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大切な人のセコンドでありたい

心が弱って不安と孤独で押しつぶされそうになると
私には決まって二つの症状が現れる。

症状 その1

一つ目の症状は
悪夢にうなされて大きな声で寝言をいうことだ。
毎回必ず同じ夢を見る。
小さな浴室の窓から侵入しようとする泥棒に気付き
うまく出ない声で「どろぼう~」「どろぼう~」と叫んでいる夢だ。

泥棒は少し髪の薄い痩せ気味のおじさん。
一度も姿を見ていないので分からないはずだが
絶対、ひょろっとした禿初めのオッサンなのだ。

この症状は抱えているストレスの大きさで現れる頻度が変わってくる。
自分の部屋で寝ている子供たちも、初めのうちは
「昨日、あ~う~あ~う~、うるさかったで」と笑って報告してくれるが
頻度が多くなってくると
「お母さん、お母さん、大丈夫?」と心配して起こしに来てくれる。
それが、毎夜毎夜となると子供たちも慣れたもので
「フフフ、ヒヒヒ」と笑いながらスマホに録音し次の朝聞かせてくれる。

何もかもがうまくいかなくて逃げ出したくなるようなそんな時も
先の見えない孤独な時も
この能天気な優しさに救われる
それにしても、めっちゃでかい寝言だなぁ。

症状 その2

二つ目の症状は
睡眠を削って同じドラマを何度も何度も見てしまうことだ。
こちらはストレスMAX、限界に近い時に現れる症状だ。

弱っているのだから尚更睡眠をとって心も体も休めなければと分かっているのだけれど、見てしまう。
同じドラマの同じシーンを何度も何度も繰り返し見てしまう。
家族みんなが寝静まった夜中に10回も20回も、夜が明け始めるまで憑りつかれたように見てしまう。
睡眠時間は削られ、家族にも呆れられ、疲れはたまるいっぽう。
自分でもやめなければと思っているのに止められない。
病んでいるとしか言いようがない。

見るドラマは決まって、友情とか愛情とか、ベタだけど互いに認め合い求めあう人物が傍にいるという設定だ。そんな関係を見ていると人間同士の温かさや繋がりに心が休まる。

私はいつもそういう人物を求めているのかもしれない。
ボクシングのセコンドのように、常に味方し受け入れてくれる場所を。


大切な人のセコンドでありたい

きっと≪自分を認めてほしい≫≪味方になってほしい≫欲が強いのだと思う。
基本、ポジティブで行動力のある私だけど孤独に弱い。
「知らんわ、勝手にしーな」「アホやん」「何馬鹿なことしてるの」
と自分のしていることを全否定されると、途端に心が折れる。意気消沈し孤独を感じる。自分を肯定してくれる見方がいない状況が何よりも怖い。

たった一人でも味方がいると人は何度でも立ち上がれると思う。
≪見方がいる≫ということは一番のエネルギー源だと思う。

リングに上がるのは自分自身。
たとえそれがどんな戦い方であったとしても、
振り返ればセコンドがいる。
時にはアドバイスを投げかけ、時には叱咤激励してくれ、
帰ったときにはそっと汗を拭いてくれる。
そんなセコンドがいるから、何度でも立ち上がり戦うことができる。

きっと誰しもがそうなんじゃないかなと思う。


私はいつも
大切な人のセコンドでありたい。
子どもにとってのセコンドであり続けたいと思っている。


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