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毎日ぽむぽむ2024『書くのは楽しいですか?』


「小説、楽しんで書いてますか?」と問われた場合、私は「まったく楽しくないです」と答える。これは良くないことだろうか?

この返しには奥の意味があり、まったく楽しくないわけではないけれど、苦しんで、血反吐を吐きながら悶え苦しんで書いている時が圧倒的に多い、という意味であったりする。

体が丈夫じゃないという体質も一因かもしれない。気象病である上に体力がなく、疲れやすくて感情の機微に振り回されがちだから、心身を落ち着かせて書くまでに時間がかかる。ゆえに遅筆になる。周りがどんどん小説を上達させていく横で、くたばっている私は今日も何も書けずに血反吐を吐いている。

もし私が頑丈だったら?天気に体調が左右されず、人との生活に感情が揺り動かされたりしない、強い人間だったら?そしたら体育会系的な小説を書いていただろうか?

今日は梅雨本番!というような本降りの雨で、ザアザアと雨音が窓を叩く音に気分を害されながら、なぜ私の体は私の思うように動いてくれないのだと呪詛を吐く一日だった。なんて生産性のない一日。廃人のようにベッドに横たわる一日は心を弱らせる。こんな感情、丈夫な人には絶対にわからないだろうなと思いつつ、それなのに丈夫な人に対する憧れも強いから、結局、人を恨めない。恨みたいのは自分。しがない自分の無力さなのだ。

小説を書く、と最初に思った動機は、家族に褒められたからだった。それまで何一つ褒められなかったことのなかった鈍くさい子どもだった私に、一縷の望みを託してくれたのが、小説創作という表現だった。子ども時代は本当のところ、漫画の方が好きだったのだけれど、小説を褒められるならばと、中学に上がる頃、読書を始めた。活字だらけの本を一生懸命に読んで、必死に文体を読み込むうちに自然と目で追うだけで作家の文体を体内に入れることができるようになり、読書が苦痛だと思わなくなったのも中学生時代である。

「好き」を仕事にしようと思うと、「好き」が純粋な気持ちじゃなくなる。有名な台詞だが、それはある意味で真実だった。私はもう小説を「ただの読み物」で読めなくなったし、自分より年下の若い作家さんが書いた小説を、嫉妬心を抱きながら本屋で眺めるというカッコ悪い大人になってしまった。

小説とは、何だろう。小説を書く、とは何だろう。

書くのが楽しくない。もう楽しいと思えない。でも、書かずに一生を終えると思うと背筋が泡立つほどゾッとする。別に小説を書いたからと言って、そして仮に書籍を出せるようになる未来が来たからといって、私が何者かになれるかというと、なれないだろう。私は何者でもない。日本に生まれ、日本で育った日本人だが、それは私に付随するカテゴリーのようなもので、アイデンティティーと呼べるほどの確固とした自我ではない気がする。

小説で、物語で、魂と魂が触れ合うような体験はできないものか。きっと後世に名を残すような文豪などは、そういったことができる人間だったのだろう。私などのレベルでそんな芸当ができると思う方が、どうかしていたのかもしれない。

ならば、なぜ私は小説を書くのか。賞に引っ掛かったこともなければ投稿サイトでランキング入りした経験もない私が、なぜ。

理由はわからない。答えが出ない問い。「あなたはなぜ小説を書くのですか?」もっと突き詰めれば「あなたはなぜ商業作家デビューしたいのですか?」

暴論を言えば、ただの承認欲求だ。商業作家になったぐらいで何者かになれるわけがないとわかっているのに、私は、私が間違いなくこの地球上にいたことを、私という人間のままで存在していたことを、世界に対してぶつけたかったのだ。私の無力さ、醜さ、弱さ、怒り。剝き出しのままで生きているのだと、示したかった。その方法として性に合っていたのが、きっと、小説だった。

だから、楽しいだけでいられるわけがなかったのだ。私にとって、小説を書くことは、楔《くさび》を打つようなものだ。みじめな私を、よりみじめにさせてやる。思いっきり愚かに生きてやる。こういう愚かな女もいるのだと、みんなに笑われながら、憐れまれながら、見下されながら、どこまでも私そのもので小説を書く。批判されていい、暴言を吐かれたっていい。憎悪も侮蔑もされない人生など、私には無理だと、わかっているから。

小説は人を幸せにするものだと、もし言い切れるキャラだったのなら、もっと明るくて健全な物語が書けただろう。

けれど、そうなれないのなら、せめて人を不幸にしないように気をつけながら、精いっぱいの情けをかけて、這いつくばってでも、一文、一文を、生み出すしかない。

私の作り出した物語が、世界のどこかの、誰かの心の琴線に触れるものになれたなら、これ以上の幸いはない。

そう思う心は、間違えようのない真実だ。

今日は何も書けなくて、悔しくて、ふがいなくて、一日中くすぶっていました。

情けない私、おやすみなさい。明日はがんばれますように。