独自の存在になるって?

自分ってなんだろう?

みんな自分のことが一番好きだし、たとえ嫌いでも必死に愛そうとする。その行き着く先は自分はどういう存在なんだろう?と考えることだろう。

自分はこのままでいいのか?周りと同じ人間でいいのか?と思い立って、自分探しの旅なんかをする。私もその一人でヨーロッパを放浪した。

この思考に真っ先に直面するのが就職活動の場面だろう。今までは学校に通って何となく偏差値の高い大学を目指していればいいだけの人生が、急に自分と今後長い付き合いとなる仕事の中から適当なものを探さなければならなくなる。

ここ最近、勤務先で求人をスクリーニングする仕事をしている中でプロフィールを見ていると「独自の存在になるために〜」という文言がそこそこ目立つ。やっぱり、みんな他人とは違う何かになりたいと望んでいるんだろう。

では、周りとは違う人になるためにはどうすればいいのだろうか?

周りとは違う存在になるためには

結論から言うと、独自の存在になるためには希少な経験や肩書きの組み合わせをすることが一つの解決策だと言える。たとえば、頭脳王の河野玄斗さんは医師国家試験と司法試験の希少性のある資格を2つも持っていることでメディアにも大きく取り上げられている。

有名な話だが、100人に1人しかやっていないことを3つやっているだけで、1/100×1/100×1/100で1/1000000の人材になることができる。

私自身も変わった人とよく言われる。誰も読まないような本をたくさん読んだり、突然旅に出たり、kpopが好きかと思えばクラシックも洋楽もアニソンもロックのライブにもよく行くし、歌舞伎に行ったり美術館に行ったり、とにかく何にでも好奇心があって行動してるからこそ、そう思われるのだろう。

ただ、私がここで考えることが「希少な組み合わせがない人は独自の存在ではないのか?」という疑問である。私も自分が変わっているという意識は正直あまりない。

真の意味での独自性

今までの話を覆すようで申し訳ないが、私は人間誰しもが独自の存在だと思っている。生まれてきてから毎日同じ時間に起きて、同じことをして、同じ時間に寝る人生を送ってきた人なんて宇宙に誰もいない。

そのため、人は皆それぞれ独自の経験の積み重ねの結果として"今"がある。上記のように、確かに希少な経験の組み合わせは人材としては優れているかも知れないが、独自性という点では単にその人が積み上げてきた経験の上に立っている一人に過ぎない。

この考えは、真家和生先生の『自然人類学入門』という本と養老孟司先生の考え方に影響を受けている。前者から影響を受けた箇所を簡単に要約すると、「ヒトは皆違う(遺伝子的に)からこそ一つの病気で絶滅しないし、逆に皆同じであれば絶滅する」と。後者は「ヒトは本来的に不確定要素に満ちた自然の生き物だが(たとえば、ゴキブリを予測不能な動きをする生き物として気味悪く思う)、彼らを社会規範やレールに乗せる都市を構築することで不確定な要素を排除してきた。つまり、ヒトは本来的にそれぞれ不確定な人生を歩む生き物なのだ。」と。

みんな違ってみんないいじゃん

こういう考えを踏まえた上で、私は常日頃から月並みだが「みんな違ってみんないい」という言葉を本当に大切にしている。このように多様性を大事にしているから、他人に対してイライラしたりはしない。

みんな既に独自の存在なんだから、そうなろうと無理しなくてもいいんだよね。予測不能の未来も含めて素直に人生を楽しんでいこうよって思っちゃうな。


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