神奈川フィル 2021/7/3 モーツァルト+
昨日は神奈川フィルのコンサートへ。
曲目は
・ドイツ統一行進曲
・モーツァルト ピアノ協奏曲24番
・ウェーベルン 弦楽四重奏のための緩徐楽章
・ベートーヴェン 交響曲5番
会場に着いてから知ったんだけど、コンサートのテーマがナチスと音楽らしい。序曲の『ドイツ統一行進曲』はドイツはオーストリアを併合を示し、それによってドイツはモーツァルトの出身地ザルツブルク(オーストリア)を手に入れる。終いに彼はナチスのプロパガンダに利用されてしまった。そのナチスの演奏会で唯一演奏されたモーツァルトが今回の『ピアノ協奏曲24番』というわけだ。そしてナチスは無調音楽を、健全で英雄的なドイツ民族の情緒を害する頽廃音楽だと見なし、ウェーベルンは疎外されてしまう。『弦楽四重奏のための緩徐楽章』はそんな彼の気持ちが表出しているよう。そして最後は誰もが知るベートーヴェン交響曲5番。これもナチスがポーランド侵攻の成功を伝える際に用いた音楽だそう。
このように、音楽は瞬く間に悪に転じてしまう。名曲はそういう可能性すら包含している。
冒頭のコンサートマスターのプレトークにて語られていたのだが、音楽は絶えず政治と結びつき、時に悪用されてきた。それは音楽は人を熱狂させる力を持っているからだ、と。
開演前、辺りの様子を見回していると、ご家族とスタッフの方に支えられながら辿々しく座席に向かうおばあさんの姿があった。その時僕は、どれだけ力を振り絞ってでも、90分の生演奏を聴きに行きたいんだ、というおばあさんの強い意志を感じ取った。
これは一例に過ぎないが、音楽というのはそういった悪魔的な魅惑を持つ。そういうのを目の当たりにした機会となった。
閑話休題、印象的だった曲の話へ。
モーツァルトのピアノ協奏曲はいつ聴いても素晴らしい。この曲、というかモーツァルトの音楽には喜怒哀楽、いや、喜〜怒〜哀〜楽の間にある全てのグラデーションがある。たとえば、喜と哀の間にある感情、喜と楽の間にある感情、喜と怒の間にある感情、すべて緻密に盛り込まれている。ピアニストの沼沢淑音さんご自身の奏でる音は言わずもがな、動きもそれらの感情を一つ一つ表現しているように見えた。
あぁ、2楽章、本当に甘い一時だった。。
そしてベートーヴェン5番。僕がクラシックにハマったきっかけの曲。フルトヴェングラー指揮の演奏を聴いていなかったら、このコンサートにも足を運んでいなかっただろう。
感想を言うのも恥ずかしいけど、この曲を通しで聴けば自ずとすべてを許せてしまう。もう何でもあり。特に3楽章から4楽章への橋渡しは絶頂。そこからは鼓動が高まり止むことを忘れて音楽には没入する。無一文になっても、この曲さえあれば全てOKとさえ思わせられる。これこそ音楽の魅力でもあり、怖さでもある。
帰り道、カルロス・クライバー指揮の5番を聴いた。安定感があり、もう何も言うこともない完璧な演奏だと思うのだけど、何か足りない。それは生演奏とCDの越えられない壁であるのだと直感した。
もしよろしければサポートお願いします〜 (書籍購入代に充当させていただきます。)