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ソ連最後の夏の旅⑩モスクワ
赤の広場での勝利集会を目の当たりにした晩、「さあ、今夜も赤の広場に行くか」とアップを始めましたが、通訳のターニャさんにストップをかけられました。街に人があふれている、まだ何かが起こりそうだから、と。そしてやっぱり深夜に事件が起こりました。まずは、その翌朝の話。
万国の労働者よ、団結せよ!そして…
さわやかな朝です。私は昨晩「何か」があったかと、赤の広場の周辺をぶらぶら歩きました。ボリショイ劇場前にある「革命広場」には、かの有名なカール・マルクスの銅像が建っています。ちょっと血を流してますね。
かつて、マルクスはこんな感じのことを言いました。資本主義がすすむと、働かずにお金を持ってる資本家と、働くことでお金を得る労働者との格差が広がる。働く方がエライのに貧乏なのはなんで?労働者が権力をもつのが当然。労働者が意識をかえれば権力を握ることができるよ!財産をみんなで分け合う、共産主義の世の中にしよう!そして言いました。
「万国の労働者よ、団結せよ!」
おおざっぱなソ連の歴史
そして、この「理想論」を受け継いだのがレーニンです。
理想論であるがゆえに、「自分たちは理想を追求してるんだからエライんじゃん、多少の犠牲が出たって仕方ない」と、レーニンは言って、革命を起こし、ソ連をつくりました。
▼前夜ちょっと興奮した「民主派」の人に頸動脈を切られたレーニン。
そしてレーニンの死後、「誰が革命にふさわしいか」幹部たちは権力争いをしました。そして、争いに勝ったスターリンが、反対派を粛清し、それを批判する文化人を粛清し、こんなの間違っていると批判する人を粛清し、「なんだか怖いね」と言った一般市民を粛清するという、大粛清時代を迎えたのです。
クーデターとか勝利とかって何?
時は下って。ソ連の独裁体制がゆるゆるになったとき、強いソ連を取り戻そうと守旧派のヤナーエフたちが「クーデター」を起こしました。ゴルバチョフが、民主化を進め、地方分権のように共和国の権限を増やそうとしたからです。(ソ連は15の共和国から成り立っていました)。そこで、ゴルバチョフのライバルであり、ロシア共和国の大統領・エリツェンが、ソ連の傘下からロシア共和国を独立させるのにいい機会じゃね?と、「民主派」として、へなちょこクーデターと戦い、勝利したのでした。←イマココ
というわけで、カールマルクスの銅像にはこんな落書きがされていましたよ。
「万国の労働者よ、団結せよ、そして、共産主義と戦え!」
資本主義がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!
そのあと、ソ連初のマクドナルドに行ってみました。珍しさも落ち着いた頃かと思いましたが、行列が延々と続いていました。赤の広場ほど人は並んでいませんでしたが、それでも長い行列でした。
前年の1990年に開店したモスクワ1号店は、「世界一値段が高いマクドナルド」と言われました。ビッグマック1つが、地下鉄1か月分と同じ位だったそうです。ちなみに、メトロは1度乗るとどこへ行っても10コペイカ。街角で売られるピロシキが1コ55コペイカ。ざっくり言って、ピロシキの10倍以上の値段だったようですね。
並ぶ時間はなかったので、行列だけ見物して、次の場所へ。並んだ友人は、優に30分以上は待ったそうです。
深夜に一体何が起こったのか?事件はKGB前で起こりました。(つづく)
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