見出し画像

板垣エビフライ

最近の社会では「個性」が重要視されている気がします。学校の入試にしても、就活の面接でも、他の受験生とどこが違うのかで個性を出すことが必要となります。でも、日本人の強みは協調性だなんてことも聞きますから、周りと協調性を持ちながらも、自身の個性を少し出すくらいでちょうどいいのかもしれません。結局、「個性」とはどうあるべきなんでしょうか。今回は、個性について僕が思うことを少し書いていきますね。

個性ってどこから個性として扱っていいんでしょうか。例えば、「野球が得意」っていうのは個性として弱い気がしませんか。だってそんな人いっぱいいますし、どれくらい上手ければ「得意」としていいのかも曖昧ですから。言ったもん勝ちの気がします。

では、出身地はどうでしょうか。例えば、青森県から東京に就職したとして、「青森出身」を個性にするのもなんだか弱い気がします。これまた、青森出身の人はいっぱいいるのですから。このように考えると、個性ってなんだか弱いものばかりが取り上げられてる気がします。自分に個性がないことで悩んでいる人もいるかと思います。ですが、安心してください。僕から提言したい説があります。

それは、

【教科書に載ったら個性】としていい。

という説です。教科書に載ってるってものすごい個性ですよね。これまでの人類の歴史のなかでもほんのわずかしかいないですから。ものすごいインパクトで、突き抜けた個性と言えます。そう考えれば、自分に個性がないことを悩む必要はありません。ほとんどの人が教科書に載ってませんから。

教科書に載るには、基本的に何らかの偉業をなし得ることが必要となります。でも、ガリレオのように木から落ちたリンゴをみて重力の存在に気づいたり、織田信長のように天下統一目前まで迫ることはなかなか出来ません。しかし、ゴッホのように死後に評価されるというパターンも存在します。つまり、皆さんは誰しもが死後に評価されて教科書に載る可能性があるということです。このように考えると、なんだか生きるのがワクワクしてきます。もしかしたら300年後の美術の教科書に自分が載っているのかもしれませんし、もしかしたら300年後の子供たちが自分のことを偉人として尊敬してくれているかもしれませんから。

【教科書採用にむけての注意点】

ここで注意しなければいけないのは、教科書に採用される写真は自分では選べないということです。板垣退助はどう考えてもあの写真を選ばれたことに不満を持ってるはずです。ぱっと板垣退助が思い浮かばない方は検索してみてください。エビのしっぽみたいなひげしてますから。オードブルのエビフライのコーナーに板垣退助が一人まぎれこんでいても、意外と気付かないかもしれません。

ということで、どの写真が採用されてもいいように、自分が写る写真を撮るときにはできるだけ身なりを整えましょう。あるいは、遺書に「教科書に採用される場合にはこの写真を用いるように。」という文言でもつけておいた方がいいのかもしれませんね。


今回は以上になります。皆さんが教科書に載る日がおとずれますように。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?