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死が覗く

”死にたい” 何度思ったことだろうか。今までこの”死にたい”を抑えるために腕を切り、血管に針を刺した。自傷をすればこの”死にたい”は薄れていくと信じていたから。でも最近気づいてしまった。”死にたい”という気持ちは既に私の心に深く深く巣食っていて私の心を全て”死にたい”一色にするのを虎視眈々と狙っている、ということを。

そして私の心が”死にたい”一色になった瞬間が私の最期。


最近”死にたい”気持ちが私の心を侵略してきています。気が付けばロープを用意していて、気が付けば2chの自殺掲示板を見ている。外に出ればどこの木がよいか、どこなら人目につかないか、そんなことを考えて生きています。

馬鹿みたいですよね。死ぬために生きているなんて。もちろん人間は皆、死ぬために生きています。でも彼らは死ぬその瞬間のために何かを遺せるように限られた時間の中で命を磨いて生きている。一方私はただ死ぬために生きているんです。どうして私と彼らはここまで違ってしまったんでしょうか。私だって彼らと同等、もしくはそれ以上必死に生きてきたはずなのに。

死ぬために生きている私の生活には自傷が不可欠です。自傷をすれば、血を見れば、痣を見れば私の身体は生きていると実感ができました。死とは対極にある生を見える形で体現できていました。でも最近瀉血やリストカットをしていても何も感じない。むしろ死が傷口から覗いている。

自傷なんかしていても誰も助けてくれないということを本当の意味で分かってしまったんです。元から誰かに見てほしくてやっていたわけではなく、むしろ隠していたのですが、心の奥底では”誰か助けて”と思っていたのでしょうね。そんな歪曲した想いは通じる訳もなく血と一緒に捨てられていく。結局自分を助けるのは自分しかいない。この事実に今更気が付いたんです。しかし今の私には自分を救う力など残っていない。自分が一番よくわかっています。だからもう”死にたい”という気持ちに侵食されていくのを待つしかない、そう覚悟を決めています。


”死にたい”に完全に侵されるその日までお付き合い願えればと思います。


それでは良い夢を。

私の文章、朗読、なにか響くものがございましたらよろしくお願いします。