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白銀のタクティクスオウガ


雪が降れば、スーパーファミコンであった。

それは、洋間にあった。

日曜の朝九時、カーテンを開けると、雪に反射する朝日が目に刺さった。
洋間は板の間だったから、足がかじかんだ。まずはファンヒーターのスイッチを入れる。それから電気コタツ。テレビをつけると、ちょうど「題名のない音楽会」が始まるところだった。

両親は居間でワイドショーを見ているし、二つ上の兄は、まだ自分の部屋で寝ている。この雪で部活は休みだし、宿題は後回しでいい。私はテレビ台の下に乱雑に置かれたスーパーファミコンを引っ張り出してくると、買ったばかりの「タクティクスオウガ」のカセットをセットする。それからテレビ下部のスイッチを押して「ビデオ1」に切り替え、コントローラーを手繰り寄せると、それをこたつにもぐらせて、かじかんだ手を温める。やがて画面上には「QUEST」の文字と、雄大なオープニングテーマが流れだし、背中からはオーケストラの重低音のように、勢いよく暖風を送り始めたファンヒーターが轟きはじめる。


それは、中学校1年生のときの冬の日の思い出だ。

その怠惰で贅沢な時間を、私は懐かしく思い出す。

窓の外の煌びやかな白銀を横目に、吐く息は白く、夜の合間に溜めこんだ、凍てつくその部屋の硬い寒さを、ゆっくりと溶かすようにして始まる「タクティクスオウガ」の世界に、私はいつだって心躍らせていた。



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タクティクスオウガといえば、言わずと知れた名作シミュレーションRPGである。
発売から26年を経た今でも、いまだに根強いファンが多い。

当時では画期的なクォータービュー方式のマップを採用し、ストーリーは重厚的な民族紛争がテーマである。さらに特定の場面ではプレイヤーへと選択を迫り、それによって変わる、マルチエンディングを用いている。

そして、このゲームの重要な要素が、吉田明彦氏のイラストだ。

ハッチングの技術で描かれた、どこか古めかしくも繊細で、リアルな質感のキャラクターたちが、ゲームの世界観と見事にマッチしていた。

私は当時、何かの雑誌の付録で手に入れたそのポスターを、部屋の壁に飾っていた。

切り立った崖の上に凛として立つ、主人公のデニムと姉のカチュア。その手には剣。彼らの不安げで真剣な眼差しは、遥か彼方を見つめている。灰色の空の下で、二人の背後には無数の旗がたなびき、戦場へと駆り立てている。

その絵はぼくらにとって、ドラクロワにとって代わる、新たな「民衆を導く自由の女神」であった。

少年たちはそれまで、ファイナルファンタジーVの二頭身の「魔導士」や、鳥山明のドラゴンクエストⅣの「勇者」を、せっせとノートの端に書き写していたが、タクティクスオウガが登場した途端に、それはぴたりと止まった。その絵は、模倣するにはあまりにも遠すぎたのだ。それに加えて、難解なゲームストーリー。死んだ仲間は生き返らないという、当たり前の事実。さらにあの、バルマムッサの虐殺。

彼らはそのゲームを通じて、大人と子供の間に横たわる谷がまだ深いことを、はからずも知ることになったのだ。


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そのとき私は、ルーマニアのトゥルグ・ムレシュの町にいて、街路を彷徨いながら、雪の上に続く、馬車の轍をじっと見つめていた。

数日前に古着屋で買った革靴からは、すっかり雪が染み込んでいた。それまで履いてきたコンバースのスニーカーは、もう捨てていた。

二十九歳の冬、トニー・ガトリフの映画をまねて、インドから東欧までロマ(ジプシー)を追いかけてきたが、情報の少ない彼らのコミュニティはそうそう見つからず、半ば途方に暮れていた。幸運にもそれまで、数人のロマの音楽家を訪問できたが、それは単なるいっときの客人としてであり、望むような成果は残念ながら得られなかった。あとはバスでブダペストへと向かい、飛行機で日本へ帰るのみだった。

十二月のルーマニアは寒かった。私は足元を眺めながら、いっそこの轍のあとを辿ってゆこうかとも考えた。なぜなら今どき、馬車に乗るのなど、ロマくらいしかいないだろうと考えたからだ。しかし、結局はやめた。そして孤独と寒さに背中を押されて、宿へと戻るのだった。


その宿で、宿泊者は私ひとりきりだった。

部屋で私は、近くの店で買ったパンをかじりながら、今日の出来事を記録に残すと、あとはもう何もやることがなかった。

やがておもむろにラップトップを開いて、YouTubeのホーム画面をただなんとなく眺めていた。様々なタイトルが、上から下へ流れてゆく。すると、ひとつのタイトルが目に止まった。「タクティクスオウガ Lルート」

それは、タクティクスオウガのプレイ動画だった。

はて、Lルートとは?

そのとき私は、そのゲームのいくつかのルートに、名前がつけられていることを知らなかった。あのとき逸した道の先は、果たしてどうなっていたのだろうか。懐かしさとともに奇妙な好奇心から、私はそれをクリックした。すると、あの「QUEST」の文字と、壮大なオープニングテーマが流れ始め、顔も知らないプレイヤーが主人公デニムを操りながら、ステージをひとつずつ進んでゆく。

段々と私は、遠い異国にありながらも、実家にいるような安逸な気持ちになっていった。その動画は、距離や時間を一瞬で越え、いつの間にか私にコントローラーを握らせていた。かつてのあの雪の日の朝のように。カーテンを開ければ白銀が広がり、凍てつく寒さを切り裂く、ファンヒーターの雄叫び。それから、はやる気持ちと寒さでかじかんだ指。胸踊る、白い吐息。


宿の中は、物音ひとつしなかった。窓からは、暗い街灯に照らされた、東欧の寂しい街並みが映り、それはすっかり雪に埋もれていた。ナイトテーブルの上の腕時計を見ると、まだ夜の九時だった。空腹を忘れようと、ベッドの上で横になり、そのまま続きを見続けた。なぜなら時間ならまだ、たっぷりと残っているのだから。






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