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重くなった腰をあげてみる。2023年春

仕事のメール以外、文字を書くことがめっきり少なくなった。
以前は日記を書いたり(墓場まで共にする予定の…)手紙を書いたりすることも多く、現在思っていること、相手に伝えたいことなどを記していた。

その昔、建築の仕事をする前はある時間帯だけとっても忙しい仕事をしていた。とにかくその時間が始まると終わるまで走り続けていた。
ある時は走り終わったら、昼食を食べて終業。
1か月に1度ほど、途中から走り始めて、遅くまで仕事をするというシフトが
あった。そのシフトの時は比較的ゆっくりとした時間が流れていて、
ほとんど人がこないような、とても広い空間で、一人、椅子に座って来る予定の人を待っていた。
もしかすると前を通っても人が椅子に座ってることすらわからないかもしれないくらい、静かだった。

そんな日は、決まって日記を書いたり、手紙を書いたりした。(内緒で)
そういう時間があったから、【書く】ということをした。のだと思う。

建築の仕事を始めて、そんな時間もなくなり、体はもとより、頭も忙しくしていた関係で、手紙と言ってもメモ、何かに添えるメモ、程度しか書いてきていなかった気がする。
本当はちゃんと座ってゆっくりと、相手に伝えたいことを記したいと思っていた。
頭も忙しいというのは、その時に思ったことで忘れちゃいけないこと(メールしないととか発注しないととか、そういった類のこと)をグーグルのカレンダーに入れてアラームが鳴るようにしていた。それくらい頭が忙しく、休む暇がなかった。
そんな状況だったので、日記なんて到底書く気になれなかった。

引っ越しを機に私のすべての所有物が今の自宅に運び込まれた。
【いつか取りに行くから】という言い訳はきかなくなり、強制的に荷物が
引っ越ししてきた。
その中にたくさんの手紙が入っていた。

誕生日にもらったカードや、退職時のメッセージボード、高校留学の時に
日本から届いた手紙、留学の時にできた友達からの手紙。

その中で感慨深いものが2つ。
1個は留学の際のホームステイ先の決定通知と一緒に入っていた、まだ見ぬ家族からの手紙。
もう一つは1か月ホームステイの時のホストシスターからの手紙。
これは7年くらい前にもらったようだった。

1個目はここから人生の道が変わったんだよなと。
目に見えるかの如く、T字路でみんながまっすぐ進むのに対して
私だけ曲がった。あの時はどんな気持ちだったのか…いろいろ理由はあるんだろうけれども、根本の理由はよく覚えていない。
ただ、アメリカの大地は私が想像していたものと違い、とっても緑が多く、自然豊かだった。それがとても好きだった。

去年アメリカに再訪したとき、ちょうど黄昏時(本当にこれが黄昏時だっていうドンピシャの時間帯)にキッチンの窓からちらちらと小さな光が見えた。
最初は何だろうと思っていたら、どんどん数が増え、トウモロコシ畑一面に広がった。
蛍だった。
住んでる本人は毎日みてるからか、あまり感激せず、この時間の外は気持ちいいよね~といいながら二人で外でまったりしてしまった。

そんな自然豊かなアメリカに、1か月の滞在で恋に落ち、1年の留学を決意した。

今でもアメリカ大陸に飛行機の車輪が着く瞬間は、【ただいま】とつぶやいている。

話がずれてしまったが、
2個目のホストシスターからの手紙は、当時届いたときに一度読んでいるはずである。写真も同封されており、それも見ている。
再度読み返したら、自分は全く理解できていなかったことに気づいた。
だいぶショックなことが書いてあったが、当時の私にはまだ理解が甘く、きちんと理解できていなかった。
内容もさることならが、理解できてなかった自分にがっかりであった。

なぜ今理解できるようになったのか。
それはひとえに、ある程度の頻度で受信するアメリカ人の親友からのimessageである。

彼女とは不思議と20年仲良くしている。
ちなみに彼女は日本には全く興味がなく、この方20年行く行く詐欺をしている。
日本には海があるのか?と聞いてきた。
ちなみに彼女が住むオハイオ州には海はない。
その代わり、池(と言ってもかなり広い)があり、彼女の親が所有する池のふちに建つコテージは私のお気に入りの場所である。

テニスのパートナーになったことをきっかけに仲良くなったのだが、
私が帰国してからも2年に1度程度再訪して時間を共にしている。

そんな彼女がくだらないことをメッセージで送ってくる。
この映画は見たか?日本のマクドナルドのkids menuの付録は何か?
日本のトイレにはタンクの上に手洗いがついているのか?
などなど、本当にくだらない、日々の会話をメッセージしてくる。
そして、お互いやらなくちゃいけないことがあると、
i got to go と言って、メッセージは終わる。

メッセージというよりチャットに近いので、わからないことはわからないと
聞き返せるし、私が理解できるまで説明してくれるので、とても勉強になっていると思う。
そして彼女の話す英語がそっくりそのまま映画で出てくる英語で、同年代の話している英語なのである。

英単語帳や辞書にはたくさんの単語が並んでいるが、人が使う単語(というか表現)はある程度固定しているように思っている。
あー。彼女、最近この単語で表現すること多いな~。とか。
となるとその表現の意味合いを理解するとぐっと幅が広がった感じがする。

時には字幕付きの映画を見ていて、よく彼女から聞く表現の字幕に出会ったときは、なんとなく答え合わせというか、なるほど、こういうニュアンスねって思う。

そんなこんなを繰り返して、理解の幅が広がり、7年前の手紙をきちんと理解できるようになったんだなと思う。

こうして文字を書いて、将来見直すことがあると、あーあの時はこんなこと
考えてたななんて思って。ちょっとしんみりしたりすることがあるのだろうか。

とりあえず、重くなってしまっている腰を上げて、頭の中のことを文字にしていこうと思う。



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