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親友は「お嫁さんになるのが夢だった」と言った

去年の夏、久しぶりに”親友”と会った。

親友とは家が近所で自然と仲良くなった。
たぶん小学校1年生の時には、お互い”親友”であることを決めたと思う。

毎日のようにふたりで色んなところに寄り道して遊んだ。
田んぼで小さなエビを捕ったり、
木や塀など色んな高いところに登ったり。
わたしたちは、なかなかお転婆だった。

共働きで親がいない我が家によく来ては
一緒に製氷機から氷を食べ空腹をしのいでいた。
(平成の話です)

そのおかげか、家にお母さんがいなくても
寂しかった記憶はない。

中学生になると、
お互い所属するグループが変わったり、
どちらかが女子特有のトラブルに巻き込まれたりする時もあったけど、
登下校だけは毎日一緒で、相変わらず親友だった。

ちょっとしたいざこざで共通の友人にわたしが無視されているときでも
親友だけは変わらずに話しかけてくれた。

高校は別々になり、さすがに会う機会は減ったが
誕生日やお正月には「これからもずっと親友でいよう!」
というようなメッセージをマメな親友は欠かさずくれた。
わたしはいつもメッセージを返信する側だった。

高校卒業後、
わたしは東京の大学へ進学した。
一方、親友は地元の観光ホテルで働き始めた。

わたしたちはほんとうに離れてしまったが、
親友は定期的に連絡をくれ、
帰省の度に必ず会っていた。

「東京なんてすごいなあ!」と何度も彼女は言った。「わたしにはぜったい無理や。」とも。


わたしがようやく社会人になるころ、
彼女は結婚した。

結婚相手の仕事の都合で、
彼女は地元から遠く離れた、
東京からだとさらに遠い、地方の港町へ引っ越していった。

結婚相手の地元で行われた結婚式。
多くの友人が参加する中、わたしは”親友”として
受付と、スピーチという大役を任された。
(ついでにブーケももらった)
その結婚式は、わたしがいままで参列した式の中で
間違いなくいちばん素晴らしかった。(1番泣いた)

その後も相変わらず、定期的な連絡は取りつつも、東京で働くわたしと、地方で主婦業をこなす彼女はまったく違う人生を歩んできた。

幼い頃に交わした”親友”という決まりごとだけで
つながっているようにも感じていた。

そんな彼女と、久しぶりに地元で再会した。
それが去年の夏。

彼女は何も変わらない、
変わったといえば、彼女にそっくりな子供が
3人ついてきたくらい。(めちゃくちゃ似ている)

そのときわたしは転職するかどうか悩んでいて、
そういう話を彼女にしていたと思う。
自分でも何がしたいのか分からないとか、
仕事って大変だとか。

そのときにふと、彼女が
「わたし、お嫁さんになるんが夢やったんよ。」と言った。

「お嫁さんになって、お母さんになりたいと思ってた。
 ●●(わたしのこと)には理解できんかもしれんけど、ずーっと、それだけが夢やったんよね。」

20年以上”親友”だったのに、わたしは初めて彼女の夢を聞いた。
いや、もしかしたら以前にも聞いたかもしれないけれど完全に忘れていた。

わたしは彼女のことを知っているつもりで
なんにも理解していなかった。

彼女がどういうつもりでその話をしたのかは分からない。

けど、心のどこかで
わたしは彼女の生き方に共感できず
無意識に否定的に思っていたのかもしれないと気づいた。

もしかしたら彼女が、それを感じ取っていたのかも、とも。

地元から出ることを「自分には無理」だと言って選択肢を捨てた子たちを見て、「もったいないな」と誰目線なのか偉そうにも思っていた。

仕事を辞めて結婚相手についていく選択をした親友に対しても、
「相手の都合で自分の人生を決めていいの?」と
少なからず余計なお世話なことを考えていた。

わたしは、
地元を出て、広い世界に飛び出して
色んな人と出会って刺激受けて
色んな経験をすることをするのが「良い」生き方だと
誰の影響かは分からないが思って生きてきたのかもしれない。

それは、その通りだと思う。
知らないことを知るのはとてもおもしろいし、
実際に、ちょっとずつだけど成長している気がする。

でも、どこかで焦りもあった。
「せっかく東京に出たのだから」と。
地元が嫌なわけではないけど、
(むしろ好きだけど)
地元にいる子たちよりも「良い」生活をしなくちゃとか
ほんとうにどうでもいいことで見栄を張ることがあった。
だれかと人生を競っているわけでもないのに。

親友の言葉で、
なんだか身軽になった。
わたしはなんて自分勝手な奴だ。

地元に残って働くことも、
結婚して子育てすることも立派な生き方だ。
親友のように、旦那さんに付いていって
知らない土地で暮らすこともまた
わたしには経験できていない未知の世界。

親友は親友で考えて、色んな人生の選択をしてきた。
自分の「夢」に向かって進み、それを見事に叶えた。
わたしにはそれを否定したり、
勝手に哀れんだりする資格はない。

堂々と「夢が叶った」と話すわたしの親友。
めちゃくちゃかっこいいと思ったし、
同時に羨ましくも思った。

「今、幸せ?」と聞いたら
「すごく幸せよ」と笑っていた。

「夢を叶えるなんてすごいね。羨ましいなあ。」
わたしは、心の底から思ったことを言った。

その時のことを振り返って、思う。
彼女が”親友”で本当に良かったと。
全然違う人生を歩み、
わたしの知らない世界を話してくれる。

幼い頃は「一緒である」ことが大事だったけれど、
今は「違うこと」がどれほど尊いことなのか
分かるようになってきた。

知っていること、知らないこと
想像できること、できないこと

そのどれもを受け入れることは難しい。
けど、否定はしたくないと思った。
大切な人であるならなおさらそうだ。


わたしたちはいま、遠いところにいる。
場所もそうだし、送っている生活も全然違う。

子どもの頃のたわいもない決まりごとだけで
つながっているのかもしれない。
それでも、わたしにとっては大事な決まりごとだ。

相変わらず、メッセージは返信する側かもしれないけど、
これからも、お互い何があっても
わたしは彼女と”親友”でいたい。


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