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【短編小説】悪夢のはじまり

読むと解像度の上がる話(読まなくても楽しめます)


前日譚


 嫌な夢を見る。
 ミナーボナ夫人が、笑顔で紅茶を飲んでいる。その時点でおかしいとノアには分かる。彼女は死んだ。従者とともに暗殺されたのだ。戸惑うノアに、夫人は紅茶を飲むように勧めてくる。カップの中にはあからさまに毒が入っている。強烈な薬の色だ。ノアが困っていると、夫人はさめざめと泣きだしてしまう。
「あなたはそうして責任から逃れるのですね」
 そこで、目が覚めるのだ。
 自分で言うのもどうかと思うが、なかなかにバカげた話だと思う。変に疲れているからあのような夢を見てしまうのだ。そう思う。そう思いたかった。
 異変はノアに限らなかった。商業都市アルシュの人間が口々に「夢見が悪い」と言い出した。
「誰かが魔術を展開しているのでは?」
「でも、誰が?」
 噂というのは徐々に膨れる。悪意の予測。適当な物語。そういったものがすべて「真実」であると扱われる。
 実際「誰かが魔術を展開している」という点は真実だとノアは思う。目が覚めるとき、いつも自分のものではない誰かの魔力の気配を感じるからだ。だが、その魔力がどういったものなのかまでは判断がつかない。ノアにわかるのはここまでだ。とはいえ、魔力の主が商業都市アルシュを乗っ取ろうとしているだとか、悪夢を見た人間はみんな魔力の主のしもべになってしまっただとか、そういった「あからさまな嘘」は「デマ」だと分かるが。
 依頼書を見ても「悪夢の原因調査」「よく眠れると噂のぐっすりハーブの採取依頼」に関係するものばかりだ。ゴブリン退治や魔物調査などのスタンダードな依頼がわりと追いやられている。商業都市アルシュはややパニックになっていた。そんな中、こんな噂が流れてくる。
 ――ギルドで眠ると、悪夢を見ない。
 そう言い出したのは一人の魔物退治屋だ。彼は夜遅くに依頼を終わらせ、ギルドにやってきた。よっぽど疲れていたのだろう。職員が手続きをしている間についつい居眠りをしてしまったのだ。
 魔物退治屋が眠っていることに気が付いた職員は、彼を起こさずそのままにしていた。月が沈み、朝がやってきたとき、彼は悪夢のアの字も見ることなく快適な目覚めを迎えていた。
 商業都市アルシュの住民たちが、悪夢に苦しんでいたというのに。
 魔物退治屋は、その日は休みを取った。そうして自宅のベッドで眠ったとき、ひどい悪夢を見たそうだ。毎日毎日、自宅――商業都市アルシュで眠るたびに嫌な夢を見た。もう眠りたくないとさえ思ったらしい。だがそのとき、彼はギルドで眠ったときのことを思い出した。冗談半分でギルドで眠ってみた魔物退治屋だが、なんと悪夢を見なかったのだという。そうとなれば人々が殺到する。毎日毎日「ここはホテルじゃないの! 仮眠室でもないの!」と怒鳴るシノの姿が哀れであった。
 ……矛先がギルドに向かうのは、当たり前だったのかもしれない。
「ギルドの関係者が、商業都市の住民に悪夢を見せているんだ」
 そんな噂が真実の仮面を被って暴れ始めたのだ。
 これに黙っていられなかったのが地区の情報屋たちである。ただでさえ魔術師に対していい印象を抱いていないことが多い地区住人たちは、好機だと言わんばかりに魔術師に対する暴動を起こした。それを鎮火して回っている中で、犯人がギルドにいるなんて言われてしまってはとんでもない。地区住人たちがギルドに危害を加える前に、なんとか情報操作をする必要があった。敵を作らねばならなかった。
「ラスター、大丈夫? 疲れてない?」
 そんなわけで、ラスターは疲労に喘いでいた。ノアはリラックス効果のあるハーブティーを淹れて、ラスターに差し出す。山吹色の澄んだ液体がゆらゆらと揺らめく様は月のように見えた。
「俺はへーき。元々不眠だから夢も見ないし、何ならもともと悪夢を見るタイプ?」
 それは平気とはいわないのでは、と思ったがノアは黙っておいた。
「俺からすればあんたの方が心配だよ。あの、ミナーボナ運動の一件からずっと顔色が悪い」
「……参ったな」
「隠してるつもりだったのか?」
 ノアは小さく頷いた。ラスターの言うとおりだ。見かねたコバルトがヒョウガに宛てて手紙を飛ばし、その結果、ヒョウガとコガラシマルがナナシノ魔物退治屋の拠点にやってきた。ヒョウガが料理を作ってくれたのがつい昨日のことのように思い出せる。彼らはつい先日旅立ったばかりだ。肉じゃがとカボチャはまだ一週間分くらいは残っている。
「ついでにあんたの分の睡眠薬ももらってこようか?」
 ラスターの目尻がやや下がる。笑っているのだ。ノアはハーブティーを飲んだ。ペパーミントの暴力的な清涼感は今の状況に合わないなぁ、と思った。
「俺は大丈夫。……ラスター、無理はしないでね」
「あんたもね」
 ――笑いながら外へ出て行ったラスターは、その日のうちには帰ってこなかった。今日には帰ってくるだろう、と思いながら目を覚ましたノアが、流石に探しに行くべきかと思いながら眠りについた日、彼は予期せぬ声に起こされた。



(ラスターはアングイスから睡眠薬を頂いて、そして帰宅するつもりだった)

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)