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いかなる時でも美味しいご飯を

みなさん、こんにちは〜!
つい二週間ほど前まで任意入院で(ここ大事)閉鎖病棟にぶち込まれていた任意定数です!!
シャバはいいですね、好き放題お酒も煙草も嗜めて、外出も看護師さん付帯という謎条件もない(私は最後まで医者に逃亡の可能性を危惧され、信用されず一人での外出ができなかった)!!素晴らしい!!

新歓企画ということで自己紹介をさせていただきます。
任意定数です。大学では初めは数学をやっていましたが、一念発起して臨床心理学系のことをするために転部しました!!twitterのアイコン通り「・・・もう・・・やめちゃってもいい・・・かなぁ・・・理系」を達成したのです!あとは教員免許取得のための勉強をしているしがない大学生です。(しかしながら精神の悪化により休学中)
あとは、サークラの会誌の編集を務めさせて頂いております。今年もHOTな会誌を作りたいと思って思っておりますので、寄稿の方よろしくお願いいたします。全力でお待ちしております!!!(怖い)。関東勢なので関東の方よろしくお願いいたします。
では本題の方に…


私は雑食人間である。
うら若き女子大生がこんなことを言うのはいくらかはばかられるが、事実だ。
「私、おしゃれなカフェでしかご飯を食べられないんです〜(泣)」とでも言ったほうが女子大生っぽくなれるだろうか、そんなことを考えながら文章を書いている。

何を食べても美味しいと思う、出されたものなら何でも食べる、それが私のポリシーだ。
だから閉鎖病棟にいた三ヶ月間もご飯に文句一つ言うことなくペロリと平らげていた。
閉鎖病棟のご飯は私にとって文句をつけるほど不味くないし、むしろ美味しくて十分すぎるものであった。
そんな日々の中、ふと廊下に貼られた献立表の前で談義をしているグループを見つけた。そのグループの会話に耳をそばだてると(失礼)『このナスの料理と鶏の水炊き風なんて食べれたもんじゃないですよ』との言葉が。
ちなみに私にとっては上記2つはそこそこ好きな料理である。
私は家庭環境的に「目の前に出されたものが食えないのならばお前の食う飯はねぇ」という場所で育ったため、食べ物が目の前にいるだけで幸せなのだ。
でも舌の趣向の違いがあるのは我々が人間である以上当然のことなのだ。
だから私は「そうなんか、不味いと感じるのね…」くらいにしか思わなかった。
だからそれでいいのだ。
自分が美味しくないと思うものをきちんと表現できること、これは素晴らしいことなのだ。

けれど私は悲しいことにその感覚が備わっていない。だからいかなる時でも美味しいご飯をいただくために、忌々しいが「目の前に出されたものが食えないのならばお前の食う飯はねぇ」というポリシーを持っていかなる時でもこの世界にある食べ物を美味しくいただきたいと思う。

閉鎖病棟のご飯たち

私の文章、朗読、なにか響くものがございましたらよろしくお願いします。