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【短編小説】幸福のはじまり

こちらの続きです

 嘘の区別が、つかなくなっている。

「最近夢見が悪いんだけど」とラスターが切り出すと、元々不機嫌だったアングイスの顔はみるみるうちに超不機嫌になった。もうとっくに診療時間は過ぎており、さあ寝るかというタイミングでやってきた失礼極まりない患者を追い返すこともできた。だが、アングイスはいつも渋々この来客を迎え入れる。要件はやはり睡眠薬の処方であった。いつもなら交渉の後アングイスが折れるのだが、今日は少々展開が違っているようだ。
 悪夢を見る、と聞いたアングイスは机をばしばし叩きながら怒った。が、体格のせいであまり迫力がない。
「だからワタシはキチンと言ったはずだぞ! 薬を減らせと!」
「あ、でも悪夢を見るってことは……眠れてるってことか?」
「このバカたれクソ患者! バカバカバーカ! 眠れてないから睡眠薬をよこせって言うんだろうがポンコツ! もうワタシはオマエに薬は処方しないからな!」
 ぷいとそっぽを向いたアングイスに、ラスターはいつもの手段を使った。
「自分で調合するしかないかなぁ……」
「…………」
 アングイスの顔がこちらを向いた。口元をもごもごさせている。
「多分レシピがどこかにあるはずなんだよなー、なければ最悪勘で調合しようかなー」
「ラスター」
 いつもの「分かったよクソ患者!」と言いながら薬を投げてくるアングイスはいなかった。やたら真剣な顔で名を呼ばれたラスターは、流石にふざけるのをやめた。
「オマエはな、ここ数ヶ月で規定以上の睡眠薬を飲んでいるんだ」
「ほぼ毎日飲んでるからな」
「悪夢はこの薬の副作用の一つだから、しばらくの間使わない方がいい」
「いや、そこは最近流行の現象が原因じゃないの?  ていうか、そもそも眠るなってこと?」
 ラスターは頭を掻いた。しばらく事実上の徹夜が確定したようなものである。
「睡眠導入に良く効くニオイとか、身体を温かくして眠るとか、あとは……呼吸方法もあるぞ」
 アングイスは机から紙切れを引っ張り出し、万年筆でさらさらとメモを始めた。ボルドーのインクが紙に沈んでいく。アングイスはこの色をブドウジュースみたいだと言っていたが、ラスターには血の色にしか見えなかった。
「ひとまずこれがワタシのオススメだ」
「本当に効くのか? これ」
「そーやって疑ってかかるのはオマエとコバルトの悪い癖だぞ。あとは布団に入ったら羊でも数えるんだな」
 ふん、とアングイスは息をついた。
「羊ねぇ、この前やってみたら三万匹数えられたぞ」
「数えることそのものに集中するから悪いんだ。軽い気持ちで当たれ」
 ふわぁ、と欠伸をするアングイスだが、ラスターがそれにつられることはなかった。
「一応聞くけど、ホントに処方してくれないのか?」
「部屋の扉を開けたノアにオマエの死体を見せたいなら、してやる」
 うーん、とラスターは喉を鳴らした。それは、ちょっと嫌だなぁと思った。


 商業都市アルシュの地区を歩く。壁に貼られた大量のポスターには同じような内容が記載されているので、おそらくは何かしらイベントがあるのだろう。道を歩いていると、頭に変なカチューシャをつけた子供二人とすれ違った。彼らは、変な装飾がされている剣のオモチャを振り回しながら駆け抜けていく。「くらえー」と言いながら、一人が切りつけるマネをする。「なにをー」と言って、もう一人がそれを受け止める。日没間近の紫色の空の下、無邪気に遊ぶ子供たちの声は、だんだんと遠のいていく。やがて残響も聞こえなくなった。
「あ、ラスター」
 道の反対側からやってきたノアも、同じようなオモチャを持っていた。ラスターは「弟にでも贈るのかな」と思った。ノアは時々そういうことをする。商業都市アルシュのオモチャを一番下の弟妹に贈るのだ(ノアは六人兄弟の長男だが、一番下の二人は双子だ)。
「はい、ラスターの分」
 しかし、ラスターの予想と違い、ノアはオモチャの剣をラスターに手渡してきた。
「おいおい、童心に返るってか?」
 幼少期にこういったオモチャで遊んだ記憶はあんまりないが、なんとなく懐かしさは感じる。昔はこういうものに憧れたこともあったなぁ、と思ったその時だった。
 ノアが、距離を縮めてくる。腹に何かが食い込んでいる。服が湿る。濡れる。頭が何かを分泌するのが分かる。
 視線を、下げる。ノアがゆっくりと引いていく。腹に突き刺さる剣はオモチャではなく、ノアが愛用しているロングソードだ。
「おやすみラスター、コレで眠れるね」
 ノアは優しい笑みを見せた。本心からの喜びだった。
 ラスターは、剣が突き刺さる己の腹を見つめた。痛みもなにも感じない。剣の柄に手をかけて、ゆっくりと引き抜く。刃が傷口を撫でる感触はあった。痛みはないが妙な気味悪さは感じた。もう少し刃渡りが長ければ嘔吐えずいていたことだろう。
「眠れないみたいだけど」
 ラスターは少し強がって、笑って見せた。
「ああ、ごめん」
 ノアは申し訳なさそうな顔をして、掌に魔力を溜めた。
一本じゃ足りない・・・・・・・・よね」
 凝縮された魔力が槍の形を取る。その数……数えるのを諦めたくなるくらい。流石に冷や汗をかいたところで、ノアが魔術の展開を止める素振りはない。
「改めて……おやすみ、ラスター」
 無数の槍が眼前に迫ったとき、ラスターははっと目を開けた。夕暮れは夜の闇に呑まれ、時計の針が静かに鳴いている。恐る恐る身体を起こして腹を撫でたところで傷はないが、かなりの汗をかいたのだろう。シャツはやたら湿っていた。ため息をつくと、こめかみから汗が垂れた。
 あの後……アングイスの所から戻って、拠点に戻り、自室のベッドに潜り込んだ。アングイスオススメのポプリ(木の匂いがした)を枕元にセットし、羊を数えながら眠りについた。覚えているのは、二百五十匹辺りまでだ。
 ……ほんとに?
 睡眠薬は飲んでいない。まだ在庫はあるが……アングイスに言われたとおり、薬に頼らない入眠方法を素直に試したのだ。
 結果だけ言えば大失敗なのだが。
 もう一度ベッドに潜り込んだラスターは、ふと夢の内容を思い浮かべる。
 ……ほんとに?
 ノアに殺されかけたとき、恐怖はなかった。代わりに覚えたのは強い安堵だ。同じ内容の夢を見ても、同じ感想を抱くだろう。多分彼ならなんとかしてくれる、という信頼があるのかもしれない。尤も……手段が適切か否かはまた別の話だが。
 ……ほんとに?
 もう一回、やってみてくれないだろうか。ノアに殺されるのであれば――いや、でも……俺はノアに殺されるのであればいいけれど、ノアに、俺を殺した罪を着せたくは……。
 堂々巡りの思考が、ゆっくりと疲労を蓄積させていく。誰かに何かを伝えるわけではないのに、ラスターの口元がゆっくりと開き、言葉をこぼした。
「……まぁ、いいか」
 目を閉じると、少しだけ愛想のある樹木の香りが届いた。本物には絶対言えない願望を抱いたラスターは、羊を五百匹数えた辺りで朝を迎えた。
 眠りについたまま。起き上がることもなく。ただ懐かしい人の声を聞いた。


(――起きて。今すぐに)

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)