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ソ連最後の夏の旅⑪モスクワ

物騒な話が続きます。ソ連のもっともキケンな場所と思われるKGB本部へ行きました。するとそこには…▼の続きです。

KGB前の興奮

赤の広場周辺でデモはやっていなかったので、とりあえず、見たかったKGB本部へ行きました。かぼちゃ色の建物を見て「おお、あれがKGBか、意外と派手な色をしている、秘密警察なのに」とひとりごちたのですが。よく見ると、人が集まっています。

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2メートル位の台座に、人が群がっていました。ここにあるハズの銅像がありません。そして人々がなんだかすごく興奮しています。屈強な男たちが数人、ハンマーのようなものを持って、ガンガン台座を叩いていました。一体なにが起こっているのか写真を撮ろうとして近寄ると、「危ないから近づくな」と後ろから怒鳴られました。「何が起こったの?」と聞くと、「昨日の晩、ここで何が起こったか知らないのか」「ダバイ!ダバイ!」「見ろ、オレたちの勝利を伝えてくれ」「ダバイ!ダバイ!」もうカオスです。

少し下がって、台座打ちこわしの様子を観察している人に何があったか尋ねました。するとその人は、「昨日、赤の広場でデモがあったことを知ってる?」うなずくと、「その後ね、みんなここに集まったんだよ、夜中にジェルゼンスキーの銅像を打ち壊したってわけ」と落ち着いた感じで話していたのに、話してるうちにヒートアップして「すごいだろ、ウラー!」と叫び、人混みの中に飛び込んでいきました。祭りか。

ジェルジンスキーって誰?

台座の主は、フェリックス・ジェルジンスキー、KGBの前身となるチェーカーの初代長官です。フェリックスとかわいい名前ですが、やったことはかなりエゲツない。1917年、レーニン率いる10月革命の暴力的な部分を引き受けた人。「革命を守るため」反対派を逮捕して逮捕して、裁判なしで処刑して処刑していたそうです。ついたあだ名は「鉄のフェリックス」。

ソ連の圧政を支えたKGBは恐怖の組織で、その創設者の銅像を打ち壊すとは、ソ連の人たちにとっては、とんでもないことだったのです。

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▲モスクワ・タイムスより

クーデター政府は死んだ!Хунте Хана!

私は、10年後にもモスクワへ行ったのですが、そのとき英字新聞「モスクワ・タイムス」を手に入れました。特集記事で「銅像引き倒し」の裏話が披露されていました。

赤の広場に集まった群衆は、KGB前の広場に向かったそうです。はじめは騒いでいただけだったのが、気が大きくなって、銅像を倒せ、と。調子に乗った男たちが、銅像によじ登ったそうです。ただ、広場の地下には地下鉄が通っているので地盤が悪く、銅像を倒して下手したら陥没の危険があり。モスクワ市長のポポフさんはどうしたら良いか悩んだそうです。

そこへ手を差し伸べたのがアメリカの大使館。なんでも、クレーンなどの重機があったので、銅像の解体と引き上げの手伝いを申し出たそうなんですね。深夜になって、銅像を引き倒す、という一大ページェントが行われたんでした。すごいですね、偶然、重機が手元にあるとはどんだけアメリカ大使館は優秀なんだ。

一方レーニン廟の前は

モスクワ最後の晩にまた赤の広場へ行きました。レーニンの「遺体」が眠るレーニン廟の前に、人が集まっています。また襲撃か、と勇んで駆けつけましたが、ふつうに見物客だらけでした。皆さん夜9時の衛兵交代を見物しにきたらしいです。衛兵は、鐘の音とともに早業で入れ替わり、その後無言で向かい合って立っています。去りゆく衛兵の後を子ども達が駆けていきました。帰ろうとして振り向くと、石畳の向こうで聖ワシリー寺院は暗く静まり、満月に近い月が、ぽっかりと浮かんでいました。


さて、1991年の夏、ソ連最後の夏、旅の途中でまさかのクーデターが起こった話はここでおしまい。旅もそろそろ終わりに近づきました。クーデターがぼっ発した8月18日に合わせようとブハラ、トビリシ、キエフをすっ飛ばしたので、この後、書き足そうと思います。до свидания!

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