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異端なパパ

悪では無いが異端ではある、私のパパの話をしようと思う。

昔はパパっ子だったらしい。何も口出しせず、調子のいい時はコンビニでアイスなんかを買ってくれたからだろう。愉快な人ではあったし。

パパとの思い出はそういった調子のいい小さなものしかない。ふと思い出そうとしてもなかなか根気のいるような、そんなもの。私がそれらの異常さに気づいたのは中学の頃だった。

自分には兄と妹がいるが、皆学校の行事などに来るのは無論ママだと思っている節があった。パパは子供の学校行事、習い事、その他諸々に来てくれた試しがなかった。誰もパパには催しの言伝をしなかった。

それに加えていつも家に居なかった。居たのだとは思うが、夜になると独りでに車を出してどこかに行ってしまう。そのまま1週間帰らないなんてザラにあった。

決定的な瞬間は高校受験の頃に訪れた。進路の相談をすると、ママはいつも通り少し口うるさく、けれども私以上に熱心に調べ物をしてくれた。その時パパから放たれた一言で空いた口が塞がらなかったのを覚えている。

「なんでもいいじゃん。何熱くなってるのそんなことで」

この人は元来他人に興味を持てない人であることは知っていたが、自分の子供にまで興味が無いとは思わなかった。衝撃だった。と同時に、自分がパパに何かしら期待をしていたことを知った。


自分は子供なのだから、パパはみんなには興味はないけれど、自分は特別。気にかけてもらっている存在。などと思い上がっていた。そうではなかった。

それからというもの、パパがどれほど周りから奇怪な目線を向けられているかが手に取るようにわかった。親戚の人達は少しばかりパパに対してよそよそしい。パパの兄弟ですら。親ですら。

普段は楽しい人である。これは間違いない。子供そっちのけで四つ葉のクローバーを探しにいってしまう程に愉快な人間だ。自分の恋人を家に招いた時はゾンビのモノマネをしていた。勘弁して欲しかったが。

頭が回りすぎる人である。学があるという点ではもちろん、頭の回転が早いのだと思う。いつも会話をすると2、3手先を繰り出してくるので、30秒ほど解答に時間を要する場面が何度もあった。

この書は、パパのネガティブキャンペーンをしたいという意図は全く無く、ただの紹介文である。20余年生きてきた私のパパ分析記録である。親子だと言うのに、まだパパの深層心理にもたどり着けていないと思う。

世のお父さん美学的な感動話には共感できない。ヴァージンロードも共に歩きたくはない。大事な相談事も特にしたくはない。いてもいなくても問題ない。



ただ、確かに私のDNAには貴方のものが遺伝されています。時たま私は本心から他人に興味を持ったことはないのではないか、と震えます。周りの人達の真似をして、心配をする振りだけが上手くなった気がします。貴方はきっとそれらにたんと疲れてしまったのでしょう。悪だとは思っていません。憎んでもいません。異端だとは思います。そのことに、私だけが気づいてしまっているのも、少し怖いですが。

パパは家族の中でもとびきりの悪だと裏で言われています。ママ、兄、妹は口を揃えてパパを悪く言います。けれど、貴方は家庭を持つべき人ではなかった、ただそれだけ。親戚の人たちからは、決まって「悪い人では無いけど」が枕詞に付くような言葉を貰います。

みんなから置いて行かれてしまった私は、貴方からもらった調子のいい小さいことだけをいつまでも覚えています。鬱陶しくなるほど。

異端なパパ。居なくなっても悲しくはならないと思います。悲しくなるほどの想い出がありませんから。でも。でも、貴方は頭が良いから、みんなのペースに合わせることもきっと容易だった。それをかなぐり捨てて、自分を貫いた。子供さえ置き去りにして。それだけが貴方を尊敬できる要因で、それだけが貴方をパパと呼べる所以です。

これを書きながら何故か涙が出てしまっている私は、多分文章に下ろすまで、今の今まで貴方に期待してしまっていました。ずっとこちらを向いて欲しかった。お父さんだと思いたかった。親子だと。

世のお父さんありがとう的な歌を、書を怪訝そうな顔で享受するのはもう辞めます。貴方だけの唄を唄います。

パパ、いつまでもそのままで。

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