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【短編小説】背を押す風

 新年を祝う雰囲気が徐々に薄れ、店もいつも通りの営業に戻ってきた。想定よりも長くノアたちのところに居座ってしまったヒョウガとコガラシマルはいよいよ再度の旅立ちを決め、必要なものを買いに歩いたのち、ギルドに顔を出した。依頼を受けに来たのではなく、情報を集めに来たのだ。
「久しぶりじゃない」
 やや暇そうにしていたシノが声をかける。二人がナナシノ魔物退治屋に加入する際の手続きを担当した当人は、極力他人に聞こえないよう声を潜めて話しかけた。
「聞いたわよ? 酒の飲み比べで悪徳娼館をつぶしたんですって?」
「……あまり褒められるものではない」
「誰から聞いたんだよ」
「噂になってるもの」
 ヒョウガは思いっきりコガラシマルの方を見た。コガラシマルは思いっきりそっぽを向いた。
「けなしてるわけじゃなくて褒めてるのよ? ああいうところに純粋なお客さんが迷い込んでぼったくられるんだから」
 今度はコガラシマルが思いっきりヒョウガの方を見た。ヒョウガは思いっきりそっぽを向いた。
「同郷のよしみで教えてあげる。地区は知らない道にでないのがコツよ。もと来た道から戻る。これが鉄則ね」
「……恩に着る」
 ヒョウガはコガラシマルの方を見た。魔力を抑える目的で常に閉じられている彼の目からは感情の類を読むことが難しいが、それでもある程度は推測可能。つまり、なぜかコガラシマルはシノのことを気にしている。やや鈍感なヒョウガですら察しがつき、その理由が色恋沙汰ではないことも分かるレベルに。
「大げさね」
 シノが息をついた。
「あたしは仕事をしているだけだし、今の情報だってそれほどのものじゃないわよ」
「それでも、だ。某の出自や来歴を知れば、ギルドへの所属など不可能に近しい」
「あたし、ナナシノ魔物退治屋のことは割と気に入ってるから」
 コガラシマルは黙ってしまった。何か後ろ髪をひかれるものがあるのだろう。見かねたヒョウガは助け舟を出した。
「じゃあさ、もしオレたちにできることがあったら、何か言ってよ」
「……え?」
 シノの表情がぱっと崩れる。純粋な驚愕は彼女の余裕を崩した。
「あ、あんまり難しいのはダメだからな! でっかいダイヤがほしいとか、なんかそういうのは……」
 ヒョウガが勝手に慌てている中で、彼女の口元がゆったりと動く。二人は同時にシノの顔を見た。気の強いギルド職員の姿はそこになかった。二人は初めて、彼女の弱さを目の当たりにした。
 しばし、時が止まる。雪だけが静かに降り続いている。隣で何らかの相談業務を受け付けていた職員が半ばやけくそで叫んでいた。「だからその依頼内容で銀貨十枚は無理なんだってば!」
「……なんでもない、忘れて」
「忘れて、って……」
「でっかいダイヤでも見つけてきてちょうだい」
「だからそれは無理……!」
 ぱっと席を立ったシノは、そのまま奥の部屋へと早歩きで向かってしまった。追いかけようにも従業員以外立ち入り禁止の区域相手ではさすがの二人も手が出ない。
 コガラシマルは無言で、近くのメモ紙を手に取った。職員用に置かれている羽ペンを勝手に取って、さらさらと何かを書く。人の目を伺ったのち、彼は小さな風を起こした。紙がくるくる踊りながら、ギルドの床を這って行くのが見えた。
「行こう、ヒョウガ殿」
 コガラシマルはそういうと、ヒョウガの答えを聞かずに外へ向かった。
「ま、待って!」
 ヒョウガも慌てて後を追う。外に出てすぐのところでコガラシマルはヒョウガを待っていた。
「何て書いたんだ?」
「ちょっとした助言だ。大したものではない」
 ふうん、とヒョウガは納得した。納得したふりをした。明らかに答えを濁されている。凍った地面で転ばないように歩いていると、すぐ傍で雪にはしゃぐ子供が滑って転ぶ。すぐにわあわあ泣き出した。「だから言ったじゃないの」と母親が笑いながら、何かおまじないのような動きをした。「ほら、痛くない。痛くない」
 昨日に比べて、今日は冷え込んだ。夜のうちに凍った道路に足を取られるのは子供だけではない。買い物を終えた青年が店の外に出た瞬間すっころび、缶詰を転がした。
「はい」
 それが自分の足元に来たものだから、ヒョウガは缶詰を拾って青年に差し出す。青年は照れ臭そうにしながら「ありがとな、坊や」と言って、缶詰を受け取った。
 怯える猫のような動きで歩き始めた青年の後ろ姿を見ながら、ヒョウガは不服そうにつぶやく。
「坊や。だって。オレもう十六なのに」
「彼からすれば坊やだろうよ」
「コガラシマル嫌い」
「そんな殺生な。……そもそも、そのような不貞腐れ方をするから坊やと言われるのだ」
 むう、と頬を膨らませたヒョウガは、しかしすぐにため息をつく。
「探し物、増えたな」
「賢者の剣に続いて、特徴の分からぬものとは」
「本人に聞いておけばよかったな」
「あの調子では口を割らぬよ」
 コガラシマルが肩をすくめる。
「我々相手では無理なことだ。しかし……」
 シノの言葉が脳裏によぎる。
 ――あたし、ナナシノ魔物退治屋のことは割と気に入ってるから。
 それは、彼女だけの話ではないのだ。

 馬鹿みたいだ。やらかした。やらかした。
 同郷だからと言って調子に乗ってしまった、とシノは己の行いを恥じた。自分一人でなんとかすると決めて異国の地を踏んだというのに、結局他人に頼っていては話にならない。
 この国に来て分かったことがある。
 誰も彼も、みんな、自分のことでいっぱいいっぱいだ。
 ……寒い。魔力の節約で暖房の類の効きが弱い。職員しか使わないエリアだったらなおさらだ。しかも隙間風も吹いているとなれば、本当に救いようがない。
 カサ、とわずかな音がした。メモ用紙が風に乗ってくるくると踊っている。明らかに誰かが操っている風だ。シノの姿を確認できたらしい風は、まるで子犬のようにしてシノのもとへとやってきて、メモ用紙を手に乗せた。

「困ったときは ナナシノ魔物退治屋へ」

 流れるような達筆でそう書かれている。わずかに冬の匂いがした。
「馬鹿ね」
 あり得ないくらいに冷えたメモを握り、シノは一人呟いた。
「あの二人相手になんて、尚更相談できないじゃない。こんなこと……」




気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)