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「きっと自分を支える言葉と出会えるから」――新学期に悩む君に向けて、内田也哉子と森絵都が語り合ったことのすべて。

生きづらさや未来への不安を抱えている子どもたちに、今、必要な言葉ってなんだろう? そんな漠然としたテーマについて、お二人にお話しいただきたいと思ったのは、『9月1日 母からのバトン』『泣いたあとは、新しい靴をはこう。』という2冊の本を編集したことがきっかけでした(以下、『9月1日』『新しい靴』と表記します)。

カバー表1

2019年8月に刊行された『9月1日』は、2018年9月15日に亡くなられた樹木希林さんが遺した、学校に行けないことに悩み、自殺という選択をしてしまう子どもたちのための原稿をもとに、娘の内田也哉子さんが感じたこと、考えたことを、4人の識者・関係者との対話からドキュメンタリーのようなかたちで構成した一冊です。「9月1日」というのは、年間の子どもの自殺者数が最も多くなる一日。この悲しい一日が、何気ない、ふつうの一日になりますように。そんな祈りを込めて編まれています。

この本の最後には、日本文学研究者のロバート キャンベルさんと内田さんとの対話が収められているのですが、校了前に内田さんが、「まだスタート地点に立ったばかり。もっとこのテーマは掘り下げないといけない。もっといろんな人と話したい」とおっしゃっていたことが印象に残っていました。だから、「延長戦」のようなことをどこかで出来たらいいと、ずっと思っていました。

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同年12月には、日本ペンクラブと『新しい靴』を編集させていただきました。逆境のただ中にいるティーンの悩みに、44名の作家たちが、言葉で向き合おうとした人生相談本。その「あとがき」を書いてくださったのが、森絵都さんでした。

そんなある日、森さんから、『不登校新聞』の編集長・石井志昂(しこう)さんとシンポジウムでお話をすることになり、今『9月1日』を読んでいるところです、というご連絡をいただきました(12月15日、「広げよう!子供の読書応援隊」フォーラム)。

これは運命だと思いました。なぜなら石井さんは、『9月1日』の制作にご協力いただいただけでなく、内田さんが初めて不登校について対談をしたお相手でもあったからです。

思えば森さんの作品には、初期の『宇宙のみなしご』や、近刊の『カザアナ』をはじめ、さりげないかたちで、不登校の子どもたち(ときには自殺してしまった子どもの魂)が登場します。さらに、文庫版『カラフル』の阿川佐和子さんによる解説の中では、森さんの「荒れていた中学時代」についても少しだけ紹介されていました。

森絵都さんにとって、学校ってどういう場所だったんだろう? 不登校について、どのように思っているんだろう? それらのことについて、内田也哉子さんと話してみてほしい……! そんな風に思いました。

今回の対談は、この唐突なリクエストを、お二人が引き受けてくださったことで実現したものです。季節はもうすぐ新学期。4月は、夏休み明けの9月に次いで、子どもたちが追い込まれやすくなる月でもあります。お二人は、悩みの最中にいる子どもたちに向けてどのようなメッセージを発したのか。その一部始終をお送りしたいと思います。

(構成=天野潤平/撮影=持田薫)

この本は、そのときにしか開けられない扉だった

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 『9月1日』とても良い本でした。

内田 ありがとうございます。

 でも、とてもしんどいテーマでもありますね。

内田 ここからさらに掘り下げていかなければ、と思っていて、春から取材をベースにした連載を始めようと思っています。なるべく社会に役立てるようなテーマで。

 いろんな活動をされている方を訪ねるんですか?

内田 そうですね、現場で活動されている方とか。お恥ずかしいことに、私は普段、新聞もあまりも読まないですし、ニュースも見ない。だからこそ、せっかく場を与えていただけるのであれば、社会に今、何が足りていて、何が足りていないのかを知りたいと思います。自分の子どもたちが大きくなってきて、余裕ができてきたからというのもあるんだけど。

 そうですよね。

内田 それに、母が亡くなるよりもだいぶ前、30代後半の頃かな。あんたはそろそろ社会を勉強しなさいって言われたんです。世の中には世界規模の事象がたくさんあるんだけど、それが自分とリレイト、つまり自分の中でのリアリティにつながっていかないと、なんというか「出会えない」と思っていて。『9月1日』もそう。不登校というものが社会にはあって、それが子どもたちの死につながっている現実があると、死を目前にした母から聞いたことから始まりました。

 内田さんは、希林さんの思いを引き受けたんですね。

内田 それがなければ無縁のままだったと思います。人にはいろんなタイミングがあって、そのときにしか開けられない扉があるのかもしれません。

なぜ、子どもたちに向けて書いたのか

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内田 絵都さんが参加されているペンクラブの本も拝見しました。これをつくるきっかけはなんだったんですか?

 実は以前、『10歳の質問箱』という本をペンクラブでつくったのですが、これは第3弾なんですよね(2冊目は『続・10歳の質問箱』)。日本ペンクラブ「子どもの本」委員会というのが10年前くらいにできたときに、せっかくこれだけ作家や編集者がいるんだから、みんなで子どもたちに向けて何かできないか、と考えたんです。それで、今悩んでいる子どもがいたとして、その悩みに対する答えはひとつではないから、作家それぞれが向き合ってみようか、ということになりました。今回の第3弾は、現委員長のドリアン助川さんが熱心に取り組まれて実現したものです。

内田 その「子どもたちに」という初期衝動は、どこにあったのでしょう。絵都さんにとってのリアリティといいますか。人との出会いがあったとか、ニュースを見たとか、きっかけがあったのですか?

 私はふだん子どもの本も書いているので、子どものことはいつも気になっていますね。ペンクラブでも子どもをめぐる問題は常に話題になるんですけど、たとえば皆でシンポジウムを開いても、そういう場に集まってくるのって、やっぱり大人なんですよね。「子どもの本」委員会なのに、なかなか子どもと触れ合えない、という悩みはありました(笑)。

内田 そっか(笑)。

 でも、いざ子どもを集めようとすると、親が連れてこないといけないとか、壇上に子どもをあげるために保険をかけないといけないとか、現実的な難しい問題が出てくる。それでも子どもに向けて何かしたいと考えたときに、やっぱり本かな、という話になったんです。

内田 読みながら、ちゃんと子どもにつながっている感じがしましたよ。

 ありがとうございます。子どもに届くといいんですけど。

二人が「子どもの本」を書いた理由

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内田 作家としての絵都さんについて、もう少しお聞かせください。まず絵都さんは、別に「子ども」だけに焦点を当てて書いているわけではないですよね?

 そうですね。

内田 それでも最初に物を書こうと志したとき、そこにはすでに「子ども」というキーワード、というか存在があったのでしょうか? 

 私が作家になりたいと思ったのは、高校3年生のときです。全然勉強しなかったので、大学に行く学力もなければやる気もなく、じゃあ何になろうかと考えたときに、ひとつ、自分がそれまで好きで、これなら続けられると思ったのが、文章を書くことだったんです。そこで書くことを仕事にするという道を選んだんですけど、何せまだ17、8歳だったので、自分自身が子どもでした。大人に向けて高尚なことを書くよりは、自分が通り過ぎてきた時代を、まだ肌感覚として覚えている感情を、自分よりも若い10代に向けて書けたらいいな、と思ったのがスタートラインです。だから最初の10年間くらいはずっと中学生向けの本を中心に書いていましたね。

内田 そうだったんですね。

 私からも聞いていいですか? 内田さんは絵本の翻訳をされていますよね。マーガレット・ワイズ ブラウンの『たいせつなこと』(フレーベル館)。

内田 ええ、ええ。

 あれはすごく良い訳でした。内田さんってこんなに素敵な言葉を紡がれる方なんだ、って思いました。

内田 本当ですか? プロに言われるとうれしい(笑)。ありがとうございます。あの絵本は、私がそもそも好きだったんです。その頃、新聞に好きな絵本を紹介するコラムがあったので、そこで良さを熱弁したんですけど、その本をまだ日本で見たことがなくて。それで知人から「翻訳してみれば?」と言われて、それがきっかけで訳しました。

 それはあの本にとって、すごく幸福な出会いだったと思います。

二人にとっての「読書」

内田 私、絵本がすごく好きなんです。大人になってもずっと。それは子どもがいるからというのもあるんだけど、小さいときから文字だけの本を読むのが苦手だったんです。でも、絵本なら詩集みたいな気持ちで読めるというか、文字が少ない分、行間で空想できるし、遊べる。だからなのか、子どもと遊ぶときも唯一、絵本なら一緒に楽しく読めるんですよね。むしろそこでしか子どもとつながれない。おままごととかをしていると憂鬱になってくるんです(笑)。

 そうなんですね(笑)。

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内田 大人でも、子どもとの遊びが得意な人っているじゃないですか。そういうのがすごく苦手で、母親として悩んでいたときに、自分の好きなものだったらいくらでもツールにできるな、と思って。そこから発展して、翻訳につながったんですよね。

 あまりいないですよね。大人になるまで絵本にずっと親しんできた人って。

内田 ああ、そうですかね。確かに、もっと読むほうにいきますよね。私、実はあまり本を読まないんです(笑)。活字を読む癖がないというか。

 そうなんですか!

内田 でも、言い訳なんだけど(笑)、今回みたいにお話しする機会や何か偶然の出会いがあったときに、わっと一気に読むのはすごく好き。森さんは常に読みますか? きっとお仕事だから、いろんなところから送られてくるでしょ?

 読みます。ごっつい仕事の資料とかも多いですね。個人的に惹かれるこういう本(『9月1日』)はスープみたいにぐいぐい読めます。

内田 スープ! 良い表現ですね(笑)。

 難解な資料とか読むと、肉厚だなって思っちゃう(笑)。

内田 読むのにも体力が必要ですからね。

 時間も必要ですしね。ただ一時期、書くほうに力を入れて、まったく読まなかった時期があるんですけど、そうすると言葉がスムーズに出てこなくなるんですよ。やっぱり、言葉には触れていないといけないんです。

森絵都の原点

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内田 確か『カラフル』(文春文庫)の解説に、小学生のときの先生からベテラン編集者のように作文指導されたというエピソードがありましたよね。やっぱりその体験が「書くこと」のおもしろさに目覚めた第一歩だったんですか?

 原点ですね。3、4年生の頃の担任の先生だったんですけど、その出会いは本当に大きいです。

内田 どんな先生だったんですか?

 すべてのことに情熱的でしたけど、とりわけ作文。普通だったら、テーマを与えて、書かせて、丸とか花丸を付けていきますよね。でもそうすると、採点だけで終わっちゃうじゃないですか。その先生の場合は、まるで編集者みたいな朱を入れて、直させるんです。「ここをもうちょっと変えたらよくなるんじゃない?」って。

内田 ブラッシュアップしていく過程が楽しかったんですね。

 実際に原稿が生き生きとしていくんです。ただの言葉の羅列が、人に訴えかけるような文章になっていく。それが子ども心にもすごく楽しかった。その先生は、作文コンクールが近づいてくると、やる気のある子どもたちには他の授業中もずっと作文を書かせてたくらいでした(笑)。

内田 熱量が全然違う(笑)。

 私も算数とかやりたくなかったから(笑)。好きな作文を書いていられるということで、実際に書いている子が5人くらいはクラスにいました。その先生のおかげで書くことの楽しさに目覚めたように思います。

内田 じゃあ、小学校時代は割と良い時代だったんですね。

 ギリギリ良い時代でした。中学からは暗黒時代に入っていくんですけど(笑)。

内田 え~!(笑)

暗黒時代

内田 暗黒時代って、中学から何か環境が変わったりしたんですか?

 実はちょうど「校内暴力」の時代で、荒れに荒れていたんですよ。学校に行くと先輩たちが窓ガラスを割っていたり。

内田 そんなドラマみたいな!

 みんなで世話をしていた鶏小屋の鳥たちが一夜にして殺されるとか。トラウマですよね(笑)。

内田 ひどい……。

 ほんと、学校が「戦場」のようだったんですよ。殺伐としていました。

内田 多感な時期に洗礼を受けたんですね。そんな中、個人的に何かがあったわけではなかったんですか?

 いや、個人的にも道は逸れていたというか……いろいろ問題を起こしていました(笑)。

内田 起こすほうだったんですか!? 意外すぎます(笑)。

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 この間のシンポジウムで、石井さん(『不登校新聞』編集長)から「不登校」の定義(*1)は年間だいたい30日くらいの欠席だと伺ったんですけど、余裕で私、不登校でした(笑)。

内田 それは「ひきこもる」というよりも「さぼる」という理由で? 

 そう、さぼりです。学校にじっとしているのが耐えられなくて。まあ、机に座ってじっとしているのは小学校の頃から苦手だったんですけど、中学校に入ったら誰も机にじっとしていなくなったのでなおさら(笑)。うちの中学って、校舎の隣に雑木林があったんです。それを隔てる3メートルくらいのフェンスがあったんですけど、みんな学校が嫌になるとそこによじのぼって……

内田 なんだか嫌な予感(笑)

 フェンスを乗り越えて、雑木林に紛れて逃げるんです。そうやってよくさぼっていましたね。中学3年生になると、一日中学校にいることなんてなかったですよ。

内田 中1の頃はまだおとなしかったんですか?

 中2までは先輩が怖かったので、ある程度おとなしくしていました(笑)。中3になったらやりたい放題。

内田 なるほどなあ(笑)。

*1:文部科学省は「何らかの 30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を. 心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、除いたもの」と定義している。

経験できなかった反抗期

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内田 今のお話を聞いてふと思ったんですけど、子ども時代も含めて自分の人生を振り返ってみると、一度も学校とか先輩とか、そういう何かに反発したことがないなあ、って。

 というと?

内田 今って反抗期のない子が多いと聞くけど、その弊害というのは、私自身ひしひしと感じているんです。やっぱり、子どもの頃の絵都さんみたいに、体制とかルールに対して、それが正当であろうがなかろうが、何か強い情熱を持って、バーンと跳ね返すくらいのエネルギーの交換じゃないけど、そういう経験をしている人としていない人だと、あとの人生にも何か影響が残るんじゃないかと思うんですよ。どう思いますか?

 心の中に隠し持っていた反抗心もなかったんですか?

内田 感じてもいなかったです。日本の中学校に初めて入ったとき、友だちみんな親が厳しくて、門限を破ってはいけない、繁華街に行ってはいけないとか、ルールを課せられていました。でも私の家にはルールがなかったし、何も禁止じゃないから自由でした。だから、繁華街に行ったところで何があるということはないけど、ルールを破るということ自体が楽しそうで、羨ましいと思っていたんです。母は、あなたが全部自分で責任を持ちなさいという感じだったから、ぶつかっていく壁がそもそもなかった。ぶつかってみようと思って助走をつけていくと、あれ、ない! みたいな(笑)。とにかく、反抗期を逃がしてしまったなあ、という感覚なんです。

 学校や周囲の大人に対する不信感みたいなものもなかったんですか? 私は中学時代、不信感だらけだったんですが。

内田 それもなかったんですよね。その分、私が唯一ふつふつとした怒りを持っていた、自分の両親、特に父(内田裕也)の在り方にエネルギーを費やしていたのかもしれない。でもそれも、別に表現するわけではなかったです。もちろん中学生くらいになると、母に「なんであんな人と?」みたいな疑問をぶつけるようにはなったけど、それも隠すわけではなくちゃんと言うし、言っても摩擦が起きないんですよ。

 なるほど……。

内田 人間って、いかんともしがたいものをみんな抱えているし、腑に落ちないことだらけなんだよって。それを早くに教わったから、反発しようと思えなかった。だからこそ、友だちや絵都さんのエピソードを聞いていると、そういう反発心があったら、もっとハングリー精神のようなものを持てたのかもしれないな、と思ってしまう。もっと世の中の異変を察知できる能力があったのかもしれないし、それをもっと自分ごとのように考えられたんじゃないかなって。私の性格は、すごくとりとめもないというか、「そうか、これが人生か」って、受け身な感じなんですよ。

 きっと、すごく早くに大人になられたんですね。

内田 それが切なさでもあるんですけど、だから私の子どもたちには、なるべく「ふつうのルール」をいったんは押し付けようとしているんです。自分を反面教師として。

家族に良い思い出がない

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内田 道を外れていったとき、森さんのご家族の様子はどうだったんですか?

 うちの母親はその頃、宗教にのめり込んじゃって大変だったんです。

内田 そうだったんですか!

 怪しい感じのところではなく、小さな新興宗教団体だったんですけどね。

内田 それは、絵都さんがグレたことをきっかけに?

 気に病んじゃったみたいで。うちはもともと共働きで、ほとんど親が家にいなくて。私も小学生の頃から買い物に行ったり、ご飯をつくったりしていたんです。

内田 私と同じですね。ごきょうだいは?

 姉が一人います。それで、両親は仕事で疲れているし、私もグレるし、母もイライラしているし、家はあんまり安らげる場ではなかった。だから外で遊ぶようになりました。ただ、新興宗教に入ってから母親が「今日も一日がんばろう!!」とか言い出すようになっちゃって……。

内田 急にポジティブに?

 唐突に笑顔を振りまくようになって戸惑いました(笑)。

内田 自分のせいでそうなったという罪悪感はありましたか?

 いえ、たまにお手伝いに行くくらいでしたし、お金を大量に貢がされるとか、悪質なところではなかったから。なんかやってるなと、当時はただ冷めた目で見ていただけでした。

内田 お姉さんはどうだったんですか?

 姉はすごく真面目で、母とも仲が良かったです。姉妹のようにいつも一緒にいたし、自分のことをなんでもかんでも母に話していましたね。私はまったく話さない子でしたから、家庭の中にちょっとした「断絶」のようなものを感じていたんです。

内田 お父さんには話しやすかったとか、そういうのもなかったですか?

 父は深夜にしか帰ってこない人だったので(笑)。帰ってきても酔っ払っていたし、子ども時代の家族にあまり良い思い出はないですね。

一緒にやり返してくれる友だちの存在に救われた

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内田 家庭がそういう状況でも、外の世界で安らげたということは、良いお友だちがたくさんいたということでしょうか?

 友だちには恵まれていました。家でしゃべらない分、外でしゃべりましたね。自分の中でバランスを取っていたんだと思います。

内田 不登校の子に多い、人とうまくコミュニケーションがとれないとか、いじめにあってしまったというような、そういう経験もほとんどなく?

 いじめられたことはありましたよ。たとえば、朝行ったら上履きに牛乳が流し込まれていたり。

内田 ええ!

 そんなことがしょっちゅうあった時代です。

内田 それ……私からするとすごいクリエイティブ。そんなこと、どうやって考えるのかしら。

 確かにそうですね(笑)。ただ、私はそういうときにやり返すほうでした。誰がやったのかもだいたいわかっていたので、その子の上履きに墨汁を入れ返しました。

内田 ガッツがありますね……。

 そういうときも、友だちが一緒に怒ってくれたんですよ。だから、そういう友だちがいたことには救われていました。でも本当に、やられたらやり返す、みたいな世界でしたね。

いじめは「いじめている側」の問題

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内田 でも、中にはきっと、絵都さんみたいにやり返せないお友だちもいたでしょ?

 いましたね。

内田 そういう子を見て、当時の絵都さんは正義感をみなぎらせて、「あんた何やってんのよ!」って、その子のことまで助けるほどのエネルギーはあったのかな?

 いや、私は加害者側にまわることもありましたから……(苦笑)。

内田 そうか(笑)。

 きのう誰かをいじめてた子が、今日は誰かにいじめられている。やったり、やられたり、本当にそんな毎日でした。ただ、あの頃って、ある程度のところまでいくと、「それくらいにしておきなよ」「ここまでだよね」というのがあったんですよね。誰かが仲裁に入ったりするとか。暴力はアウトとか、子どもなりのラインがあった気がします。

内田 いじめのない世界なんてありえないだろうし、人間の心なんてそういうものですからね。でもじゃあ、現代になるにつれて、ブレーキが利かなくなっている感じはしますか?

 SNSが出てきたことで、単純にトイレに呼び出すとか、そういう形のいじめではなくなってきていますよね。どこで何をやられているかわからないという怖さがある。でも、いつも思うのは、いじめって「いじめられている子」の問題として捉えられがちですけど、本来は「いじめている子」の問題ですよね。明らかに加害者側の問題。そのことを考えていかないと、いじめはなくならないと思います。今、当時のことを振り返っても、先頭に立っていじめていた子って、やっぱり何かストレスや家庭に問題を抱えていた子だったから。まずその子たちのことを見ていかないといけない。いじめられている子はただの被害者です。

内田 確かに、とばっちりのようなものですよね。学校も、もっといじめている子のケアやカウンセリグも含めて、サポートしていけたらいいんだろうな。そういうのって、すでに始まっているのかな?

 私はまだそこまで教育現場に詳しくないけど、カウンセリングという意味では十分ではない気がしますね。いじめられている側に話を聞くことはあるかもしれないけど、いじめている側とどこまで話をできているのかどうか。そこは気になるところです。(*2)

*2:平成7年(1995年)度から文科省は臨床心理士などを「スクールカウンセラー」として全国へと配置・派遣し始めた。平成18年(2006年)度には全国約1万校に配置・派遣されるに至ったが、カウンセラーの資質や経験の違い、都道府県や各学校における活用の仕方に大きな差が見られるなど課題も指摘されている。

「物語」が立ち上がるとき

編集部 横からすみません。森さんの作品には、「不登校」や「子どもの自殺」というトピックがさりげなく出てきますよね。それは今のような問題意識に基づいて、意識的に盛り込んでいるのでしょうか? それとも無意識に出てくるのでしょうか? 

 無意識に出てきちゃうんですかねえ。でも、自分の子ども時代が荒れていたからこそ、本の中の世界はもうちょっと健全であってほしいと思うんですよ。失われた暗黒時代をそのまま描くよりは、もう少し爽やかな世界を描きたいと思っています。

内田 『9月1日』ではストレートに社会問題としての「不登校」を描いたけど、絵都さんの小説の場合はそうではないんですね。物語を書いていく中で、たまたま要素として出てくるもの。

 物語って、こういう問題を訴えたいとか、私個人の啓蒙的な目的意識をもって書くよりも、もうちょっと自然発生的に、無我の中で物語の種をふくらませるような育て方をしたほうが、大きく伸びていってくれる感触があるんです。もちろん人それぞれですから、私の場合はですけど。自分という小さな人間をこえる物語を書くには、自分の考えで頭をいっぱいにするよりは、むしろ空っぽにしたほうがいいような気がしています。

内田 じゃあ、基本的にはまずインスピレーションがあるのでしょうか?

 そうですね。衝動……なんかこれ、書きたい、みたいな。原因がわからない、ふとした衝動のようなものがあります。

内田 思いついたら書いちゃうんですね。

 ただの衝動で終わることもあるんですけど、理由はわからないけど気になる、気になるって思いつづけるうちに、ある日それが物語としてわーっと立が上がってくることはあります。

「おもしろいことが何もない」?

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内田 ちなみに、絵都さんは『不登校新聞』の存在は知っていましたか? 石井さんとシンポジウムでお話ししたことも共有いただきたいな、と思っていて。

 『不登校新聞』のことはそのとき初めて知りました。印象深かったのは石井さんがおっしゃったことです。最近フリースクールの子どもたちに、「おもしろいことが何もない」ということを相談されるんだと。自分にはおもしろいことが何もないから、このまま大人になってもきっとおもしろいことなんて何もない。そういう子がすごく多いんですって。それで、「そういう子たちに森さんなら何と言ってあげますか?」と聞かれたんです。

内田 難しい! なんと答えたんですか?

 まず、どうして子どもたちがそういう風に思っちゃうかというと、SNSで今、みんな楽しいことばかり発信するじゃないですか。キラキラした日常を切り取るのがSNSだから、そう言うのを見ていると、他の人は楽しんでいるのに、あるいは世の中にはこんなに楽しいことがあふれているのに、自分だけがおもしろくないんじゃないか、と思ってしまうんじゃないかなって。

内田 演出にすぎないのにね。

 そう。SNSに出てこない部分では、みんな本当はそんなに楽しくないんですよ。

内田 地味ですよね。

 地味で苦しいことばっかり。それで、そういうことを教えてくれるのが小説なのかな、と私は思うんですね。小説はSNSみたいにキラキラした部分ではない苦しい部分、つらい部分、地味でみっともない部分が詰め込まれている。日々の試練をどうにかしのいで生きている人々の姿がそこにはあります。だから、小説を読むことで「ああ、自分だけじゃないんだ」って、少しでも気が楽になってくれたらいいなと思うんです。

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内田 じゃあ、そういう言う子には、何かおもしろい本を紹介してあげるのがいいのかな?

 本がそういう役割を果たせればいいな、とは思います。でも、本は万能ではありません。私は野球にまったく興味がないんですけど、同じように本に興味がない子も絶対にいるわけで、それはしょうがないことです。本がすべてとは思っていません。

内田 そうですよね、映画でも音楽でもいい。私はビジュアルに対する好奇心が強いほうだと思うんですけど、だから本を読むよりも、写真とか絵を一枚見たほうが、世界が始まっていく感じがする。だからあまり本を読まないのかも……って、また言い訳(笑)。

 でも、本当にそうだと思いますよ。何を手に取るかは人それぞれでいい。

内田 やっぱり、自分が好きだと思えるものに出会っていくしかないのかなあ、と思いますね。そのためにもまず、周りの大人がいろんな選択肢を見せてあげられることが大事なのでしょうね。

二人にとっての「楽しいこと」との出会い

編集部 森さんにとって、そういう「楽しいこと」との出会いって、小学生時代に担任の先生が教えてくれた「書くこと」だったんですか?

 そうですねえ……。でも当時は、とにかく友だちと外で遊んでいることが楽しかったかも。本当に授業が嫌いで、机に座っていることにもかなりの抵抗があったから。

内田 なのに今は作家って、すごいギャップですよね(笑)。

 人に言われて座るのか、自分から座るのかの違いだと思うんですけどね(笑)。

内田 好きなときに立ち上がれるという自由ですね。

 そう、スケジュールだって自分で立てられるし、全部が自由なんです。最初はその自由に戸惑いもありましたけど、慣れると楽ですね。

編集部 それでは、内田さんにとっての「楽しいこと」との出会いって何でしたか? そういう出会いはこれまでにありましたか?

内田 うーん……。一貫して今でもずっとこれだけは好き、というものはないんだけど、でもやっぱり、人間が何かを表現している姿に感動するんです。絵を描いている人だったり、音楽を奏でている人だったり、劇をしている人だったり。だから、そのクリエイティビティを見たいという欲求はいつもありますね。

 その姿を?

内田 姿……。というよりも、どうやって向き合っているのか。私にはこういう風に見えていても、実はその人にはこういうところがあって、というような「ミステリー」を知りたい欲求というのでしょうか。

 人間への興味ですね。

内田 人間への興味だと思う。たとえば一枚の写真を見て、「このエネルギーはなんだろう!?」と思って、写真家のヒストリーを読んで、その時代のことを知って、「だからこの写真が撮れたのか」って、想像するのが好きなんです(笑)。自分の中でこの写真ができるまでのストーリーができあがっていく感じ。

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編集部 執筆のお仕事も増えていると思いますが、「書くこと」はどうですか?

内田 書くことは好きでもないし、得意でもなかった(笑)。『週刊文春WOMAN』に「BLANK PAGE」という連載を持っているんですけど、創作するときもあるし、誰かと対談をして書くこともあるんです。何でもありなんだけど、やっぱり人と会ったほうが書けます。だからこそ、絵都さんみたいに物語をゼロから書き上げるということが、夢のまた夢に思えるんです。しかも、最初のモチベーションをずっと絶やさないでひとつのものに打ち込む根気が私にはないから。だから単発で、ある人に会い、その瞬間に感じたことを書く。短いものしか書けないんですよ。

 これはもう、それぞれの表現の仕方の違いですよね。

わたしたちは、みんな不安

編集部 そろそろ時間なので最後です。今回の記事は4月までに出そうと思っています。というのも、この時期、夏休み明けに次いで子どもの自殺者数が多くなるからです。だから今回、こうしてご縁のあったお二人に、新学期がつらい子どもたちに向けてのメッセージをいただければと思いました。

内田 うーん……。全然関係ないことですけど、今日、ちょうど家を出る前に、友だちからメールがきて。電車に乗っていたら、その友だちの友だちが咳をしたみたいなんですよ。そしたら隣にいた日本人がキッとにらんで、ものすごい血相で次の駅で降りたんだけど、閉まる寸前に「このブター!!」って言ってきたんですって。

 ええー!

内田 その友人は外国人で、それがショックだったみたいなんだけど……。人間って、社会がパニックになっていて、みんなが不安を抱えているときにはやっぱり、自分を守りたいあまりにそういう反応になっちゃうんだな、と思いました。だからいじめの話も、「いじめる側」に耐えがたいストレスや不安があって、それがちょうど「言いやすい人」を目の前にしたときに、わっと出ちゃうのかもしれない。そして、もしそういうものだとしたら、漠然としすぎているけど、やっぱり、「私たちはみんな不安なんだ」ということを認識し合うこと、「あなたも不安なんだね」と理解してくれる人が周りにいることでしかもう、人の心を支えられないと思うんです。「ブター!!」って叫んだその人も、直前に何かつらいことがあったのかもしれない。でもそのときに、どうやってそのストレスを、絶対になくならない不安を緩和していけるんだろうなあ。社会でも、電車でも、教室でも……。

 うん、うん。

内田 感じ方ひとつ、考え方ひとつでいかようにもなっちゃうからこそ、恐怖や不安をもっと上手にひとりひとりが解消できれば、「こうでなければけない」ということを押しつけずに済むかもしれない。「受け入れてもらえない」という風に思う必要もなくなるかもしれない。だから……、初日で学校に行きたくない、ましてこんな不安な状況が続いて、みんなわけがわからない中で、仮に4月1日に学校があかないかもしれないですよね?

 そうですよね。

内田 でも、もし次に学校があいたときにはきっと何かがひと段落しているときです。そしてそのとき、やっぱり学校の人間関係は変わっていないかもしれない。別の次元のことだから。でも、それでも……。わからないな。どうしたらいいんだろう。絵都さん、助けて~(笑)。

誰にでもフィットする言葉なんてない

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 まず、再開してほしくないと思っている子はきっといると思うんですよ。学校がなくなってよかったって。

内田 うんうん。

 でもやっぱり、学校へ行けないっていうのは、それぞれの性格も違えば状況だって違うから……、万人に有効な言葉なんてないと思うんです。ひとりひとり違うので。だから、メッセージとかひと言でとかってよく言われるんだけど、絶対にできない類の話なんですよ(笑)。

内田 そう、そうなのよね!(笑)

 そのときに私は、もしその子が本を読むのが苦手じゃないのなら、いろんな本の中に、きっとその子にだけ響く言葉があると思うんです。今まで子どもたちを見てきて思うのは、苦労している子、たくさん悩んで生きてきた子どものほうが、「本」を受けとめる力が強い。本から何かを自分の中に引きこむ力がすごいんです。だから、悩んでいる子ほど、ビビッとくる言葉に出会ったら、それを自分の力にしていけるんじゃないのかな。

内田 出会えたら、すごい財産になりますよね。

 それに、やっぱり生きている人間って、彼らも悩んだりしながら忙しく生きているわけだから、なかなか自分にとってちょうどいいことって言ってくれないんですよ。そう簡単に自分のことをわかってくれないし、アドバイスもとんちんかんになりがちです。でも、本の中には、自分のために書かれたとしか思えない言葉があったりする。私は20代前半くらいのときに、サン=テグジュペリの『夜間飛行』の一節と出会いました。そこにはこんな台詞が書かれています。

“ロビノー君、人生には解決法なんかないのだよ。人生にあるのは、前進中の力だけなんだ。その力を造り出さなければいけない。それさえあれば解決法なんか、ひとりでに見つかるのだ”

ものすごくビビッときちゃって、それからずっと、どれほどの困難を感じるときであっても、支えられてきているんです。きっとこれが、私向きの言葉でした。今、苦しんでいる子どもたちも、そういう「自分を支えてくれる言葉」と出会えってくれたらいいなあ。

内田 きっと近道にもなりますよね。だって小説は「凝縮」だから。人生の。

 そうなんです。それに本って世の中にいっぱいあるし、いろんな人が書いているから、きっとどんな子にも感性に合う一冊との出会いがあります。

内田 私は小さい頃、特に日本の学校に移ったばかりの頃に孤独だったんです。そのとき、「休み時間に仲間に入れてもらえない。どうしたらいい?」って母に相談したんです。そしたら一言、「なんで本を読まないの」と言われました。そのときは、「本なんて読んでたらもっと孤立しちゃう!」って反発したんだけど、きっと母の言い分は、「本には人生が凝縮されている。自分が絶対に生きられない人生がたくさんつまっている。だから自分の人生が立ち行かないときには、そういうものと出会っていくしかないでしょう」ということだった。今、絵都さんの話を聞いて、本当にその通りだと思いました。

 単純に、逃避にもなりますからね。私もいまだにストレスがあるときや、何も考えたくないときは、本を読んで違う世界に飛んでいったりするので。

内田 リセットされますよね。

 悩んでいる子って、自分のことでいっぱいになり過ぎているんです。だから、本を読み、いろんな登場人物と出会うことで、自分を薄める。自分がちょっと薄まるだけでも、楽になる気がします。

内田 ああ、「自分を薄める」って良い言葉ですね。絵都さん、今日はありがとうございました。とっても楽しかった。

 私こそ、とっても楽しかったです。またお会いしましょうね。

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(2020年3月4日、BISTRO FAVORIにて収録)

内田也哉子(うちだ・ややこ)
1976年東京生まれ。文章家、音楽ユニットsighboatメンバー。夫で俳優の本木雅弘との間に2男1女をもうける。長男はモデルのUTA。著書に『ペーパームービー』(朝日出版社)、『会見記』『BROOCH』(共にリトルモア)、志村季世恵との共著に『親と子が育てられるとき』(岩波書店)、母・樹木希林とのはじめての共著に『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社)。翻訳絵本に『たいせつなこと』(フレーベル館)など。連載「Blank Page」を『週刊文春WOMAN』にて寄稿中。今年秋には、「気持ちの伝えかた」をテーマにした翻訳絵本をポプラ社より出版予定。
森絵都(もり・えと)
1968年東京都生まれ。早稲田大学卒業。90年『リズム』で講談社児童文学新人賞を受賞しデビュー。95年『宇宙のみなしご』で野間児童文芸新人賞、産経児童出版文化賞ニッポン放送賞、98年『アーモンド入りチョコレートのワルツ』で路傍の石文学賞、『つきのふね』で野間児童文芸賞、99年『カラフル』で産経児童出版文化賞、2003年『DIVE!!』で小学館児童出版文化賞、06年『風に舞いあがるビニールシート』で直木賞、17年『みかづき』で中央公論文芸賞を受賞、本屋大賞2位。著書に『永遠の出口』『いつかパラソルの下で』『ラン』『この女』『漁師の愛人』『クラスメイツ』『出会いなおし』『カザアナ』など多数。

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