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【短編小説】趣味で塔を造る人 -最終話-
こちらの続きです。
トルンは本当に手紙をよこしてきた。生成色の封筒に赤さび色の封蝋がしゃれている、とノアは思った。「親愛なるノア・ヴィダル様」から始まった他人行儀の手紙は、本文冒頭でその雰囲気を壊す。
――ノア、元気にしているか? あの時は本当にいろいろ世話になった。俺はシノートの生活に馴染もうとあれこれ頑張っているところ。海鮮は旨いが、やっぱり俺は肉が好きだ。最後に食べた鹿肉の味が忘れられない。
あの森の鹿の肉が如何に美味いか、ラスターの狩りの腕がどれだけ素晴らしいかを延々と綴った後、トルンはシノートでの一日を語った。灯台守の仕事は「まだまだこれから覚えることがたくさんあって大変」らしいが、高所から眺める夕映えの美しさは「もう本当にすごい」ので、シノートも悪くない、と思っているようだ。
実際、トルンは新生活を楽しんでいるのだろう。しかし……手紙には森の塔への未練もあった。
――俺はもう、あの森には戻らない。俺はあそこにはいられない。きっと俺がいなくなって、採石場の連中は両手を挙げて喜んでいるだろうし、この結末が一番悪くない終わり方だったと思っている。灯台暮らしも悪くないし。……もし、シノートに立ち寄ることがあったら、俺を訪ねて来てくれよ! できれば晴れた夕方に。最高の景色を見せてやるから。繰り返しになるが、本当にありがとう。ラスターにもよろしく伝えてくれ。
ノアは、やさしい動きでトルンの名を撫でた。
「……終わった?」
話しかけるタイミングをずっと見計らっていたらしいラスターが、赤い依頼書を持ってこちらを見ていた。
「緊急の案件だ。ギルド側から対応を頼まれたんだが、どうする?」
差し出された依頼書を受け取ったノアは、依頼人の名を見て目を丸くした。
「デラングード採石場って……」
「そ。トルンの塔の素材を採掘してたあの採石場だ」
――急に数を増やした魔物に、採石場を占拠されてしまいました。助けてください。
ノアは眉をひそめた。
「周辺の村にも被害が出ていてもう手が付けられないそうだ。俺たち以外にも声をかけたらしいんだが……」
「断られた?」
「おっ、詳しいな?」
「そりゃあ……」ノアは、言葉を濁した。報酬欄のところに記載された額があまりにも低すぎる。
魔物の種類も集団の規模も分からない。が、書き方を考えるとゴブリンかコボルトの類だろう。きれいに掘られた穴は生活にちょうどよく、彼らが狙う道理もわかる。
「それ、受けるの?」
赤い依頼書を見ているノアに、同業者が声をかけてきた。弓使いの女性だった。弓と矢の作りを見る限り、魔術で威力を底上げするタイプのものなので、彼女も一種の魔術師なのだろう。
「あんたもトルンの依頼を受けたことがあるクチ?」
ラスターの問いに、女性は頷いた。
「いい人よね、トルンさん」
「今はシノートで灯台守をしているそうだよ」
ノアの言葉に、弓使いの女性は目を丸くした。
「えっ、そうなの? うわー、そう……塔の建設は諦めちゃったのね。でもそうよね、そうじゃなければそんな依頼が来るわけないものね」
「あんたは受けないのか?」
ラスターが赤い依頼書を示しながら問いかける。
「私?」
女性は鼻で笑った。
「受けるわけないでしょ。報酬も少ないし……うちのチームメイトは採石場の連中が投げた石で、危うく失明するところだったんだもの」
「ですよねぇ」
「そうよそうよ。あなたたちも同情でこんな連中助けない方がいいわよ。それに……」
あっけらかんと笑う女性は、手に別の依頼書を持っていた。
「私たちはこれからこっちの依頼に行くの。だからその依頼には行けないわ」
女性はそう言って、ひらひらと手を振りながら去っていった。
ノアはじっと依頼書を見つめている。ラスターは何も言わず、ノアの判断を待っていた。少しするとギルドの職員がやってきて、ノアたちの前で頭を深々と下げた。依頼を受けて下さい、と泣きそうな声が聞こえた。懇願だった。
「一つ、聞いてもいいですか?」
ノアが口を開く。ラスターは少し身構えた。ギルド職員は勢いよく何度も頷いた。ああいうオモチャを幼少の頃に見たことがある、とラスターは思った。
「どうして報酬が少ないのでしょうか?」
「……採石場の売り上げが激減して、支払う余裕がなかったみたいです。足りない分はギルドが立て替えて支払います」
イチ足すイチの答えをわざわざ尋ねる意味はなかった、と答えを聞いてから思ったところで遅い。
「仮に俺たちがこの依頼を受けたとしても、対策を講じなければ同じことを繰り返すと思いますよ」
「そこはもちろん把握しています」
それもそうか、とノアは思った。
「ラスター」
「あんたに任せる」
「……分かった。ありがとう」
ノアは依頼書に指紋を載せた。ラスターも同じようにした。
依頼主の住む村は随分と寂れていた。どうやら数世帯ほど別の村へと引っ越したらしい。詳しい話を聞くために扉をノックする必要はなかった。崩壊寸前の家屋は外からの音をほとんどそのまま通すからだ。
崩れかかっている壁が正しい扉なのかラスターにもわからなかったが、くぐった先にリビングらしい部屋があったのでおそらく正規の入り口ではなかったようだ。しかし、住人にとってそんなことはとても些細な話だったともいえる。採掘場で見たことのある顔が何人かいた。狭い部屋で身を寄せ合って暮らしているようだ。その中には、ノアたちの石材購入を拒否した鉱夫もいた。
「あ、あ……あんたら……」
ノアですら見上げる必要のあった巨躯に圧はなく、空虚が所々に巣くっていた。そのうちの一人がノアの服にしがみついて叫んだ。
「な、なぁ! トルンを連れ戻してくれよ!」
「追い出したのはあんたらなのに?」
こういうとき、遠慮なく事実をぶちまけるのはラスターの長所でもあり短所でもある。鉱夫は彼の言葉を聞かなかった風を装って、ノアに訴えを続ける。
「トルンがいなくなってから、石は売れない、魔物は増える……悪いことばっかりなんだ! トルンさえいればまた……この村だって! ほ、ほら、まだ塔の土地はそのまま残ってる。トルンに言ってくれよ、戻ってきてくれって! お、俺たちも塔を見たいって、そう言っていた、って、な!?」
「…………」
「頼むよ、なぁ……今回の依頼だって、いろいろとギリギリだったんだ。トルンを連れ戻してさえくれれば、全部解決するんだ」
ノアが、小さく息を吸い込む。鉱夫が、期待に顔を輝かせる。
「魔物の種類と規模に関して、あなたが知っていることを教えてください」
醜悪な振る舞いでノアにしがみつく鉱夫の言葉が詰まる。関係のないラスターも息を詰まらせた。嵐を控えた海が不気味に凪いだときの、言いようのない違和感と恐怖がラスターの腹の底から上がってくる。
まるで、潮が満ちるかのようにして。
ノアの顔に、影が下りている。荒れ狂う海が吐き出す波の色をした影の中で、瞳だけが輝いている。触れてはいけないもの、怒りを表した光が、静かに静かに沈んでいる。
山奥の鉱夫は海を知らない。ノアを知らない。だからまだ、あがこうとする。
「あの、トルンを……」
助けてくれと手を上げたところで、海に身体が沈むだけだというのに――。
「魔物の種類と規模に関して、あなたが知っていることを教えてください」
その言葉は雷のように鉱夫たちを貫いた。強い風が森を揺らす。ラスターは天井を見上げた。穴の向こうに曇り空が見える。僅かに太陽の色を残したそこから、雨が降るのは時間の問題かもしれない。
趣味で塔を造る人・完
(ノアが書いた報告書がある)
気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)