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楽器、音楽やるならグシャグシャから解放されるのも大事。

【安らぎの秘密基地作成】

画像はベッドの下に作った秘密基地。

今はもう違う配置になってるけど、たまにこうして無性に秘密基地を作りたくなったり、ひたすら籠りたくなる。

何とも気の抜けた空間、情けない夢の詰まった愉快な遊び場が、素敵で癒しな時間を作ってくれたりする。


ま~、なんだろう?部屋の中のまたその中に籠りたくなるという、何とも妙な欲求。如何にも根暗、閉所を求め、落ち着いてしまう、その感覚の不思議。

しかし、分かる人には分かるであろう、この楽しさとワクワク感。

幼稚でしょ~もない話である一方、自分で思ってるより以上に疲れてしまってるのか、隔絶感を必要としているのかって思うと、意外と重そうな心理な気もしてくるし、放置してよいものなのか気になるところでもある。


「孤独は楽しい!」と言うと何とも偏屈か、非人間的に受け取られたり、要らぬ誤解を招きそうなテーマな気もする。

でも本当、時にはぼ~っとリラックスしたり、力を抜くのも大切だと実感するし、単純に楽しかったりもする。

情報を仕入れすぎて脳がパンパン。常に思考、思考、思考。考えるばかりが先行、頭の中はしっちゃかめっちゃか。

それがずっと続いていってしまうのは、どうにもよろしくない。


時には全てを遮断して独りっきりで楽しむ。思いっきり休んでスッキリする。一切気にせず怠惰に浸るってのも悪い事じゃない。

悪いどころか「いや、なかなかいいもんだぜ!」って声を大にしたいぐらいだし、心のモヤモヤや違和感、言い様のない疲労を抱えてる実感のある人は、僅かにでもいいから気に留めておいて欲しい。


【人と関わる量と情報が多すぎるのも良し悪しはある】


人との繋がりを大事に大事にした結果、肝心の自分自身の存在が揺れてしまったり、希薄になってしまったり、そういう負な側面、否定しきれないところってあると思う。

言葉悪く言えば、

【希薄にせざるを得ない】

って場面が増える気もする。

膨大な量の全てを全力で向き合えるのか?超人的なタフネスを発揮して全人類に対し濃厚に対峙できるのか?

自分は正直、現実的じゃないなって部分が多々見えてきてしまう。

「人々との繋がり!」って美しい言葉のようだけれど、独善的な楽しみや喜びを抑制する、忌諱されるのが正しいみたいなのは、ちょっと違う感じもする。


八方美人だったり、他人様優先が行きすぎた結果、

・自由に遊べる場も逃げ道もなく消耗していくだけ

・意志も思考力も落ちて何が好きかも分からなくなる

・そもそもの目的もやりたい事も何だったのかボヤけてくる

こういう状況になったら笑えない。


楽器って華やかで派手みたいなイメージがありそうだけど、実際のところはめっちゃくちゃ地道な積み重ねが必要だったり、体力と精神力がとてつもなく欲しくなる世界だったりもする。

人と関わる楽しさ、力を合わせてこその素晴らしい結果、成果、バンドをやる喜び、魅力など、語るまでもなく存在する。それを実感してきたからこそ、自分も20年以上ベースを弾き、音楽にも関わってきた。

ただ、それだけが全てと言ってしまうのは疲れるし、歯車が狂うと恐ろしいほどのストレスや負担にもなってくる。

「本気で好きなつもりだったけど実は合ってなかった….」など、そんな事も当然にあったりするし、楽しい事や生き甲斐のはずが、いつの間にか惰性的になってしまっていたり、人間って分からない。


いざ独りになった際、ものすごい解放感に満ちたり、自由を感じたり、それで前進できるようになったり、そんな事も有り得るのがこの世の中。

独りきりになって脳を休ませるか?逆にフル回転させてみるか?誰の邪魔が入る事もなくそれを実行できるって、実は凄く意味があると感じる。

孤独な時間を過ごすってのは、必ずしも悪いこっちゃない。


【人が壊れるのは見たくないし無理をあまり褒めたくもない】


バカバカしい秘密基地の話から一転、何だか重いテーマが続くようだけど、壊れない為にやる事ってのは実に単純で簡単。

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