肩書きで人を判断すること
昨日は同級生と一緒に高校の先生に会いに行ってきた。卒業から5年ぶりだ。当時の高校生活について楽しく話したんだけど、メインの話題はクラスメイトたちの進路に。「○○は〜大学行って、△△社に就職して〜」というような話だ。
たしかに、5年ぶりに会う先生との話題としては新規性があるし、面白いんだけれど、僕は少し違和感を覚えた。なぜなら、クラスメイト一人一人が今どういう人なのかという実質ではなく、ひたすらに肩書きや社会的地位にばかりに焦点が当てられて評価されているからだ。正直、僕はあまりそういう話に興味がない。
100歩譲って、仕方のないことだとは思う。ある人を簡単に説明するときに肩書きは一言二言で伝えられるからとても便利だし。でも、人はそんな簡単に説明できない混沌を抱えて生きている。肩書きという一面を切り取って説明できるほど単純ではない。
そういう意味で、高校生の頃には先生と生徒という熱い核を持った関係性も、今や冷たい表面的な言葉しか交わせない関係性に変わったことには少し淋しさを感じた。
じゃあその人が今どういう人なのかの実質に迫るにはどうすればいいのか?
それは間接的ではなく、直接的にその人と話して迫るしかない。時間はかかるけど、本当にその人に関心があって好きであればちょっとずつでも実質に迫る努力をするしかない。(であれば、昨日の先生との会話は変えようがないんだよね・・・)
小林秀雄は歴史上の人物をそういう目で見ていたのだろう。『源氏物語』を読むときは紫式部の生活に思いを馳せ、モーツァルトの音楽を聴くときは彼の内面を想像する。決して、資料に基づく唯物論的な歴史の見方はしない。
もっと、人の表面ではなく実質を見ようと努力する人が増える社会になるといいけどな〜。(自分も含めてね…)
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