ガラスの天井と蛍光色の下駄

大阪府知事の吉村氏が「ガラスの天井」という言葉の意味を知らなかったとして批判(嘲笑?)を浴びている。

「ガラスの天井」とは、女性の社会進出を阻むある種の障壁のお洒落な呼称だ。「ガラスの」とは透明であること、つまり認識されにくいことの比喩で、「天井」とは役員や社長への昇進などキャリアの終盤で妨げとなることの比喩だ。
採用や若手の昇進についてあからさまな男女差別をやる企業は確かに減ったのかもしれないが、日本企業の女性の管理職比率は依然として低い。

男女差別が解消され、自分に男性と同じような出世の道が開かれていると思っていた女性が、キャリアの終盤でぶつかって初めてその存在に気づく壁…それが「ガラスの天井」だという訳だ。

一方で、キャリアの初期段階(あるいは教育段階)では男女差別は概ね解消され、代わりにアファーマティブ・アクションが進みつつある。

企業が「ガラスの天井」を抱えるのとは裏腹に、学校教育は早くから男女平等に向けて舵を切った。1993年から1994年にかけて実施された「家庭科共修化」が象徴的で、「長は男子、副長が女子」といった非公式の慣行もほぼ駆逐されている。学校教育においては、少なくとも公式の制度として女性に不利な扱いをすることはなくなった。

さらに、キャリア初期段階ではアファーマティブ・アクションによって女性は「下駄」を履かされている。事実上のクオーター制を導入している企業も(外資中心だが)少なくないし、公務員試験の面接においても「配慮」が行われている。公式の制度としては、東京男子医大は存在しないが東京女子医大は存在しているし、極端な例では女子学生のみに家賃補助を提供する国立大学もある。

これらの制度は公式ならもちろん非公式であっても目立つ。言うなれば、彼女たちは「蛍光色の下駄」を履かされているのだ。

※医学部入試がキャリアの初期段階で女性に不遇措置を行ったじゃないかという批判もありそうだが、あれは例外的事例だったからこそ注目されたと言える。

「ガラスの天井」と「蛍光色の下駄」が両方存在するとき、一概にトータルとしてどちらが有利なのかを判断することはできない。ただ、「下駄」が見えやすく「天井」が見えにくいという状況が、「下駄」に対する批判を過度に促進してしまっているという側面はあるだろう。

「蛍光色の下駄」を履かされながら「ガラスの天井」によって頭を押さえつけられる…なんとも窮屈そうな姿だ。

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