真面目すぎて全然練習できてないとかないですか?
■テキトーベースみち(4)
「今日は疲れた……こんな状態で楽器を弾くべきじゃない!それじゃ身にならない!」
「気分が絶好調じゃない……これじゃ楽器に失礼だ!音楽に申し訳ない!」
「自分はなんて駄目なんだ……こんなんじゃ練習したって意味が無い!駄目だ駄目だ!」
って、いやいや、分かる気もするけど何かおかしいよね、変な矛盾起こしてないか、そういう事あったりしませんか?
理想が高すぎるんだか、言い訳なんだか、細かい心理も深層も分かりませんが、とにかく練習しない、楽器を弾かない、そんな状態。
楽器にも音楽にも人一倍の想いも憧れもあるんだけど、気分を盛り上げるまでが大変すぎる、動くまでがあまりに重い、シリアスに潰される、意外とそういう人多い気がします。
「だったら話は簡単!」
とは行かないし、
「1日5分でもいいんです!」
みたいなのに手を出すのもあんまりおすすめ出来ません。
人間、その気にならない事なんか1分だってやらないし、やったところで果てしなく長く感じる、苦痛になる生き物。
逆にそういうのって物凄く時間コントロールが上手い人じゃなきゃ出来ないでしょ、徹底したメソッドを完璧にこなせるとかそれこそ超人の類でしょっていう、そんな疑問が湧いてしまいます。
凄まじい修練と実戦を積んだきた人が凝縮した5分、まだまだ初心者、楽器を手にする事すら重い段階の人の5分、それを同じに認識するのはちょっと厳しくないかって。
じゃあどうすればいいか?
「分かりません!」
正直、答えに詰まります。
「真面目すぎるから駄目なんだ!」
と言ってすぐ響くのか、「よしじゃあ遊ぶぞ!」となれるのか、そんな簡単な話なのか、私には分かりません。
「1日30分!覚悟を決めましょう!絶対楽器に向き合う時間を作りましょう!」
これ、冒頭のシリアスさと変わんなくないか、そんな徹底できるのか、徹底できたところでそれを破ったらまた自己嫌悪発動しないか、また疑問。
「この練習をやれば絶対上手くなれます!」
でもそれが出来なかったらどうするのか、そもそも、その練習に取りかかれない事が問題なんだけど、内容云々じゃないんだけどって、これまたなかなか厄介。
「じゃあどうしようもないじゃないか!答えになってないじゃないか!ワケが分からない!意味が分からない!役に立つ事を教えてくれ!」
となったなら、それ、真面目すぎると思います。そして人に期待しすぎ。自分を評価していない。向き合ってない。やりたい事やれてない。
仕組みに乗れば誰かが教えてくれる、確実で間違いない答えがある、正解にありつける、それって非常に学校教育的、義務教育的な流れじゃないか、そんな事を思います。
例えばの話、
「個性が欲しい!」
となったとして、そこで教えを乞い、
「髪を伸ばせ!髭を生やせ!」
「風呂は十日に一回にしろ!」
「医者に行くな!一日一食だ!」
なんて言われたとします。
ま~、それで抵抗を覚えない人は、そうそういないでしょう。
「ふざけてるのか!こっちは真面目に聞いてるんだ!そんな幼稚でデタラメな話なんか聞きたいんじゃない!もっと身になる事を教えて欲しいんだ!」
と、ここで、
「あれ?」
となった人は、いい感じかもしれません。
これ真面目すぎないか?
人に期待しすぎてないか?任せてないか?
自分の事なのに何で人に決めてもらおうとしてるんだ?
何で人に作ってもらおうとしてるんだ?
そんな疑問が湧いてきたなら……
って、それ、かなり真面目な思考ですが、「真面目=駄目!」と言うのもそれ違うでしょってのも大事なポイント。
「真面目じゃ駄目なんだ!真面目を打ち破るぞ!真面目はもうおしまい!真面目な自分にさらば!」
まぁ、それクソ真面目でしょ、色々変だよねとも思うけど、
「自分で決めた!」
これって凄い前進、人にやれって言われて動くのとは確実に違う強さ、楽しさがそこにあります。
真面目すぎて動けない自分がいるのも間違い事実だし、それをブッ壊そうとする真面目な自分もいる。
それが分かるだけでも全然違うし、そのキッカケや気付きを得る為に行動するのは、凄く素敵だと思います。
「人に頼っちゃ駄目なんだ!全部自分でやらなきゃ駄目なんだ!そうじゃなきゃ変われない!」
ここまで読んだらお察しの通り、そりゃ真面目すぎる、重すぎる、そればっかりじゃ潰れちゃいますよね。
練習云々の話から脱線してるようですが、やりたい事は素直にやればいい、やらないならそれは好きな事じゃない、そんなんじゃ続かないって考えるのも、立派に前進。
じゃあ何で続かないのか、楽しくないのか、やる気にならないのか、苦しいのか、それを考えてみてもいいし、
読んで頂きありがとうございます。サポートして頂けると今後の力になります。