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【短編小説】めぐる弾圧 #1

 いよいよ冬が近づいてきたように思える。ノアはついこの間まですぐそばにあったような気がする風を浴びながら、ギルドの魔術に関してあれこれと考えていた。
 精霊と契約することで賢者を目指そうとしていた少女・ハルの依頼により、商業都市アルシュのギルド――ノアとラスターが最も足繫く通っているギルドに何者かが魔術を展開していることが分かったのだ。ハルは精霊との契約を目的としており、精霊の魔力を探知できる装置を持っていた。ギルドに展開された魔術が精霊の手によるものかと思った一方、装置が故障していたせいで正しい結果が表示されていない可能性も浮上。結果、いったい何だったのかよく分からなかった。ハル本人は賢者になる以外の道を視野に入れることができたので、彼女の問題は解決している。
 ノアはすらすらと何かをメモした。が、すぐにそれを二重線で消す。
 あれは障壁魔術を応用したものの一種で、既定の領域内に足を踏み入れた者全員に等しくかかる魔術のはずだ。はず、というのも、自分が見た魔術と実際に存在した魔力の間に矛盾が生じており、式をいくら書いても間違っている箇所が分からない。
「どうだ? 成果は?」
 ラスターが窓から入ってくるところを見ても、何も言う気力がなかった。「成果なし」と言いたいところにうめき声しか出てこない。なんせここ一週間ずっとこもりっぱなし。術式をああでもないこうでもないとこねくり回している。だというのに成果なし。あまりにもみじめな話だ。
 そんなノアの目の前に、ラスターは小さな装置を置いた。
 ノアは目を見張った。精霊の魔力を探知するための装置だ。先日の依頼人・ハルが銀貨二百枚という大金で購入したというそれは、世間に出回っている安物とは違う。主に遺跡の発掘で活用される本格的なものだ。
「ハルちゃんから銀貨二百五十枚で買ってきた」
 しれっと大枚はたいて壊れた装置を買い取ったラスターにノアは目を白黒させた。ラスターの金なのでノアがどうこう言える立場ではない。が、ラスターは真剣な面持ちで壊れた装置を示した。
「壊れてないんだよ、これ」
「え?」
「ギルドで見たときには好き勝手に動いていた針もおとなしいもんだし、ランプだって正常だ」
 ノアは恐る恐る装置に触れてみた。これが反応を示すのは精霊の魔力のみなので、ノアの魔力を直に浴びても装置はうんともすんとも言わない。そして、ラスターの言う通り故障は見られなかった。
「信頼できる道具屋に診てもらったが、やっぱり壊れてないとさ」
「つまり、ギルドに展開されている魔術の影響で、装置が壊れているものだと俺たちが認識したってことか……」
 ノアは頭をガシガシと掻きむしった。手のインクが髪についてしまったがお構いなしだ。
「そうなるとそもそも俺の認識自体がずれている可能性がある。目の前で展開されていた魔術を真実と違うものとして捉えていたなら、もうどうにもならない」
「煮詰まってるねぇ」
「幻術か認識阻害の可能性があるっていうのが大きな一歩だけど」
「その二つって違うの?」
 ノアは頷いた。
「誤差みたいなものだけど、認識阻害のほうが簡単なんだよね……」
 そう言って、ノアは机に突っ伏した。顔がインクで汚れるのでは、とラスターは思ったが時すでに遅し。顔を上げたノアの頬には「49」という数字が鏡文字になって刻まれていた。
「何のために術を展開しているのかもわからないし、そもそもいつから展開してるのかもわからない」
 そう言って、ノアはぷつんと黙ってしまった。ラスターは今すぐカラメルリンゴパイを買いに行くべきか……とさえ思った。
「そっちはどうだった?」
「あー……」
 だから、ノアから状況報告を迫られたとき、ラスターはちょっと言葉を濁した。
「何かまずいことがあったの?」
「……地区がさ、封鎖されてるんだよな」
「封鎖?」ノアの眉間にしわが寄る。ラスターは急いで一枚のチラシを差し出した。
 手作り感あふれるチラシは手書きのものを複製して作られたようだった。泣いている赤ん坊の傍には悪い顔をした人間が銃を持っている。「捨て子を殺さないで」「罪なき命を守ろう」手垢のついた呼びかけの傍には「命を護る・ミナーボナ運動」と小さく書かれていた。連絡先まで完備である。
「魔術師連中が捨てたガキの世話を、地区の連中が担えと騒いでるのさ」
「それと地区の封鎖に何の関係が?」
「封鎖を解除してほしければ要求を呑めってやつ?」
 ラスターはできるだけ陽気に振舞ったが、ノアの気を軽くするには至らなかった。ノアはチラシを見た。侮蔑の眼差しを向けていた。
「だったら最初から捨てなければいい」
 紙切れにしわが寄る。赤ん坊のイラストの、ちょうど首のあたりが折れている。
「まぁ、そうだ。あんたの言うとおりだ。……ともかく、地区の入り口をこの連中が占拠しているわけで、それを何とかしないとコバルトとまともな話すらできない」
 ノアは何も言わなかった。ラスターも少し憂鬱になった。このバカげた運動の原因となっているであろう人物のおかげで、ノアの精神も結構削られていたのだ。そこをようやっと立て直したところでこの仕打ちである。憂鬱にもなる。
 こんこん、と音がする。ラスターは窓を見た。影が見える。人にしては随分と小柄だ。
「……ネロ?」
 いつの間にか、ノアも窓を見ていた。
 三つ目のカラスが、窓をつついている。コバルトの使役するカラス型の魔物・ネロだ。ラスターは即座に窓を開けた。ネロはぴょんと室内に入り込み、ラスターに足を差し出した。手紙が括り付けられている。その際に、わずかに血の匂いがした。
「あんた、よくここまで来たなぁ」
 ラスターが足の手紙を回収すると、ネロはぱっと飛び立ってノアの傍に来た。シアンの目が三つ、ノアをじっと見つめている。かと思えば、ノアの手をつついて何かを訴える。
「なでてほしいの?」
 ノアは緩く笑いながら、ネロの頭を遠慮がちに撫でた。これで油断するとくちばしで噛みついてくるというのだからにわかには信じがたい。
 まぁ、その仕草もノアに撫でてほしいというよりは、ノアの気を引いているというのが正しいが。実際、ラスターは手紙を見てその場に倒れそうになった。
 限界。
 たった二文字。されど二文字。コバルトの「限界」の文字は「やけくそ」と言わんばかりの殴り書きであった。ノアが拠点にこもり、ラスターがハルの行先を突き止めて装置を買い戻すのに一週間。その間に地区はじわじわと追い詰められていたというわけだ。
「あれ? ネロ、ケガしてる?」
 ノアがそんなことを言ったので、ラスターは思わずネロの方を見た。黒い羽根の光沢の中にそれとは違う反射があった。ラスターは舌を巻いた。おそらくあれもわざとだ。ノアがネロにかかりっきりになる時間を稼ぐために。事実、ネロの目がにんまりと細められている。意地悪いたくらみが成功したときのものだ。
「…………」
 ラスターは手紙を撫でた。そのとき、指先が妙な引っ掛かりを覚えた。そっと、撫でる。限界の文字。太いペンで書かれたそこに、妙な盛り上がりがある。ささいな突起だ。だがラスターには伝わった。
 連なる暗号。文章を組み立てる。
「ノア」
 ラスターは少しうんざりしながら、ノアの名を呼んだ。
「どうしたの?」
 ネロの傷口を見ながら、ノアは答えた。
「あの運動を終わらせられるの、多分俺たちしかいないぞ」
 ノアが顔を上げた。ラスターは軽やかな動きでノアの傍による。ネロが一歩引いた。もともと大した傷ではなかった、と言わんばかりに。
 ノアの耳に唇を寄せて、ラスターは例の手紙の内容を囁く。ノアの表情が見えないのが気になるが、彼なら快く了承するに決まっている。
「つまり、コバルトの家に連中の本性が分かる資料があるらしい。あんたが最近行った場所……って書いてあるな」
 ノアは記憶を手繰り寄せた。最近行った、といえば思い当たる場所は一つしかない。
 ラスターが身を引いた。ノアの顔が見える。やや真剣味を帯びた表情をしたノアは、ラスターから目をそらさずに問いかけた。
「でもどうするの? 封鎖されてるんでしょ?」
「隠し通路があるからそこから入れるならばそうしたいが、それも無理だとなると手段は一つしかないなぁ」
 ラスターは席を立った。
「行こうか」
「作戦は?」
「なんとかなるさ」
 ネロがぱっと飛び立つ。開けっ放しの窓から外へと出て、そのまま空を旋回する。はよでてこいと言わんばかりの態度にラスターは吹き出しそうになったが、ノアはのんきに「ちょっと待ってね」などとのたまう。彼はあのカラスを愛らしいと思ってるらしい。あのコバルトのペットだぞ? という文言を飲み込んだラスターの傍に、ノアが来る。
「さ、道中でミナーボナ運動のおさらいでもするか」
「いうほど歴史は長くないけどね」
 窓を閉めてから、外に出る。待ってましたと言わんばかりに、旋回していたカラスが商業都市に向かって飛んでいった。




気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)