星めぐる旅 #2 隠岐・島後上陸
前回のお話
2023年夏。筆者(伊地知奈々子)は山陰の愉快な仲間たちと連れ立ち、隠岐をめぐる旅へと出かけた。旅は島根県・七類港から始まる。
隠岐・島後「西郷港」に到着
島根県、美保関エリアの七類港を出発して約2時間半。わたしたちは隠岐・島後(隠岐の島町)の西郷港に到着した。大下さんがレンタカーを手配してくれている間、ターミナルを散策する。
西郷港は真新しく、とても綺麗で広々としている。切符売り場の位置、乗り場なども分かりやすい。隣には、図書館もあるとか!隠岐名物の海藻や藻塩をはじめとする、山陰のさまざまな特産品が手に入るお土産ショップは、何とも充実の品揃えだ。乗船してきた隠岐汽船のオリジナルグッズも、とても可愛らしい。
大下さんがほどなくレンタカーの手続きを終えて戻ってきたので、まずは腹ごしらえ。駅から至近距離にある「更科」さんで昼食だ。
島後で出会った個性的なカツ丼
メニューを開いてしばし眺めていたら、隣の人に、なんとも美味しそうなカツ丼が運ばれて来た!釣られて思わず頼んでしまう。これが、大正解だった。甘辛い、それでいてしつこくない美味しい個性的な卵とじカツ丼。
2023年のカツ丼のトレンドは「とじないカツ丼」だそうだが、わたしは昔ながらの閉じてるタイプが大好き。色々なところで食べるが、こちらは個性的でお米との相性も抜群、味噌汁のさっぱりした味わいとのバランスも良かった。また島後にくることがあったら食べたい!
腹ごしらえも済んだところで、われわれは玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)に向かった。
隠岐の総社、玉若酢命神社
玉若酢命神社総社は、隠岐の総社。ここに参詣すると、隠岐の地の主だった神全てにお参りすることができるとされている。
神社の玉砂利は、なんと隠岐片麻岩。2億5500万年前、全ての大陸がひとつなぎとなった、パンゲア超大陸時期の隠岐で、すでに存在していた岩石だ。これらの片麻岩には、赤い粒状の番柘榴石(宝石名で言うならガーネット)が含まれることもあるという。
ガーネットの石言葉は「繁栄」「真実」「情熱」「友愛」など。石名の由来は、ラテン語の「ガラナイツ」(種)。何かあたらしく、豊かなはじまり、その種まきがここからなのかな…という予感がする。
伝説が交差する巨木
こちらは、社殿手前にある「八百杉」。名前は八百杉だが、実際は樹齢約2000年といわれる巨木だ。
八百杉の謂れは、なんと若狭の人魚伝説、八百比丘尼(やおびくに)。
うっかり人魚の肉を食し、不老不死となった尼僧が、若狭(現在の福井県)から隠岐に旅した時に植えたとか。
八百杉にはもう一つ伝承がある。根元に住み着いた大蛇が、スヤスヤ昼寝している間にありえない勢いで木が成長し、目が覚めた時には外に出られなくなってしまったというのだ。
一見別々の伝承だが、「成長」と言う点にキーワードがある。
人間の一般的なタイムラインを超える、パラダイムシフトが起こるような場所だったのかも知れない。ここに参詣すると隠岐の主だった神社全てに祈ることになるという総社の性質からも考えて、時間と空間を超越するインスピレーションを得られる所なのだろう。
隠岐造の本殿
拝殿裏側に回ると、特徴的な建築形式の本殿が見られる。隠岐の100社以上の神社の中でも、10社ほどにのみ見られる「隠岐造」と言う形式で、隠岐の神を祀っている神社はこの建て方にするという。造営寛政5年(1793)。
隠岐造は間取りや構造が神明造(伊勢方式)、ひさしが春日造、屋根が出雲造となっており、日本の神社建築の優れた部分を結集した方法だそうだ。
わたしたちは、隠岐・島後の一番スタートに、神社という概念の全てを結集した場所に来たわけだ。
そして、次に向かうのは、真逆の場所。
原始信仰の形を残す祠だ。
眩しい光のなか、わたしたちは隠岐神社を後にした。
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