象派展は当時の人たちに軽く見られていた。とも言える。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。