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和食というメッセージ

私の日本美術への愛は、突然に、予期せず、簡単に始まった ー 恋に落ちるとはそういうものだ。しかし、そうした多くの恋とちがうのは、私の日本美術に寄せる愛は、あの最初の瞬間からずっと続いているということだ。(ピーター・F・ドラッカー「日本美術へのラブレター」)

ドラッカーの日本美術に寄せる愛のように、筆者の和食に寄せる愛も、突然に、予期せず、簡単に始まった。そして、あの最初の瞬間からずっと続いている。

日常的な白飯や味噌汁、だしの旨みが効いた煮物、醤油が香ばしい焼魚、食欲をそそる酢の物、すし、うどん、蕎麦・・・。旅先で味わった各地の郷土料理。20歳の頃、なけなしのバイト代を握りしめて訪れた京料理の割烹・・・。

和食のおいしさに触れて、僕はたくさんの感動を経験し続けてきた。

では「和食」とは一体なんだろう?

「和食」は食の生産から加工、準備及び消費に至るまでの技能や知識、実践や伝統に係る包括的な社会的慣習である。これは、資源の持続的な利用と密接に関係している「自然の尊重」という基本的な精神に因んでいる。「和食」は生活の一部として、また年中行事とも関連して発展し、人と自然的・社会的環境の関係性の変化に応じて常に再構築されてきた。(日本料理アカデミー「和食:日本人の伝統的な食文化ー正月を例としてー」)

和食の大きな特徴に「自然の尊重」があり、その代表例として懐石の「八寸」がある。「八寸」とは、元来は茶懐石で主人とお客が盃を交わす際に供される酒肴のこと。転じて、和食のコース中盤に供される季節感に富んだ華やかな盛り付けの酒肴を指す。

写真は、以前頂いた「八寸」である。

目から秋づくし。柿づくし。

枝付きの実の器には柿の胡麻和え。そして、卵黄の味噌漬けを生菓子の木練柿の風情に。

木練柿とは、枝に付いたまま熟した柿のこと。千利休の茶会にも、焼栗やふのやきと共によく用いられたという。自然を大切にした利休好みの「菓子」である。(和菓子の木練柿は、羊羹などで果物の木練柿に見立てた生菓子)

柿は日本人の情緒に密着した果物であると共に、秋の風情の象徴でもある。

「八寸」の秋の風情に目を奪われていると、ふと母に手を引かれ、帰路の途中で見た夕暮れの一面の赤を、思い出した。

時間を忘れて、友がきと赤蜻蛉を追いかけた少年の日のことを思い出した。

柿〜秋〜赤・・・おいしさと連想の織物。
和食とは、食べておいしいもの。そして、料理人が一皿の料理に託した声なきメッセージを頂くもの。僕はこの時頂いた「八寸」からこのように感じたのである。

懐石が日本料理史の中で画期的な位置を占める特質は、このメッセージ性です。それは趣向といいかえてもよいでしょう。そうした亭主の演出を料理に加えたことでした。メッセージは季節感であったり祝いの心であったりいろいろあります。季節感を象徴する食材が用いられるのは当然ですが、そればかりでなく、器の文様にも季節感のあるものを用いたりして、季節を膳の中に招き入れるのです。このような懐石の特質を、趣向の面白さという点でひきついでいったのが日本の料理文化であるといえましょう。(熊倉功夫『和食という文化』NHK出版)

小さな空間に盛り付けられた「八寸」は、僕の心の中で無限の広がりを見せた。

「八寸」に込められた季節感を、そして料理人のメッセージを、僕は一生忘れることはないだろう。

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