「かいぶつ、だーれだ」-2
映画を観終えて1週間
贅沢な文字量のパンフレットをついに読み終えたので
先日書いた記事の続きを綴ってみる
自分の中で消化するのに
ずいぶん時間がかかってしまった
映倫という文字が視界に入り、劇場が明転したとき
いい邦画には台詞はいらないんだな と思った
“いい邦画” というたった4文字で片付けてしまうのは
失礼な気がするくらいに
かなり複雑な題材
+物語をメインで彩るのが子役なのに
決して台詞が多くない
単純に台詞が少ないことがすごいのではなく、
台詞が少なくても “伝わる・絵が持つ” ことがすごい
すごいと言うか、
やろうと思ってできることではない気がするので
台詞に頼らずとも伝わる映し方を選んだ是枝監督も
言葉で伝えるべき部分とその他を洗練した坂元さんも
表情や息遣い、目線で感情を伝えられる役者さんも
無言の映像に意味をもたらす坂本さんの音楽も
唯一無二のプロフェッショナルであることを思い知る
それと同時に自分の視野の狭さに幻滅する
物語が進んでいく中で
湊の母(親)→保利先生(先生)→湊と依里(子供)へ
視点が切り替わっていくと共に
冒頭から結末まで登場人物に抱く印象が
目まぐるしく変わり、何が真実なのか分からなくなる
いかに自分が
1人の視点だけにのめり込んでいるのか
周りがまったく見えていないのか気付かされる
ハッとさせられる
まだ24歳
これから先今の私には知る由もない状況を
何度も経験することになると思うが
本当に自分の考えは正しいのか、
他者の視点で “怪物” になってしまってはいないか と
節目節目でこの『怪物』という作品が
慣れによる甘え・凝り固まった思考に
喝を入れてくれるはず
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