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『服と人 −服飾偉人伝』 VOL.5

日本ファションブランドは、この人・このブランドを無くしては語れない。
そんな偉人の生き方を通じて、ファッションだけでなく生きるヒントを伝えたい! その想いで、YOUTUBE動画を制作しているのが「服飾偉人伝」です。動画を撮る上で制作した原稿をこちらに公開していきます。「読む服飾偉人伝」として楽しんでいただければ幸いです。
動画で見たい方は、こちらから再生できます。

さて、今回は4回目。
この偉人の生き方を知った時、見た目のクールで知的な印象からは考えられないほどの『情熱』を感じました。
幼少期から"自分はこういう人間でありたい"というポリシーに従い、人の目を気にするでもなく、直向きにやりたいコトへ情熱を注ぎ行動してきた。
夢を追うのに必要なのは”情熱の灯を絶やさないこと”であることを教えてくれる人。それが『阿倍千登勢』です。

ちなみに4回目の主役はこの方です、こちらからどうぞ。↓


01:言葉

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画像引用:blog.gxomens.com

阿部千登勢は、誰にも流されない内なる信念を持った人間だ。
ここで、彼女の言葉を紹介したい。

"『自分の限界を決めないこと』日本人だからとかお金がないとか言い訳しないこと。私だってゼロのスタートでしたから。可能性なんていっぱいあるはずだと思います。"
”当たり前とされていることが、すべてではないと思った。”
”「みんながやってるから、私もそうする」っていう考え方が嫌なの。私が何かをするのは、それが本当に必要だから。”

02:生い立ち

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サカイ(sacai)の創業者である阿部千登勢は、 1965年11月9日岐阜県中津川市に研究者の父と仕立て屋の母のもとに生まれる。
母の近くで、オリジナルデザインの服を作るなど日常的にミシンやデザイン、ファッションというものに囲まれて育ったという。

小学生ながらベルボトムを、他の子と同じように履きたくなく、母親にスリムパンツにリペアして貰い履いていたという。高校時代には、コム デ ギャルソンの服と古着を自分でMIXさせるなど、既にこのころからデザイナーとしての片鱗を見せていた。当時の彼女は、地元では有名。奇抜な服装をした浮いた存在だったからだ。

そんな阿部千登勢がデザイナーを志したのは小学五年生。 テレビコマーシャルに出演していた 三宅一生(Issey Miyake)に衝撃を覚え、デザイナーという夢を歩み始めた。

03:コムデギャルソンへの憧れ

川久保玲

小学5年生から夢見たデザイナーへの道を歩むために高校卒業後、名古屋ファッション専門学校へ進学する。卒業後、ワールドへ入社。入社面接は、自身がデザインしたフリルやジャージー素材を使ったスーツで向かったという。当時は、黒のリクルートスーツが主流ではなく、服装で自身を表現するという自由な風潮があった。その中で、群を抜くオリジナルなスタイルで向かう所がまた彼女のポリシーともいえる。

彼女は、ワールドにて「スチェッソ( SUTSESO )」というブランドのデザインを担当する。ワールドには約1年在籍するが、幼いころから憧れていたコム デ ギャルソンのオフィスが職場の近くにあり、カリスマ的存在である川久保玲を見かけたりするうち、コム デ ギャルソンへの思いが抑えきれなくなる。そんなあるとき、コム デ ギャルソンで”カットソーのパターンカッター ”を募集していることを人づてに聞き、すぐにワールドを退職し転職する。

コム デ ギャルソンでの仕事は、ワールド時代に求められた『トレンドの模倣』ではなく、オリジナルのアイディアでクリエイティブに解決する能力が試された。彼女のマイノリティな感覚が、その才能を開花させ信頼を得ていった。トリコ・コム デ ギャルソンでニット専門のパタンナーとして2年経験を積んだのち、ジュンヤワタナベのもとで働くことになる。

04:転機

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1997年阿部千登勢は、妊娠をきっかけにコム デ ギャルソンを退社する。勤労時間が長く、時間に追われる環境では、子育てしながら続けることができなかったからだ。退社後の1年間は、専業主婦に専念していたが、このころから服に対する考え方が少しづつ変わってくる。

ほぼ、家の中の生活になり、自分の着る服のバリエーションが少ないコトに疑問をもつ。どうしたら、面白くできるか考え始め、シンプルかつ機能的で手早く着れる、かつ興味深いデザインを考案し始める。そこで、セーターとシャツを合わせて一つにする実験的な服を作る。
これが阿部千登勢がファッションの世界に戻るきっかけとなった。

1999年試行錯誤を続け納得できるデザインをついに完成させる。sacaiのファーストコレクションは、3型のニット。その後展示会を行い2型の追加注文を足したわずか5型。

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画像引用:https://www.fashionsnap.com

サンプルを見に来た人々は皆驚いて、称賛した。自宅で行った展示会は玄関に人が収まらず、ドアの外に並んでもらったほどであった。それほどまでに、阿部千登勢の作る服のデザインは衝撃的だったのだ。これが、sacaiの全ての始まりであった。

05:ブランド名『sacai』の由来

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sacaiのスペルに疑問を持つ人も多い。それは、阿部千登勢の旧姓と旦那である阿部潤一に関係している。 阿部潤一は、「kolor」のオーナーデザイナー。ジュンヤワタナベに勤めている時期に出会い、結婚後に旦那のほうからsacaiの立ち上げを勧められる。旦那の存在は、sacaiがここまで成長するために、なくてはならなかった。

そして、「sacai」と「kolor」。この2つの表記は、双方のブランド名から、"k"と"c"を入れ替えたものだ。互いがデザイナーであることを尊重し、認め合う関係として、存在するブランドなのだ。

06:日常の上に成り立つデザイン

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画像引用:https://www.fashionsnap.com

阿部千登勢は、デビュー当時から「ハイヒールを履くシチュエーションを持つ大人の女性に着てもらいたい」と語っている。クローズアップしたのは女性の顔、女性の生活、女性の多面性。


昼はデニム、夜はドレスに着替える欧米の習慣に対して、出勤時の服装のままディナーに出かける日本人のユニークなTPO感覚に着目したのだ。
このインスピレーションが、エレガントにもカジュアルにもシーンに順応し、通勤からディナーまでを一着で通せる服というコンセプトを確立させた。

またハイブランドの隣に、牛丼チェーン店が連なる日本の街並みのように、意外性のあるもの同士をミックスさせる日本独特の感覚、文化の面白さを表現した服、それがsacaiの異なる素材を融合させたデザインにも通じるのかも知れない。

07:既成概念からの脱却

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画像引用:https://www.fashionsnap.com

パリを経て、世界的なデザイナーになる登竜門としてパリコレクションのショーで認められる事が当たり前の流儀とされているが、阿部千登勢はパリに進出して7年間ショーに参加していない。展示会のみでパリの名だたるバイヤーを唸らせてきたのだ。

また2009年、Moncler(モンクレール)で日本人初のデザイナーに抜擢される。これをきっかけにsacaiは飛躍し、全く異なるDNAを持つブランドや人物との融合という手法を使い、さらに話題を呼び成長して行ったのだ。

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画像引用:https://hypebeast.com/jp

既成概念への反骨精神が、sacaiを成長させてきた。それを記す言葉がある。

”「あ、こんなやり方あったんだ!」って思ってもらえるブランドにしたかった。まだ、すごく小さかったし。普通、ちょっと上手くいくとお店を作って、バッグを作って、フレグランスをやって、パリコレに行く。けど、そういう段階を否定して、自分のやり方でやりたかったの。今もそう思ってるけどね。「みんながやってるから、私もそうする」っていう考え方が嫌なの。私が何かをするのは、それが本当に必要だから。”

https://www.ssense.com インタビュー記事より引用


08:sacaiとは?

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◆『好き』を実現する生き方の投影
デザイナー阿部千登勢とは、夢追い人の鏡のような人間である。
幼少期に出会った夢の灯を今でも絶やさず照らし続け、新たな表現を模索し続けている。 周りの人間や環境を言い訳にしない、ただやりたい事を実現するために直向きに挑戦する。だからこんなにもsacaiの服はオーディエンスを魅了するのだ。

◆複数の顔を持つ現代女性のための戦闘服
会社、家族、恋人、友達。女性は一緒にいる人のシーンの中で複数の顔を持つ。職場では無愛想でも、恋人の前では色気を漂わせる表情に変わるかも知れない。そんな女性たちの様々なシーンに順応させる服がsacaiなのだ。

また、経営者でもある阿部千登勢は、新たなチャレンジとして、結婚出産しても仕事を続けられる会社環境の整備に目を向けている。自身も母親と仕事を選ばざるを得ない状況を味わった経験があるからだ。sacaiは、キャリアも母親も諦めない、複数の顔を持ちたい人間の戦闘服でもあるのだ。


■sacaiをもっと知れる参考書
・Sacai: A to Z
https://amzn.to/3kSsCJz

あとがき

やりたい事があるのにその道に踏み出せない時、周りの意見や環境に惑わされていないですか?
既成概念や大多数の意見というのは、自身の生きたい道を指す指針とは相容れない事もあると思います。そういう局面において、自分を貫く事の意義を阿部千登勢の生き様は教えてくれています。自宅で生まれた、わずか3型しかないブランドが世界的なブランドへ昇華するとは、誰もが想像しなかっただろうから。

自分の人生を切り開くのは己を信じる強い信念、他人にも環境にも左右されるものではない。どんな環境でもマイナス探しを辞めて、プラスに捉える事ができれば道はきっと開けるのだ。


偉人へのリスペクトの意味を込めて、「大人の自由研究」をテーマにドキュメンタリー仕立てに動画版は制作しております。ぜひ、YOUTUBE版も見てみてください。(チャンネル登録もお願いします!)

それでは、次回のYouTubeでお会いしましょう♪






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