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現実を遠回しに直視させてくれる『クレヨンしんちゃん』

『クレヨンしんちゃん』の社会に対する洞察

10年ぶりくらいに『クレヨンしんちゃん』を観た。小学生の頃狂ったように観ていたものの、改めて10年越しに観ると視点も大きく変わっていることに気づいた。

色々考えさせられる部分はあったが、まとめると「現実を遠回しに直視させてくれる作品」だということ。換言すると、登場人物それぞれがバカらしく振る舞っていて笑ってしまうほどなのだが、それは現実世界で日常的に起こっていることを物語に仕立てているに過ぎない、ということ。

それを踏まえて、放送から感じたことを以下にまとめてみる。

家族の仲睦まじさ

作中では絶えずしんちゃんやひまが事件を引き起こし、みさえが怒り狂ったと思えば最終的に穏やかな音楽をバックに夕暮れの中で穏便に事件が解決する。また、ひろしは体を張って全力で子供たちと遊んでみさえに叱られるが、心底楽しそうだ。事件を発端に家庭内は一時的に荒れるが、最終的には綺麗に丸く収まる。

このことから本当に仲の良い家族だなと思うとともに、視聴者に真剣に家族と向き合うこと、そして軋轢が生じながらも固くても見えにくい家族の絆があるという現実を遠回しに見せてくれる。

人間社会

ねねちゃんというしんちゃんの友達は「リアルおままごと」と称して周りを強引に巻き込んで愛人とか金銭問題という人間社会のリアルなテーマでおままごとをする。先日の回では、中間管理職の話をしていた笑。こんな感じに人間社会の現実を子供のおままごとというフィルターを通して遠回しに伝える作品でもある。この辺りは大人にならないと分からない部分かも。

コロナを笑いに

最後に、コロナを笑いに変える回と見える回があって感心した。話の詳細はこちらからみていただきたいが、簡単なあらすじは「オシリウスという菌(?)が地球に到来して無数の人々に感染することで尻が勝手に頭で考えていることを話す」というとんでもないお話です笑。

同じくコロナも地球上の無数の人々に感染し、依然として大きな騒ぎとなっている。そんな中、この回はぶっ飛んでいるほどにバカらしい話ではあるが、コロナで厳しい状況だからこそ、もっと笑おうよ!という脚本家の方の意気を感じられる素晴らしい回だと感じた。

これも例に漏れず、バカらしさのお面を被っていながら現実に厳しい中で笑う尊さを伝える内容なんだと思う。

フィクションはバカにできない

数年前私はフィクションなんか観るよりも、ノンフィクションを観る方が勉強になるし、生産的だと思っていた。しかし、フィクションにはフィクションにしかできない固有の表現がある。例えば、自然と人間の付き合い方は事実よりも宮崎駿のジブリ作品を通して学べることは多いし、人種差別問題はディズニー映画『ズートピア』からも観て取ることもできる。遠回しではあれ、寓意だからこそ描けるテーマでもある

もっと色んな作品に触れる機会は増やしていかないとなぁ〜。

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