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わたしは30日後に死ぬ

『死んだらどうなるのだろう?』

って思ったことはありませんか?

これはわたしの闘病記でも、余命宣言でもない。

幸せで充実している今だからこそ、こう考えて生きることが大事だということ。


"メメントモリ"
(Memento-Mori)という言葉がある。

そう、Mr.Childrenのヒット曲のおかげで知れわたった言葉だ。
意味は"死を想え"。

当時、高校生だったわたしはその意味について深く考えることはなかった。
死ぬことなど、身の回りでそうそうなかった時期だから仕方ない。

だけど、あれから24年が経ち、わたしの考え方もさすがに変わってきた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

それなりに色んな経験をしてきて今、とても充実している。

こんなに幸せでいいのか、という気持ちと、未来にワクワクしまくっている自分もいる。

こうして満たされている今だからこそ、
"メメントモリ"("死を想え")が必要なんだ。

さもないと、わたしが勘違いをおこして
「いつまでもこのままでいられる」なんて思ってしまったら、毎日に感謝を忘れるだろうし、まわりに対して傲慢になるのは目に見えるから。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

とはいえ、
未来に対して臆するのではなく、やみくもに不安になるのでもない。

本来、誰もが「いつ死ぬかわからない」
という平等な条件のもと、毎日を生きている。

誰にでも、いつかは必ず変化が訪れる。

その変化が起こってから何か始めようとしても、何も起こせない可能性は高い。

たとえば、「アメリカに行きたい!」という長年、先延ばしにしてきた夢があったとする。
そんな時に不慮の事故にあい、寝たきりになってしまってからではその夢を叶えることはほぼ無理で、悔いだけが残る。

だから、いつ変化があっても後悔のないように覚悟を決めておくことが必要なのだ。

それが

『わたしは30日後に死ぬ』

という生き方。

◇◇◇◇◇◇◇◇

30日後に死ぬとなれば、どんな風に一日一日を過ごすか?

自分が本当にやりたかったことを見つめ、やり残さないように必死に生きるのではないか?

自分の内なる声に素直に耳を傾け、

”やらなくていいこと”は極力スルーできるのではないか?

イライラさせられていた人に対しても、感情を動かされることなく、スルーできるのではないか?

そう、『わたしは30日後に死ぬ』という生き方をすれば自分にとって本当に必要なものが見えてくる。

30日後に死ぬのに、

・やりたくもない仕事をしますか?

・他人の些細な言動に腹を立て感情的になり、ストレスを抱え込みますか?

・顔も見たくないほど苦手な相手と一緒に過ごしますか?

いかに自分が毎日、本当に必要なこと以外に時間をさき、感情を動かされてるのかがわかるはずだ。

時間は戻せないし、「やろう」と思っていることでも、実際に動き出さないと叶えることはできない。

30日後に死ぬのに、29日目から慌てて、
「あれもしたい、これもしたい」とジタバタしても遅いのだ。

"人はいつか必ず死ぬ"
という現実を受け入れ、臆病な自分を乗り越えていこうとする姿勢を持たねばならない。

それが生きざまになり、死に方につながるから。

命というものは、はかないからこそ、 尊く、厳かに美しいのだ。
                                                   トーマス・マン
僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ。
                                                     マルロー
あたかも良く過ごした一日が、安らかな眠りをもたらすように、 良く生きられた一生は、安らかな死をもたらす。
                                    レオナルド・ダ・ビンチ

シーユーハゲイン(*´∀`)ノ



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